私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。中世のイギリスでは産業革命が起こり、様々な製品が開発されました。中でも蒸気機関の登場は、生産性の向上や技術革新にも大きな影響を与えたことで知られています。しかし、登場初期の蒸気機関は熱効率が悪く、製品の大量生産は難しいという問題を抱えていました。これを改良し、より多くの製品を生み出すことに貢献したのがスコットランドの発明家であるジェームズ・ワットです。彼の発明によって技術的な進化はもちろん、交通手段の改善や労働環境の改善など、産業に関わるあらゆる場面で革命がもたらされました。現代における工業・製造業の発展は、この蒸気機関の改良が最初の一歩であったことは間違いありません。今回はそんなジェームズ・ワットの生涯を振り返っていきましょう。
ジェームズ・ワットの生涯(グラスゴー大学での活躍)
ジェームズ・ワットは1736年1月19日、スコットランド中部のレンフルーシャーにあるクライド湾沿いの港町、グリーノックでこの世に生を受けました。幼いころから手先が器用であり、数学で才能を発揮していましたが、学校には通っていませんでした。小学生にあたる年代は母親からのホームスクーリングによって教養を深めていましたが、中学からはグリーニックの学校に入学することになりました。
ワットが18歳のとき、母親が亡くなり父親も病気になってしまいます。それを機に、計測機器の製造技術を学ぶためにロンドンへ。通常4年かかる履修課程を1年で終えるなど、その豊穣な才能を発揮していきます。ロンドンでの1年間を過ごしたあとはスコットランドに戻り、機器製造の事業を始めるために住居をグラスゴーに移しました。しかし、グラスゴーに戻ってもワットは事業を始めることができませんでした。スコットランドでは最低7年の徒弟修行を行わないといけないという決まりがあったためです。当時のスコットランドには物理的な計測器を制作する職人はいなかったため、ワットは窮地に追い込まれました。しかし、そんなワットを助けたのは、もともと親交の合ったグラスゴー大学の教授でした。大学に導入された天文学機器の調整には専門家の力が必要だったため、その仕事を任せるためにワットは大学に招かれました。ワットは持ち前の頭の良さを発揮して、調整が難しい機械をどんどん直していきました。ワットの活躍に感謝した大学側は、ワットのために小さな工房を大学内に作ることを決定し、以降、ワットの研究はグラスゴー大学内の工房で行われるようになりました。
ジェームズ・ワットの生涯(蒸気機関の改良)
グラスゴー大学がワットの工房を開いた4年後、ワットは友人であるジョン・ロビンソンから蒸気機関の話を聞き出します。それまで蒸気機関が実際に動いている現場を見たことがなかったものの、ロビンソンの話に興味をもち、蒸気機関の実験を行いました。初めのうちはまったくうまくいかず、苦労した時期もあったようです。しかしワットはあきらめず、実験と改良・考察を続けました。努力の結果、当時の蒸気機関では熱効率が悪くなってしまっていることを突き止めます。1765年、ワットは改良した蒸気機関を作成。この時、熱出力のためのピストンとシリンダーの最適な寸法比を見つけ出し、その後の蒸気機関にも活用することになりました。研究の甲斐あって、高性能な蒸気機関の開発に成功したものの、ワットを待ち受けていたのは資金難でした。ワットの想定する通りの蒸気機関を作るためには、多額の資金が必要だったのです。ワットは知り合いからの援助を受けながら、自分も働いて開発の資金を捻出していきました。この時期、ワットはのちに相棒となるマシュー・ボールトンと出会います。ワットとボールトンは「ボールトン・アンド・ワット商会」を設立し、以降25年間にわたって協力関係を続けました。
ワットの蒸気機関は、ついに1776年、蒸気を使った動力機関として完成しました。最初は鉱山の水の組み上げだけに使用する簡単なものでしたが、それでも現場で働く人たちにとっては画期的な発明でした。コーンウォールの鉱山から水を汲み上げるための蒸気機関の受注が舞い込み、ワットは多忙を極めました。これらの蒸気機関は「ボールトン・アンド・ワット商会」の製品ではなく、ワットが設計したものを他の製造業者に依頼して作らせたものです。ワット自身は技術顧問の役割を担い、製品開発の監督を行っていました。その後は6年間にわたって、ワットは蒸気機関の改良や変更を多数施しました。最初に導入されていた蒸気機関であるニューコメン型は熱効率が悪く、大きなエネルギーを発揮できないことが問題視されていました。ワットはニューコメン型の問題点を見抜き、数々の改良を行ってみるみる蒸気機関を効率化させていきました。ピストンの両面に蒸気を交互に作用させる複動機関や、2台以上の蒸気機関を連結させた複合機関などの改良などがその例です。機能の改善だけではなく、製造や組み立て自体の改良も常に行い、開発のコストを削減しようとする取り組みも積極的に行われました。ワットが改良した蒸気機関は、ニューコメン型よりも最大5倍の燃料効率を誇ったと言われています。ワットが改良した蒸気機関は、やがて水力計や機関車などにも用いられるようになりました。
ワットが改良した蒸気機関は、以降50年間にわたって誰にも手を加えられず使用されました。当時の技術力では、ワットの蒸気機関を上回る性能のものは誰にも生み出せなかったのです。蒸気機関の改良は、単純に作業が効率化されただけではなく、人々の移動手段や輸送、労働者の負担の軽減など、産業に関わるあらゆる問題の解決をもたらしました。彼の功績は称えられ、エディンバラ王立協会とロンドン王立教会のフェローに選出されました。
今回は、蒸気機関を改良したジェームズ・ワットの生涯を振り返ってきました。電気やガスなど様々な動力が使用されるようになった現代では想像しづらいですが、それら動力の起源であった蒸気機関を忘れてはいけません。世界を豊かにする発明は、いつも世の中を良くしたいという思いから生み出されます。現代でも、まだまだ新しい発明が行われていくでしょう。技術を進化させる視点で世の中を眺めてみるのも面白いですよ。