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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー ホログラフィーの発明家 ガーボル・デーネシュ(ナチス・ドイツの迫害から逃れながらイギリスで活躍してノーベル物理学賞を受賞した天才発明家)

2023.05.15

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。例えば、例えば、クレジットカードやIDカードのセキュリティ機能、また、コンサートや展示会などでのエフェクトにはホログラフィーの技術が使用されています。ホログラフィーは簡単に模造することができないため、セキュリティを高める手法としても有効です。そんなホログラフィーを発明し、実用化したのがハンガリー系イギリス人であり電気工学者・物理学者であるガーボル・デーネシュです。彼はホログラフィーを発明したことが理由で、1971年のノーベル物理学賞を受賞しています。ホログラフィーは現代では欠かせない技術となっており、その発明はあらゆる産業分野に躍進のきっかけを与えました。今回はそんなガーボル・デーネシュの生涯を振り返っていきましょう。

ガーボル・デーネシュの前半生(ホログラフィーの発明)

ガーボル・デーネシュは、1900年、ハンガリー帝国(現在のオーストリア)で、ユダヤ系一家の長男として生まれました。デーネシュが14歳の時、サラエヴォ事件が勃発し、これをきっかけとして第一次世界大戦が開戦しました。戦時中は北イタリアに赴き、ハンガリー軍の砲兵として働きました。1918年にはブダペスト工科大学に入学して学問を修め、その後はドイツに渡ってシャルロッテンブルク工科大学(現在のベルリン工科大学)に進学しました。大学生活の中で、デーネシュは陰極線管オシログラフを使って高圧電線の解析を行い、電子工学に興味を持つようになります。特にオシログラフへの学びは深く、この時に学んだ知識を生かして電子顕微鏡やテレビなどの機器を作ることに熱中しました。1927年、ブラウン管について論文を発表し、博士号を取得しました。その後はプラズマランプに研究の分野を移し、なおも学問を続けていきました。

1933年になると、ドイツはナチズムが支配する全体主義国家へと変貌していました。ナチス・ドイツはユダヤ人を迫害しており、デーネシュもその対象でした。デーネシュはナチス・ドイツから逃れるためにイギリスに渡り、ウォリックシャーのラグビーにあるブリティッシュ・トムソン・ヒューストンの開発部門に招待され、そこで仕事を始めました。優秀な科学者だったデーネシュはすぐに職場に馴染み、様々な開発を行いました。ラグビーでは、マージョリー・バトラーという女性と出会い、のちの伴侶となります。1936年に結婚し、幸せに過ごしました。1946年に、デーネシュはイギリス市民権を獲得し、イギリスの政治に参加できるようになります。そしてその翌年、彼の人生における一大発明を達成します。それは、ホログラフィーの発明でした。しかし、当時のホログラフィーは被写像を鮮明に観察することはできなかったため、この段階では注目を浴びることはありませんでした。

この研究をきっかけに、デーネシュの発明家としての熱量はさらに増していきました。電子の入力と出力に着目したデーネシュは、改良版である再ホログラフィーを発明します。1946年から1951年にかけて、再ホログラフィーの理論に関しての論文を書き上げました。

またこの時、デーネシュは人間のコミュニケーションと聴覚についての研究も行っていました。音を小さな単位に分割して、組み替えやクロスフェードを行う「グラニュラーシンセシス」理論を提唱し、シンセサイザーを発明する基盤を作りました。デーネシュの理論をもとに、ギリシャ人作曲家であるヤニス・クセナキスが実際にシンセサイザーを発明し、実用化しました。デーネシュのこの研究や関連分野の研究は、時間周波数解析発展の基盤となりました。

ガーボル・デーネシュの後半生(レーザー技術によってホログラフィーが実用化)

1948年、デーネシュはインペリアル・カレッジ・ロンドンに移ります。1958年から1967年まで、応用物理学の教授として活動しました。引退後はイタリアに戻って過ごしましたが、シニア研究フェローとしてインペリアル・カレッジとの関係は保ち続けました。そのほか、コネチカット州スタンフォードにあるCBS研究所のスタッフとして働いたことでも知られています。

その後、レーザー技術が急速に発展し、様々な研究が画期的な進化を遂げました。これにより、スポットライトが当たったのがデーネシュが発明したホログラフィーでした。レーザーと組み合わせることによって鮮明な像を空中に描くことに成功し、世界的な大発明となりました。これがきっかけで、デーネシュは1947年にノーベル物理学賞を受賞。デーネシュの人生の中でもっとも大きな賞を獲得しました。そのほか、様々な賞を受賞し、デーネシュの功績は多くの人に称えられました。

今回は、ホログラムを発明したガーボル・デーネシュの人生を振り返りました。戦火の中を生き抜き、科学者として多くの発明を残したデーネシュは、まさに偉人だといえるでしょう。ユダヤ系だった彼はナチス・ドイツの迫害から逃れながら、学問をしっかりと修めて、自分の価値を最大限に高めました。ホログラムの発明によって、様々なエンターテイメントが盛り上がったり、セキュリティが強固になったりといった進化がもたらされました。ふとした生活の一部分に、大きな歴史のドラマがあることを考えると、誇らしい気持ちにもなるのではないでしょうか。

 

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