【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー 電気式エレベーターの発明家 フランク・スプレイグ(Sprague Electric Elevator Company(現オーチス・エレベータ・カンパニー)創業者)
2023.03.30
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。大型商業施設や大型商業ビルに欠かすことのできないものといえば、電気式エレベーターです。高層階へ向かう場合に体力を消耗することなく短時間で老若男女問わず利用できる製品として、広く普及しています。そんな電気式エレベーターを発明したことで有名なのが、アメリカ人発明家のフランク・ジュリアン・スプレイグ(Frank Julian Sprague)です。スプレイグは電気式エレベーターのほか、モーターや電気鉄道(電車)など多数の電気製品の発明に貢献しており、「電気駆動の父」と呼ばれています。スプレイグが電気式エレベーターを発明し、交通機関を改善したことで超高層建築物に都市機能を集中させることが可能となり、世界中の大都市の形成に大きく貢献した人物です。そこで今回は電気式エレベーターやモーター、電気鉄道を発明したことで知られるフランク・ジュリアン・スプレイグの生涯を振り返っていきましょう。
フランク・スプレイグの生涯(幼少期からエジソン研究所そして独立まで)
フランク・スプレイグは1857年(安政4年)7月25日にアメリカ合衆国コネチカット州の街ミルフォードで誕生しました。残念なことに幼いころの記録は詳しく残っていないようです。順調に成長したスプレイグはドゥルーリー高校に進学し、数学が得意な生徒だったそうです。高校卒業後には、メリーランド州のアナポリスにあったアメリカ海軍兵学校に入学しました。しっかりと訓練を続け、1878年(明治11年)クラスで7番目という好成績で卒業しました。
その後、スプレイグはアメリカ海軍の少尉となりました。アメリカ海軍に入ってからはリッチモンド(USS Richmond)やミネソタ(USS Minnesota)に乗船しました。1881年(明治14年)、スプレイグはロードアイランド州のニューポートという街にいました。そのとき既に電気に興味を示し研究をしており、新型発電機の発明に成功しました。その直後にランカスター(USS Lancaster, ヨーロッパ戦隊の旗艦)への辞令を受け異動しました。そして、スプレイグはランカスターに海軍船初となる電気式呼鈴を設置しました。
スプレイグの研究活動が徐々に周囲に知られるようになり、1883年(明治16年)にはトーマス・エジソン(蓄音器や白熱電球を発明したことで有名なアメリカ人発明家。生涯に1,300もの発明と技術革新を行ったことから発明王と呼ばれている)の同僚だったエドワード・ジョンソンにより、エジソンの研究所で研究をしてほしいと招待されました。
そして、スプレイグは海軍を辞めて正式にエジソン研究所で研究することとなりました。スプレイグは数学的な研究を行い、結果としてスプレイグの提案した数学的手法が研究所で導入され大きく貢献しました。エジソンはこれまで莫大な費用が掛かる実験であっても、何度も繰り返し試行錯誤しながら結果を出していました。スプレイグが提案した計算を用いることで最適な設定を導くことができ、実験の繰り返し数を大幅に削減できるようになりました。さらに、既にエジソンが発明していた中央変電所からの送配電システムを、スプレイグが修正するなどエジソン研究所では数々の功績を残したそうです。
スプレイグはエジソン研究所で研究をするうち、電気の他の分野への興味が強くなっていったため、エジソン研究所を離れることを決め、スプレイグ電気鉄道・モーター会社(Sprague Electric Railway & Motor Company)を設立しました。設立からたった2年間で「固定ブラシで火花が出ない定速回転モーター」、「電気モーターで駆動される装置から電力系統へ電力を返す回生技術」の2つの革命的な発明に成功しました。前者のモーターはかつての師匠であったエジソンから、「唯一の実用的なモーターだ」と高く評価され瞬く間に普及しました。さらに、後者の回生技術は後に発明されることとなる電気鉄道や電気式エレベーターに大きな影響を与えた技術だとされています。なおスプレイグ電気鉄道・モーター会社(Sprague Electric Railway & Motor Company)は、その後、オーチス・エレベータ・カンパニー (Otis Elevator Company) に買収され、今では世界最大のエレベーター会社になっています。
フランク・スプレイグの生涯(電気式エレベーターや電気鉄道の発明)
実は海軍時代に、路面電車用のばねを利用して架線から集電する方式(トロリーポール)を発明していました。これにはトロリー・ホイールと呼ばれる金属滑車が使われており、鉄道が走行中に回転して架線と接触し、架線から電力が供給される仕組みでした。スプレイグは1887年(明治20年)後半から1888年(明治21年)にかけ、トロリーポールを利用してリッチモンド・ユニオン旅客鉄道を敷説しました。これまでのリッチモンドでは10%を超える勾配の丘が交通の妨げとなっていましたが、このシステムの導入によって解消されました。リッチモンド・ユニオン旅客鉄道は初めて成功した路面電車であり、トロリーポールが他の都市でも普及するきっかけともなりました。
同年にはさまざまな都市で、馬車鉄道(馬が線路の上を走り客車を引く鉄道)が廃止され、コストパフォーマンスの良いスプレイグの電気鉄道へと置き換えられました。そして翌年の1889年(明治22年)には110もの電気鉄道が運行開始あるいは運航予定となっており、世界中へと広がっていきました。この技術の部品の多くを製造していたのはエジソンの研究所であり、エジソンはスプレイグの会社を買収することを決め、再び共同研究をすることとなりました。
続いてスプレイグが興味を示したのは電気式エレベーターでした。路面電車での輸送力増大と高速化に成功させた経験から、垂直方向のエレベーターでも同様に成功を収められると確信していました。当時利用されていたエレベーターは水圧駆動式と呼ばれ、電気式に比べて遅く広い面積を必要としており、高層ビルを建設しにくいというデメリットがありました。電気式エレベーターを発明することで、高層ビルの建築も可能となり都市発展に大きく貢献できるはずとも考えていたそうです。
1892年(明治25年)、スプレイグは本格的に電気式エレベーターの研究をするため、スプレイグ電気式昇降機会社(Sprague Electric Elevator Company)を設立しました。そこでCharles R. Prattと一緒に研究を重ね、スプレイグ・プラット式電気エレベーターの開発に成功しました。さらに同時に階床制御の自動式エレベーターや安全上のかごの加速度制御、貨物エレベーターなどの開発にも成功しました。これらのエレベーターは従来製品よりも速く搭載能力も大きいものでした。世界中で584台ものエレベーターが設置されました。
スプレイグがさまざまな電気駆動に関する発明に成功したことで、エレベーターや電気鉄道などが整備され、世界中で大都市が形成されるようになりました。高層ビルを建設して商業を集積させることが可能となり、地下鉄やLRT(Light Rail Transit, 輸送力が軽量級の都市型旅客鉄道を指す。ロサンゼルス、クアラルンプール、マニラなど各都市で走行しており、江ノ電をはじめとし日本にも存在する。)の誕生で渋滞緩和など交通インフラが整うようになりました。
1934年(昭和9年)、フランク・スプレイグは数々の功績を残しこの世を去りました。
今回は電気式エレベーターや電気鉄道などをはじめとするさまざまな電気駆動製品を発明したアメリカ人発明家のフランク・スプレイグの生涯を振り返ってきました。電気鉄道の発明から垂直方向のエレベーターも発明できるはずだとの想いから研究を続け、画期的な製品の発明に成功した人物でした。彼が電気鉄道や電気式エレベーターなど高性能な電気駆動製品を世に残してくれたため、世界各地で大都市が形成されるようになり、世界規模での経済発展に大きく貢献してくれていました。彼の発明がなければ今のような世界は存在していなかったのかもしれません。世界三大都市にもカウントされる東京には高層ビルが立ち並び、世界一の鉄道大国として知られる日本では毎日のように電車を利用する人がたくさんいます。私たちの身近なものの誕生秘話を知るだけで周囲のものごとへの見方が変わってくるのではないでしょうか。これから先どのような発明が誕生し、どのような世界になっていくのか非常に楽しみですね!