ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくりヒストリー 自動機関銃+スプリンクラー+ヘアーアイロン+ネズミ捕り+蒸気ポンプの発明家 ハイラム・マキシム(ヴィッカース・サンズ&マキシム(現BAE システムズ・ランド・アンド・アーマメンツの創業者))

2023.01.20

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。かつて世界中で戦争が繰り広げられていたときには、いかに多くの敵兵を倒せるかが重要となっていました。そんなときに、従来の機関銃に比べ高性能な製品を発明したことで知られているのが、ハイラム・スティーブンス・マキシム(Sir Hiram Stevens Maxim)でした。マキシムが発明したマキシム機関銃は世界初の自動機関銃として知られ、弾丸を連続発射でき一丁で多数の敵兵を倒せるということからこれまでに比べ有用でした。機関銃以外にもヘアーアイロンやネズミ捕り、蒸気ポンプなどの研究でも成果を残し、数多くの特許を取得しています。それらは現在の私たちの生活で利用されているものもあり、身近に感じるのではないでしょうか。それらの発明は高く評価され、ライフ誌が1999年に選出した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の一人でもあります。そこで今回は、世界初の自動機関銃のマキシム機関銃を発明したことで有名なアメリカ合衆国の発明家、ハイラム・マキシムの生涯を振り返っていきましょう。

ハイラム・マキシムの生涯(マキシム機関銃の発明と普及)
1840年(天保11年)2月5日、ハイラム・マキシムはアメリカ合衆国メイン州のサンガービルという街で生まれました。マキシムが14歳になったときには、コーチビルダーの見習いとなっており、さらに10年後には叔父のリーバイ・スティーブンスがマサチューセッツ州で経営していた機械製作会社で働くこととなりました。
1866年(慶応2年)、マキシムは仕事でジョージア州のサバナにいました。ちょうどこのころはガトリング砲(アメリカ合衆国の発明家のリチャード・ジョーダン・ガトリングが発明した最初期の機関銃)が開発されたころでもありました。マキシムはサバナ滞在中に友人の誘いによって射撃練習場に行くことになりました。普段触ることのないスプリングフィールド銃(アメリカ合衆国で発明されたボルトアクション式ライフルであり第一次・第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など幅広く使用された。)を目にしました。その時にマキシムはスプリングフィールド銃の「射撃時の反動の大きさ」に驚き強く印象に残ったそうです。
「あのときに受けた射撃時の反動をうまく使えば必ず何かの役に立つ」と感じたマキシムは考え続けました。反動によって銃を自動で作動させることができると考えたマキシムは研究を開始しました。
1881年には仕事の関係でイギリスへ移り、研究を続けました。1883年(明治16年)6月と7月ついにマキシム機関銃へとつながる最初の特許を取得しました。同年の10月には招待客に向けて試作品が展示され公開されました。
さらに、マキシムは1883年(明治16年)から1885年(明治18年)にかけてガス式、反動式、ブローバック式の中の作動方法に関しても特許を取得しました。機関銃の実験はイギリスロンドン郊外のウェスト・ノーウッドで行われていました。この実験こそがマキシムが「必ず何かの役に立つ」と確信していたアイデアを実現するものでした。射撃によって生じた反動エネルギーをばねに蓄え、次の射撃へのエネルギーとして使用する設計でした。自宅周辺で実験を行うときには、銃声によって窓ガラスが割れてしまわないよう、窓を開放しておくようにあらかじめ新聞で警告していたそうです。
マキシム機関銃の試作品は、ヘンリー・モートン・スタンリー(イギリスのジャーナリスト、探検家。アフリカの探検で有名。)の主導によって、「エミン・パシャ救援」遠征隊に供与されました。ここでは1886年(明治19年)からおよそ4年間使用されました。当時のアフリカ諸民族はやりとたてを主要装備として使用していたため、この試作機関銃の効果は非常に絶大でした。
マキシムが発明した機関銃とその他の派生型の銃は大きなくくりで「マキシム機関銃」と呼ばれました。マキシム機関銃を正式に配備したのは1889年(明治22年)のシンガポール義勇軍部隊(かつてのイギリス植民地の一般人から成る義勇兵の防衛部隊)が世界で最初でした。
また、マキシムは資金援助を受けて、ケント州のクレイフォードに機関銃製造会社を設立しました。1897年(明治30年)にはヴィッカース(かつてイギリスに存在していた重工業メーカー)に買収され、ヴィッカース・サンズ&マキシムとなりました。
マキシムはイギリスに滞在する時間が長くなったこともあり、1899年(明治32年)にはアメリカ市民権を放棄しイギリス国籍を取得しました。
マキシム機関銃は20世紀に入ってからもヨーロッパの陸軍や海軍での段階的な採用、さらには第一次世界大戦でも使用されました。そのときドイツ陸軍が使用していたMG08重機関銃やロシア陸軍が使用していたPM1910重機関銃もマキシム機関銃の影響を受けていた製品でした。
ハイラム・マキシムは1916年(大正5年)11月24日、76歳のときにロンドンのストリーサムの自宅で息を引き取りました。

ハイラム・マキシムの数多くの発明品
ハイラム・マキシムは世界初の自動機関銃「マキシム機関銃」の発明家だと紹介しました。しかしそれ以外にも数多くの発明を世に残し、現在私たちが身近に目にするものもあります。ここではマキシムの他の発明について解説します。
まずはスプリンクラー装置です。スプリンクラーとは、ポンプから配管を通り消化水を建物内に送り込む装置で火事が発生したときに火が広がる前に消化を助ける機能を持っています。ある家具工場では火災が何度も発生しており、「再発防止策は何かないか」と相談されたマキシムは研究を開始し、世界初の自動スプリンクラー装置の開発に成功しました。この時発明された装置は火を消し、自動で消防署へも連絡するというものでした。当時は商品化されませんでした。しかし特許の期限が切れた後、有用性が認められ現在では広く使用されています。
その他には、美容家電として利用している方も多いヘアーアイロン、ネズミ捕り、蒸気ポンプなど数多くの発明を世に残してくれました。マキシムの父は2つのローターを利用したヘリコプターの実験をしていましたが、成功することは出来ませんでした。そんなこともあり、マキシムも飛行措置への関心があり、大型飛行機を用いた動力飛行機の実験も行いました。残念ながら、マキシムはこの実験で成功を収めることは出来ませんでしたが、非常に幅広い分野において研究を続け、科学技術の発展に貢献してくれた人物でした。

今回は世界初の自動機関銃「マキシム機関銃」を発明したアメリカ合衆国の研究者、ハイラム・マキシムの生涯を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。現在は人類史の負の遺産として広く認知されている戦争ですが、マキシムが発明した自動機関銃のアイデアは素晴らしいものであり、科学技術の発展に大きく貢献してくれました。さらに、マキシマム機関銃のみならず、スプリンクラー装置やヘアーアイロン、ネズミ捕り、蒸気ポンプなど、現在様々な場面で利用されている製品を発明した人物でもあります。多角的に私たちの生活を非常に豊かにしてくれました。毎日使用するような身近な製品となると、どのように誕生したのかなど考えることもほぼないでしょう。しかし、このように発明品の誕生秘話を知るだけでも多くの物事への見方が変わってきますね。これから先、どのような発明品が誕生して、私たちの生活がどのように変化していくのかとても楽しみですね!

アーカイブ