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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 人力で駆動する潜水艇を発明した オットー・ウィフテルレ(人力で駆動する潜水艇を発明して潜水実験に成功するが破産してしまったが政治家に復帰して活躍した、スペインの芸術家や文化人でもあった発明家)

じっくりヒストリー IP HACK

2025.07.22

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。潜水艇は、観光や調査などさまざまな用途で利用されています。水中で作業ができる潜水艇が登場したことで、海の研究は格段に進むようになりました。1858年、人力で駆動する先駆的な潜水艇である「イクティネオⅠ」が、1864年には後継機である「イクティネオⅡ」が発明されました。このふたつの潜水艇を発明したのが、カタルーニャの技術者ナルシス・ムントリオルです。彼は芸術家や文化人という側面も持っており、出版業界で活躍しながら発明も行ってきた人物です。今回はそんなナルシス・ムントリオルの生涯を振り返っていきましょう。

ナルシス・ムントリオルの前半生(共産主義運動に取り組むが挫折して科学技術の方向に転向する)

ナルシス・ムントリオルはスペイン、カタルーニャ地方の都市フィゲーラスで生まれました。サルベーラの高等学校に通い、1845年にはマドリードで法学の学位を取得しました。

卒業後は法曹界に進まず、ムントリオルは文筆・出版業の道を選びました。1846年、出版社を起業してラディカル思想(フェミニズム、平和主義、ユートピア的共産主義)を問いかける雑誌やパンフレットを刊行しました。社会に対する問題提起を行い続けたムントリオルは、スペイン初の共産主義運動や女性の社会的地位の向上に向けた新聞を刊行するなどして、広くその名前を広めていきました。

共産主義運動は、友人であるイルデフォンソ・セルダらとともに行いました。ムントリオルはフランスの思想家であるエティエンヌ・カベのユートピア思想の熱心な支持者でもあり、刊行した新聞の中でその思想を広め、カベのユートピア小説『イカリアへの旅』をスペイン語に翻訳しました。

1848年、ヨーロッパでは各地で革命運動が起こり、ウィーン体制は崩壊しました。この革命でムントリオルの刊行物は政府の弾圧を受けることになり、彼自身も一時フランスへ亡命することを余儀なくされました。1849年にバルセロナに戻ったものの、政府により出版活動が制限されたため、代わりにムントリオルはその精力を科学と技術に向けました。

ナルシス・ムントリオルの後半生(人力で駆動する潜水艇を発明して潜水実験に成功するが破産してしまったが政治家に復帰して成功する)

ムントリオルは一時期、カダケスに滞在していました。そこで彼は珊瑚を採集する作業員が溺死する場面に遭遇し、水中を安全に航行できる船の作成を思いつきました。水中を航行する潜水艇というアイデアは突飛なもので、初めは周囲の理解を得られませんでした。またムントリオルはそれを実現するための資金も持ち合わせていなかったため、まずは資金集めに奔走することになります。潜水艇の開発を行うための営利企業を立ち上げ、彼の構想に賛同する友人やスポンサーを募って資金提供を受け、12年という時間をかけてついに最初の潜水艇である「イクティネオⅠ」が1858年に完成しました。

水中を航行するために最適な船体形状を求めた結果、内部耐圧殻を楕円形に、外殻を魚体形にするという方法に落ち着きました。これによって耐圧と操舵性を兼ね備えた、人が乗って操縦するのに最適な潜水艇が出来上がったのです。

1959年にバルセロナ港で行われた最初の実験は失敗し、一部を損傷することになりますが、すぐに応急処置と対処法を見つけてその後も何度も潜水を行いました。造船業者やムントリオルが立ち上げた組織の共同経営者などを乗船メンバーとして、徐々に潜水深度を増やしていき、最大で20mの深度にまで達することができました。しかしこの潜水艇は動力を人力に頼っていたため、十分な速度を出せないことが課題でした。

1860年の公開実験では400人の観衆が集まり、視察に来ていたレオポルド・オドネル将軍はムントリオルへの援助を約束しましたが、これは口約束であり実際に政府からの支援は送られませんでした。ムントリオルは資金確保のために国民に寄付を募ると、スペイン本土・キューバの市民から計30万ペセタの寄付金が集まりました。

イクティネオ I は約50回の潜水試験に耐えましたが、1862年貨物船に衝突されて破壊されてしまいました。

スペイン国民が人間が乗って航行できる潜水艇の登場に熱狂している間、ムントリオルはすでに次の発明を考えていました。イクティネオ I はあくまでも実験的なものであり、より高性能な後継機の製造を計画していたのです。1864年、非大気依存推進を可能にした世界初の潜水艇である「イクティネオⅡ」が完成しました。内燃機関をエンジンに活用し、格段に性能を進化させた機体の登場に多くの人の期待が集まりました。しかし、イクティネオⅡの開発にかかった資金は莫大であり、これまでに集めた資金をほとんど注ぎ込んでしまった上に、その後にイクティネオⅡを改良できる余地がなくなってしまいました。会社は破産し、ムントリオルは唯一の財産であるイクティネオ II を債権者に引き渡さねばなりませんでした。新しい所有者は、税金逃れのためにイクティネオⅡを分解してスクラップとして売り払ってしまいました。現在、イクティネオ II のレプリカはバルセロナの港で見ることができます。

1868年、ムントリオルは政治活動を再開しました。連邦党の党員として、スペイン第一共和政の議会で議員として働きました。議員を辞めた後はマドリードの国立切手製造所の所長となり、数ヶ月の時を過ごしました。ここで彼は粘着紙の生産速度の向上に努めたほか、書類のコピー装置、連続的印刷機、独自の速射砲、蒸気機関の能率向上法、石切り機、肉の保存法、紙巻きたばこ製造機などを発明しました。

1885年、ムントリオルはバルセロナ近郊で死去しました。

今回は、初めて非大気依存推進が可能な潜水艇を発明したナルシス・ムントリオルの生涯を振り返りました。実際に目にした光景をもとに、課題を解決するための発明を実現した功績は実に大きなものです。資金難に苦しみ、最後は自身の発明を手放すことになってしまいますが、彼の発明があってこそ今の潜水艇があることは忘れないようにしたいですね。

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