【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 電動機や有線電信の発明者 モーリッツ・フォン・ヤコビ(兄) と 楕円関数の研究をした数学者 カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ(弟)(モーリッツは発明家として、カールは数学者として活躍して歴史に名を残した天才兄弟)
2025.09.12

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。電気を用いた発明は、現代でもあらゆる場面で利用されています。電気をエネルギーや信号に変換できるようにした発明があったからこそ、今の私たちの便利な生活があるのです。電動機や有線電信の発展に貢献したのが、主にロシア帝国で活動したモーリッツ・フォン・ヤコビです。彼は弟に数学者のカール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビを持ち、それぞれの分野でお互いに功績を残しました。今回はそんなモーリッツ・フォン・ヤコビとカール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビの生涯を振り返っていきましょう。
モーリッツ・フォン・ヤコビ(兄)の生涯(電動機や有線電信の発明をして活躍する)
モーリッツ・フォン・ヤコビは1801年アシュケナジムの家に生まれました。
1834年、彼は比較的弱い回転・往復運動の装置を使って、初の本格的な回転式電気モーターを製作しました。当時の平均的なモーターと比較すると、ヤコブのモーターは飛び抜けた性能を持っていました。
1835年にドルパットに移ってドルパット大学で2年間教師として働き、その後はペテルブルクに移住してロシア科学アカデミーで機械を動かすための電磁力の用途を研究しました。
彼が行った研究は、モーターと発電機の電磁石の関係について調査し、電池から電気モーターへの電力の伝達についてです。研究の結果、ヤコビは最大電力定理を導き出しました。電池により消費される亜鉛の量を決定することでモーターの出力を試験し、ニコライ1世の資金援助により、1839年に電池を動力源とする28フィートの電気モーターボートを製造しました。
新型のモーターは初期のものよりも大きな出力があり、14人乗りのボートで広い川を横断することもできました。それからはモーター開発競争が激化し、1839年から40年にかけて、他の開発者も同様以上の性能のモーターを作ることに成功しました。
1838年、ヤコビは電型という技術を発見します。電気めっきにより印刷版を作成するという方法で、電池が動作する仕組みを反対にしたものです。最初は鉛の活字の型に由来し、印刷に利用されていました。
ヤコビはまた、電信の開発にも取り組みました。1842年から1845年にかけて、地下ケーブルを使用してサンクトペテルブルクとツァールスコエ・セローの間に電信線を建設する事業を手掛けました。
カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ(弟)の生涯(数学者として楕円関数の研究で活躍する)
モーリッツ・フォン・ヤコビが誕生した3年後、1804年にカール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビが生まれました。
カールはベルリン大学で学び、1825年に哲学博士の学位を取得しました。1827年にケーニヒスベルク大学で数学の員外教授となり、1829年には正教授に就任。1829年、楕円関数に関する古典的論文を著しました。この発見は、二回微分に関係する方程式を積分する際に必要となるものであり、数理物理学にとって大変重要なものとなりました。
楕円関数の研究では、ノルウェーの数学者ニールス・アーベルとライバル関係にありました。カールとアーベルは同時期に同じ研究テーマを扱い、競い合っていたことが知られています。アーベルはカールの一歩先を行っており、カールも彼の能力を賞賛していました。1829年にアーベルが逝去した後、カールが彼の研究を引き継ぎました。
カールは1842年まで正教授のポストについていましたが、激務のあまりカールは倒れてしまいます。そこからの数ヶ月間は、療養のためにイタリアで過ごしました。帰国後はベルリンに滞在し、国王から年金を受給して一生を暮らしました。
今回は、ロシアとドイツでそれぞれ活躍したモーリッツ・フォン・ヤコビとカール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビの生涯を振り返りました。モーリッツは発明家として、カールは数学者として、非常に大きな功績を残しました。兄弟で歴史に名を残すのは、本当にすごいことです。


