【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー NC工作機械の発明家 稲葉清右衛門と稲葉善治(日本を代表する電気機器メーカーであるファナックの創業者とその息子)
2025.10.20

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ファナックは、富士山のふもとに本社を構える電気機器メーカーです。工場の自動化設備を専門に開発を行っていて、世界でも最先端を行く企業として知られています。そんなファナックは、かつて富士通株式会社の計算制御部という部署でした。そこから子会社として独立し、「ファナック」として生まれ変わったのです。ファナックを独立へと導いたのは、富士通計算制御部においてNC工作機械の研究を主導した稲葉清右衛門です。彼はファナックの代表を務め、日本を代表する電気機器メーカーに育て上げました。清右衛門が退いた後、何回かの役員交代を経て彼の息子である稲葉善治も経営に携わりました。今回はそんな、稲葉清右衛門と稲葉善治の生涯を振り返っていきましょう。
稲葉清右衛門の生涯
稲葉清右衛門は1925年、 茨城県明野(現在の筑西市)で生まれました。旧制下妻中学校、旧制旅順高等学校を卒業し、東京帝国大学第二工学部精密工学科で機械工学を学びました。大学卒業後は現在の富士通の前身である富士通信機製造に入社し、茨城県下館工場に配属されて仕事を始めました。1965年、清右衛門は東京工業大学において、論文博士で工学博士号を取得します。この頃、彼は富士通の計算制御部にいました。電気油圧パルスモーターや数値制御器の研究開発に携わり、コンピュータによる数値制御の実現に大きく貢献しました。富士通はコンピュータの研究で一大企業として成長していき、世界的にも知られるようになっていったのです。
1972年、清右衛門は自身が率いる富士通の計算制御部を富士通の子会社として独立させ、富士通ファナックを立ち上げました。同年、ファナックはCNC(機械のコンピュータ制御を行う装置)を発表。CNCの登場自体は1950年代にすでになされていましたが、実用化までには長い年月がかかりました。世界のさまざまな企業がコンピュータ制御装置の開発に取り掛かり、業界の中で他社より先に抜け出そうと激しい競争を繰り広げていきました。1960年代になるとミニコンピュータの登場によってコンピュータの利用コストは激減しました。安価で高性能なコンピュータを誰もが使えるようになったことで、制御装置などの開発も飛躍的に進んでいきました。そんな中、ファナックが開発したCNCは高い人気を誇り、現在のファナックのCNCの売り上げは世界シェア5割、国内シェア7割という高水準を保っています。
1982年、富士通ファナックは「ファナック」へと社名を変更しました。その後も研究・開発を続け、ファナックは機械産業を牽引するポジションの企業として活動していきました。清右衛門は2013年に経営から離れ、引退から7年後の2020年に老衰のため亡くなりました。
稲葉善治の生涯
ファナックの経営は清右衛門の後、さまざまな人物が引き継ぎました。初代社長を務めた清右衛門は1995年までで、1995年〜1999年は野澤量一郎が、1999年6月〜2003年6月の間は小山成昭がファナックの経営を担いました。
小山成昭の後を継いだのは、清右衛門の息子である稲葉善治です。彼は1948年に茨城県真壁郡上野村(のちの明野町)で生まれました。はじめは川崎市立大戸小学校に通い、4年生のときに世田谷区立奥沢小学校に転校して越境通学し始めます。その後は世田谷区立桜丘中学校と都立新宿高等学校を経て、1973年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業。進路にファナックという選択肢はあったものの、父の清右衛門と一緒に働くことを嫌がった善治はいすゞ自動車に入社しました。
10年ほどのいすゞ自動車での勤務を経て、善治は1983年にファナックに入社しました。数年間の下積みの後、1989年に取締役へと上りつめました。それからは数年間をかけて常務、専務、代表取締役とステップアップしていき、2003年に代表取締役社長の座につきました。清右衛門が立ち上げ、成長させてきた会社を守り続け、さらなる成長をもたらしたのは彼の功績です。
現在、ファナックはCNCをはじめ、モーターやロボット、レーザーなどの商品や技術の開発に取り組んでいます。世界でもトップクラスのシェア率を誇るファナックが今後どのような新製品を打ち出していくのか、非常に楽しみです。
今回はファナックの創業者である稲葉清右衛門と、その息子である稲葉善治の生涯を振り返りました。富士通の部署から始まり、子会社として分離、独立を果たしたファナックの歴史は実に興味深いものでした。現在、機械工学の分野で最先端を走るファナック、その成長の鍵となったのは稲葉親子の尽力です。ファナックの製品を手にしたときや実際に利用するとき、創業ストーリーを思い出すとファンになってしまいますね。



