【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー 印刷電信機とカーボン・マイクロフォンの発明家 デイビッド・エドワード・ヒューズ(通信技術を発展させた立役者)
2023.02.13
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちが普段何気なく使っている通信技術もそのひとつです。現在、私たちは遠く離れたところにいても、電話やメールで簡単に情報をやりとりできるようになりました。そんな無線通信の始まりは、18世紀半ばのアメリカでのこと。印刷電信機の登場によって、人々の通信は飛躍的に進化しました。そして、その印刷電信機を進化させ、より快適な通信を作り上げたのがデイビッド・エドワード・ヒューズです。ヒューズは印刷電信機のほかに、炭素の粉末を利用したカーボン・マイクロフォンの発明家としても知られています。今回は、そんなイビッド・エドワード・ヒューズの生涯を振り返っていきましょう。
デイビット・エドワード・ヒューズの生涯(電信印刷機の発明まで)
デイビッド・エドワード・ヒューズは1831年5月1日、ロンドンの音楽家のもとに生まれました。ロンドンに滞在していた期間はわずかであり、1838年に家族とともにアメリカのケンタッキー州に移住。ここから長い間、ヒューズはケンタッキーで過ごすことになります。ヒューズにはハープやイングリッシュコンサーティーナなど、音楽分野の高い素質がありました。その才能を遺憾なく発揮し、ケンタッキー州のバーズタウン大学で音楽と自然科学について学んだあと、1850年に同大学の音楽教授へと転身。音楽の才能もさることながら、物理的な分野にも才能があったため、音楽の教授をしながら自然科学の教授も務めるようになりました。
しかし、ヒューズはやがて音の伝達や拡大について関心を示すようになります。
ヒューズは、1854年に教育現場から身を引き、研究・発明の道に進みました。最初の発明をしたのは、1856年のこと。当時すでに発明されていた電信印刷機を改良し、新たな電信印刷機を発明したことがヒューズの発明家としての始まりです。
当時のアメリカでは、電信技術に注目が置かれていました。最初の電信機が発明されたのは、1846年のことです。サミュエル・ノーベルとアルフレッド・ヴェイルの手によって、短い電流と長い電流を用いる、いわゆる「モールス信号」を利用した電信機が発明されました。モールス電信機は、まず1844年にボルチモアとワシントン間、1849年にはミシシッピ川から東の州に開通しました。その後、モールス信号による電信技術を利用したテレタイプ端末がロイヤル・E・ハウスの手によって生み出されました。ハウスが発明した印刷電信機は、モールス信号を利用し、1分間に約30字を印刷できるものでしたが、大量生産は難しいという問題がありました。
そこで、ヒューズはこの印刷電信機を改良し、モールス信号を用いないモデルを開発しました。アルファベットを直接印刷でき、1分間に300字を印刷できるなど、当時の技術では画期的なものでした。この発明をきっかけに、電信事業は急速に集中化が進みました。1866年にはいくつかの電信会社が合併し、ウエスタンユニオンという会社が結成されました。ヒューズが発明した印刷電信システムはウエスタンユニオンの商用電報に採用され、アメリカにおけるヒューズの特許となっています。ウエスタンユニオンは、電信における市場をほぼ独占し、2万を超える事務所を立ち上げました。さらに1320万kmもの長さの電信線を引き、かなりの長距離に渡って通信を可能としました。アメリカはこの技術を余すことなく利用し、米墨戦争や南北戦争などの軍事利用や、株や商品の取引、さらには1866年の諸外国との外交など、各分野において幅広く使用されることになります。ヒューズが発明した電信印刷機はその後、1930年代まで使用されました。ヒューズはこの発明とともにイギリスに帰国し、多くの栄誉を受けることになったのです。
デイビット・エドワード・ヒューズの生涯(カーボン・マイクロフォンの発明)
ヒューズは母国であるイギリスに帰国したあと、さらに音の伝達や拡大・増幅について研究を進めました。そして1878年に、カーボン・マイクロフォンを発明。これは炭素の粉末を詰めた受話器の抵抗が振動によって変化する現象を利用したものであり、その後長く使用されることとなります。
遠距離での音声通話を史上初めて可能にしたのは、軽接触式のカーボンマイクだったと言われています。カーボンマイクは、イギリスのヒューズ、アメリカのエミール・ベルリナー、トーマス・エジソンによってそれぞれ独立して開発されました。カーボンマイクロフォンの特許を取得したのはエジソンですが、エジソンの特許取得以前からヒューズは多くの目撃者の前で発明を実演していたとか。「マイクロフォン」という言葉を生み出したのもヒューズだと言われています。そのため、多くの歴史家はカーボンマイクロフォンの発明者をエジソンではなくヒューズだとみなしています。また、ヒューズが発明したマイクロフォンはエジソンが発明した送話器の性能を超えるものであり、グラハム・ベルが立ち上げた「ベル電話会社」に買い取られるなど、各所で高い評価をえていたようです。ヒューズが発明したマイクロフォンは電話の原型となり、電話の発明に大きな意義を持つものとなりました。
エジソンは自身の発明で特許を取得しましたが、それとは対照的に、ヒューズは特許を取得しませんでした。自分の発明を、世界への贈り物としたのです。
ヒューズの発明は通信の世界において、多大な発展をもたらしました。ロンドンの王立協会はヒューズの偉業を称え、王立協会フェローに選出。1885年にはロイヤル・メダルを贈り、彼の栄誉を讃えました。また同協会は、ヒューズの名を冠したヒューズ・メダルという章も創設し、今もなお通信文化を発展させた立役者として、イギリスの歴史に名を刻んでいます。
現在、電信印刷機やカーボンマイクロフォンは、技術の進化により形を変え、ヒューズが発明したものはほぼ使われなくなっています。しかし、通信技術において発明のきっかけを作ったのは、間違いなくヒューズと言えるでしょう。ヒューズが発明したテレタイプ端末はそのほとんどが電子端末に取って代わられましたが、現在でも航空管制や聴覚に障害を持つ人の文字電話として使用されています。
今回は、電信印刷機やカーボン・マイクロフォンを発明したデイビッド・エドワード・ヒュースの生涯を振り返ってきました。ヒューズは音楽や自然科学の学問を深めるうち、音の伝達や拡大について興味を持つようになりました。今日のような通信技術が存在するのは、彼のおかげと言えるでしょう。遠く離れた場所にいても情報を伝達することができる、当時の人からすれば夢のような世界を、ヒューズは作り上げました。PCやスマートフォンなど、情報を送受信できる機械は今後ますます進化していくでしょう。その進化の起源に偉大な発明家がいたことは、忘れないようにしたいものですね。