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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 光の粒子・波動二重性の発見者 G・I・テイラー(マンハッタン計画で原爆の開発にも関わった天才科学者)

2023.06.23

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。特に物理的な法則の発見は、人類史の中でも影響の大きなものだと言えます。知識も技術も未発達の時代に、現代でも変わらない法則を発見することは、多分に価値のある発見です。そんな偉大な発見を、生涯の中でとどまることなくし続けた人物がG・I・テイラー(サー・ジェフリー・イングラム・テイラー)です。彼は流体力学や固体力学の分野で大きな功績をあげたことで知られています。20代〜80代までの間に斬新な研究を行い続け、数多くの成果を残しました。今回はそんなG・I・テイラーの生涯を振り返っていきましょう。

G・I・テイラーの前半生(ケンブリッジ大学で物理を研究する)

G・I・テイラーは、1886年にイギリスで誕生しました。父は画家、母はアマチュアの数学者で、どちらもその分野で一目置かれる人物でした。テイラーが科学者を志したのは、1897年のこと。王立研究所のクリスマス・レクチャーに参加したことがきっかけでした。1999年、少しばかりの奨学金を得たテイラーはユニヴァーシティ・カレッジ・スクールへと進学します。在学中に訪れた叔父の家で見つけた流体科学の本を使って勉強し、1904年から1905年には独力で全長4メートルの帆船を設計・制作しました。この帆船でテームズ川流域の河口まで往復航行にも成功。この成功が高い評価を受け、学校長の推薦を受けてケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへと進学します。入学当初は数学を専攻していましたが、途中からは物理の講義にも参加。テイラーはここでも優秀な成績を修め、再び奨学金を得ることに成功します。この資金を使って、トリニティカレッジとキャヴェンディッシュ研究所で研究を続けることを決意しました。

G・I・テイラーの後半生(光の粒子・波動二重性などの数々の画期的な物理学の発見をする)

テイラーが初めて発表した論文は、光の粒子・波動二重性についてのものです。続く論文では衝撃波の構造を論理的に扱ったもので、この論文はスミス賞を受賞、1910年にはトリニティ・カレッジの別研究員に選出されることになります。

1911年、テイラーは気象力学のリーダー職に着任します。テイラーには気象学の経験がありませんでしたが、持ち前の探究心を発揮して風向きの分布の観測や乱流の等方性や温度、運動量の拡散への影響などを考察しました。翌年、映画でも有名なタイタニック号の沈没事故が発生します。イギリス政府は事故のあったポイントに調査団を派遣して、テイラーは気象学者としてそのメンバーに入りました。テイラーは船上から凧や気球を飛ばし、大気中の様々な高度での温度、風向、風速、湿度などを観測しました。これらの観測結果により、テイラーは乱流による輸送現象についての理解をさらに深めることになります。この結果を論文にまとめると、こちらも高い評価を得て、1915年にアダムズ賞を受賞します。

1914年、世界情勢は一変します。第一次世界大戦の勃発です。これをきっかけに、テイラーは軍用の研究にも携わることになります。軍用研究の多くは戦闘機に取り付ける装置の設計でしたが、パイロットづてに話を聞くよりも体験した方が早いと考えたテイラーは軍に入隊し、飛行機の操縦やパラシュート降下を学びました。実体験をもとに作り上げたのが、翼に取り付けることで飛行中の圧力分布を測定できるもの。圧力分布は翼による揚力を知るために重要な情報となりますが。この時代では揚力についての理解は乏しく、風洞と模型による測定が実際の航空機について適用可能かどうかも未確定でした。実機による圧力分布の測定を行ったのは、テイラーが初めてだったと言われています。

1919年10月にテイラーはトリニティ・カレッジに戻り、講師を勤めます。ここでは主として主として海洋学(特に潮汐現象への乱流の影響)や、回転流体中の物体の移動の問題について研究しました。1923年には王立協会の研究教授職であるヤーロー研究教授となり、より研究に集中できる環境を手に入れました。研究教授となってからは、第二次世界大戦の軍用研究にも携わるようになります。テイラーの論文の中でも最も有名な流体力学の論文は、テイラーの研究者人生の中で最大の功績だったと言えます。第二次世界大戦中もテイラーは専門知識を生かし、水中爆発および大気中での爆風伝播などの軍用研究に携わりました。1944年から1945年にかけてはマンハッタン計画へのイギリスからの派遣団の一員としてアメリカに派遣され、ロス・アラモスでは核兵器、特に長崎に投下されたプルトニウム爆弾の爆縮不安定性の問題を解決するのに貢献しました。

終戦後もテイラーは研究を続け、今度は航空工学研究委員会の委員として超音速航空機の開発に関わりました。そして長い研究生活は、1972年の脳卒中の発作によって幕を閉じます。最後の研究論文は1973年に出版されました。それから2年後の1975年、ケンブリッジで息を引き取りました。

今回は物理学の分野で様々な功績をあげたG・I・テイラーの生涯を振り返りました。今の私たちが便利な暮らしをしているのは、彼が生涯の中で研究を続けたおかげでもあります。飛行機の揚力や爆発・衝撃波の研究など、安全な生活をするための発見も多々ありました。軍事的な研究で、多くの人の命を奪った原子爆弾の改良に参加していたことは残念ですが、彼が残した功績の大きさを忘れることはできません。物理学の歴史を紐解くと、思いもしなかった発見があって面白いものですね。

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