【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ライト兄弟より先に動力つきの航空機を発明した リチャード・ピアース(ライト兄弟が飛行に成功する9ヶ月前に、動力つきの航空機で離着陸に成功したとされているニュージーランドの発明家)
2025.08.12

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。航空機は、非常に長い歴史を持ちます。古来より人間は空を飛ぶことに対して強い憧れを持っており、自由に空を飛べる方法を模索し続けてきました。世界初の有人動力飛行に成功したのがアメリカのライト兄弟ということは、よく知られています。しかし実は、ライト兄弟よりも数ヶ月前に別の人物が飛行に成功していたという説も存在するのです。ライト兄弟が飛行に成功する9ヶ月前に、動力つきの航空機で離着陸に成功したとされているのがニュージーランドの発明家リチャード・ピアースです。彼は自転車や航空機など、数々の発明を残しました。今回はそんなリチャード・ピアースの生涯を振り返っていきましょう。
リチャード・ピアースの前半生(農業をしながら動力つきの航空機の発明に打ち込んで、短距離の飛行に成功する)
リチャード・ピアースは1877年、ニュージーランド南島のティマル近郊、テムカで生まれました。9人の兄弟がおり、ピアースは4番目の子でした。幼少期から、ピアースは発明の才能を発揮しました。工学の専門学校に通いたいと思っていましたが、長男のトムを医学校に通わせるための学費が必要であり、ピアースを本格的な工学の学校に通わせる余裕がありませんでした。その代わりに、両親は21歳になったピアースに約100エーカーの農地の使用権を与えました。以降13年間ワイトヒで農業をして暮らしましたが、やはり工学と発明に心を奪われていたピアースは本業もあまり熱を入れませんでした。
1902年、ピアースは航空機を発明し、何度か飛行を試みました。エンジンの出力不足のため、短時間の跳躍以上の結果は出せませんでした。翌年にはエンジンの設計を見直し、シリンダーの両端にピストンを付けることを試しました。ピアースが短時間であるものの飛行に成功していたことを裏付ける情報として、2回不時着をした目撃情報があります。ピアースの単葉機は3mほど上昇したのち、生垣にぶつかりました。ピアース自身は、動力離陸には成功したものの「操縦が効くには速度が低すぎた」と述べています。
その後、ピアースは飛行機に15馬力のエンジンを搭載し、滞空するための動力を獲得しました。完全に操縦が可能な飛行を目指すため、彼は飛行の改良を続けました。ピアースの設計は翼の形状が考慮されておらず、本人が望むような飛行は叶いませんでした。しかし、彼の設計自体はのちに完成した飛行機の設計図と完全に一致しています。
1963年に、ピアースのエンジン部品が発見され、それを元にしてレプリカが作られた。ピアースの飛行機のエンジンが15馬力であることは、このレプリカのテストの結果からわかりました。
リチャード・ピアースの後半生(諦めずに動力つきの航空機の発明に取り組むが成功せずに精神病になって亡くなる)
ピアースの業績は、当時はほとんど文書化されませんでした。新聞の記録は一切なく、写真はいくつか残っているものの日付がわからないものがほとんどです。こうした状況により、多くの人がピアースが飛行に成功した日時が1904年だと誤認していました。ピアースの技術は誰にも継承されず、存命中には業績を公的に認められることはありませんでした。彼はエルロンや軽量な空冷エンジンといった革新的な発明の特許を取得しますが、同業他者にとってはまったく影響のないものでした。
また同年、ピアースは垂直なクランクギアと自働膨張タイヤを備えた自転車を製作し、特許を取得しました。さらに続いて彼は2気筒の「オイル・エンジン」を設計・製作し、これを単葉機に搭載しました。ピアースの単葉機は三輪の降着装置を備え、竹で組まれた主翼は翼面にリンネルが張りました。翼の形状は工夫されておらず、操縦性能も未完成でしたが、外形的にはライト兄弟の飛行機よりも先進的なものでした。
1911年ごろ、ピアースはオタゴのミルトンに移りました。ミルトンは起伏の多い土地柄のため、ピアースは飛行実験を断念せざるを得ませんでした。実験器材の大半は農場のゴミ捨て穴に投棄されました。しかし、ピアースは各種実験を続けました。
1930年代、40年代を通してピアースはティルトローターを持つ飛行機械の開発に取り組みました。これは後世のオートジャイロやヘリコプターに近く、単葉の主翼と尾翼も備えていました。ピアースはこれを空陸両用の乗り物として活用するつもりでした。
この時期から、ピアースは精神的な疾患を抱えるようになります。外国のスパイが自分の発明を狙っていると感じ、1951年にクライストチャーチのサニーサイド精神病院に収監されました。この2年後、ピアースは死亡しました。彼の遺物や飛行機のレプリカは、オークランドのニュージーランド輸送技術博物館およびティマルのサウス・カンタベリー博物館に展示されています。ティマルの空港には、彼にちなんでリチャード・ピアース空港との名が付けられています。
今回は、ライト兄弟よりも早く飛行に成功し、現代的な航空機の設計をしていたリチャード・ピアースの生涯を振り返りました。彼の功績がきちんと伝えられていれば、歴史に名を残したのはライト兄弟ではなく彼の方だったのかもしれません。


