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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー MRI(核磁気共鳴画像法)の発明家 レイモンド・ダマディアン(特許侵害訴訟でGEから巨額の損害賠償金を獲得した縦型MRIのフォナー社の創業者)

2023.03.03

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちは重大な病気をいち早く発見できるような医療が整いつつあるため、健康に生活できるようになってきています。そんな数ある医療技術の中で非常に重要な技術として一般的に知られているのがMRI(核磁気共鳴画像法)です。MRIを用いることで人間の全身の断層画像が撮影できるようになり、悪性腫瘍などの重大な病気をいち早く発見でき、効率良く治療できるようになりました。そんな画期的な医療技術のひとつであるMRIを発明したことで有名なのが、アメリカ人医学者のレイモンド・ダマディアン(Raymond Vahan Damadian)です。彼は生体細胞内にあるナトリウムとカリウムを深く研究し核磁気共鳴(NMR)の実験により、世界初のMR人体スキャナ装置(MRI)を発明しました。そこで今回は、医学史に残る大きな発明をした人物であるレイモンド・ダマディアンの生涯を振り返っていきましょう。

 

レイモンド・ダマディアンの生涯(NMRによる世界初の人体スキャナ装置)

1936年(昭和11年)3月16日、レイモンド・ダマディアンはアメリカ合衆国ニューヨーク州で、アルメニア系アメリカ人の一家に誕生しました。その後は学校に通い勉学に励みました。

そしてウィスコンシン大学マディソン校に進学し数学に関する学びを深め、1956年(昭和31年)には数学の学士号を取得しました。さらにニューヨークのアルベルト・アインシュタイン医学校への進学を果たし、1960年(昭和35年)には医学の修士号を取得しました。また、同時期にはジュリアード学院にも通いヴァイオリンを8年間学んでいたそうです。

一方この頃、医療科学の研究においては、1950年代にアメリカ人研究者のHerman Carrが1次元のMR画像の生成方法を発表しました。

ダマディアンは修士号取得後も医学研究を継続していました。そして1969年(昭和44年)、ダマディアンは生体内のナトリウムとカリウムを研究し、核磁気共鳴(NMR)の実験に成功し、世界で初めてMR人体スキャナの提案を行いました。この研究論文は1971年(昭和46年)のサイエンス誌に掲載されました。このときの論文では、NMRを利用することで腫瘍と正常な組織を破壊させずに識別できるとの主張でした。これは悪性腫瘍の発見が早まることを示唆しており、医学史に残る大きな研究成果でした。

しかし後の研究により、違いを見つけることは一応可能ではあるが診断に利用するには微妙すぎるという事実が判明しました。当時提案されていたものが、人体を一か所ずつスキャンしていく方法であり、残念ながら、悪性腫瘍の発見に利用するための実用的な診断方法には満たないという見解でした。

その後、ダマディアンはNMRに関する研究を続け、1972年(昭和47年)にはNMRを用いて悪性腫瘍を発見する方法に関して特許を出願しました。そしてなんと2年後の1974年(昭和49年)、世界で初めてMRIに関する特許が成立しました。当時のアメリカ国立科学財団は「その特許はガン細胞を特定するためNMRを利用して人体をスキャンするアイデアが含まれていた。しかし、スキャン結果からの画像生成方法やどのように正確なスキャンをするのかなどの詳細は含まれていなかった。」と述べました。

その後は、ダマディアンの研究結果をもとにした研究が行われ、アメリカ人化学者のポール・ラウターバーによってCTのアイデアが改良されました。このときには、MRIによって2次元、3次元の画像を生成できるようになりました。さらに、イギリス人物理学者のポーター・マンスフィールドが、スキャン実施時間の短縮化に成功し、鮮明な画像を得る技術を確立しました。

ラウターバーやマンスフィールドらによるこれらの研究は、全てヒトや他の動物の手足のみが対象となっており、全身を対象とした研究はなされていませんでした。

 

レイモンド・ダマディアンの生涯(MRI商用化の苦労とその後の活躍)

全身の撮影に関する研究が発展途上の中、ダマディアンは研究を継続していました。そして1977年(昭和52年)7月3日、ついに世界初の人間の前身を対象としてMRIの実験が行えるようになっていました。このときには全身の画像を1枚作成するのになんと5時間もかかっていたそうです(現在の全身MRIは男性でおよそ70分、女性でおよそ90分にまで短縮されている)。ダマディアンらの研究チームは7年間の研究を経てこの実験が行えるようになっていたそうです。現在のMRI画像と比較すると、当時の画像は非常に未熟なものでした。しかし、医学が大きく進歩した瞬間だったことは間違いありません。多くの研究者が失敗してきたこともあり、周囲から無理だと言われ続けた中での装置だったため、ダマディアンらはこのMRI装置を “Indomitable(不屈)”と名付けました。その後、ダマディアンらはMRI装置の普及に努めましたが、残念ながら広く普及することはありませんでした。

ダマディアンらのNMRの特許に関しては、「ラウターバーらの装置は生体にNMRを応用している一方で、ダマディアンらの装置は切除した組織からNMRを使ってがん細胞を検出するものだ」という噂が流れました。実際、ダマディアンの特許内容にはMRIに繋がる画像の記載がなかったため、世界初のMRIが商用化されることはありませんでした。

1978年(昭和53年)には、ダマディアンはフォナー(Field focused nuclear magnetic resonance, Fonar)というMRIスキャナ製造会社を設立しました。そして研究を続け、1980年(昭和55年)にフォナーは初のMRI製品を販売しました。ところが、ダマディアンらのFonar field方式のMRIはラウターバーの方式のMRIに比べて非効率という欠点がありました。それが大きく足を引っ張り、フォナーのMRIスキャナは商業的に失敗してしまいました。

その後フォナーはダマディアン方式のMRIから撤退し、ラウターバーやマンスフィールドらの特許のロイヤリティを徴収する方向で動き始めました。これに対して大多数の企業は和解に応じていましたが、ゼネラル・エレクトリック(世界最大の米系総合電機メーカー, GE)に対しては裁判となってしまいました。最終的にはダマディアン側に対して1億2,900万ドルを支払うようGEが命じられ、フォナーは危機を免れました。

その後は、ウィルソン・グレートバッチ(埋め込み型心臓ペースメーカーで有名)とともにMRI対応のペースメーカーを共同開発しました。さらに、縦型MRIを発明に成功し、アメリカ国内の15か所にMRIセンターを建設するなど普及するようになりました。

ダマディアンは苦戦しながらもMRI技術の基礎を作り上げたことが高く評価され、1988年(昭和63年)にはアメリカ国家技術賞を受賞、翌年の1989年(平成元年)には発明家の殿堂に選出されました。また、世界初のMRI全身スキャナ装置はスミソニアン博物館に寄贈されました。

2022年(令和4年)8月3日、レイモンド・ダマディアンは86歳でこの世を去りました。

 

今回は世界で初めてMRI全身スキャナ装置を作り上げた人物であるアメリカ人医学者のレイモンド・ダマディアンの生涯を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。現在では一般的となったMRIですが、発明には多くの研究者が非常に苦労していたことがわかりました。ダマディアンの発明したMRI全身スキャナ装置は直接がんを発見できる性能を持ち合わせていたわけではありませんでした。しかし、ダマディアンがMRI全身スキャナ装置の基礎技術を確立したことによって、医学が大きく進歩したことは間違いありません。現在では見つけられスムーズに治療へと移れる病気でも、かつてはそれができませんでした。MRIの発明によって私たちはより健康に生活しやすくになっています。このように発明の歴史を知ると多くの物事への見方も変わってくるのではないでしょうか。これからどのような発明が誕生してどのような世の中になっていくのか非常に楽しみですね。

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