ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ジェットエンジン搭載機の発明者 アンリ・コアンダ(揚力の原理である「コアンダ効果」を発見して世界初のジェットエンジン搭載の飛行機「コアンダ=1910」を発明した天才発明家)

じっくりヒストリー IP HACK

2025.06.02

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。飛行機には、さまざまな動力の種類が存在します。ジェットエンジンを用いるものはジェット機と呼ばれ、戦闘機や旅客機として利用されてきました。世界初のジェット機として知られているのは、ルーマニアで1910年に発明されたコアンダ=1910です。コアンダ=1910を発明したのが、ルーマニアの発明家アンリ・コアンダです。今回はそんなアンリ・コアンダの生涯を振り返っていきましょう。

アンリ・コアンダの前半生(軍隊を退役して航空工学を学び、揚力の原理である「コアンダ効果」を発見する)

アンリ・コアンダは1886年、ルーマニアのブカレストで生まれました。大家族の次男であり、教師を務める父親と医師の家系を継ぐ母親から十分な教育を受けて育ちました。コアンダは3年間の中等教育の後、コアンダを軍務に就かせようとした父によって軍学校に転校することになります。コアンダは曹長の階級を獲得して卒業し、卒業後は海軍学校で兵器に関する研究を続けました。1904年には砲科連隊と一緒にドイツへ派遣され、ベルリンのシャルロッテンブルク工科大学(現在のベルリン工科大学)に入学しました。

コアンダは火器を扱う軍官として教育を修了しましたが、彼は軍務というより航空機の製作に関心を抱いていました。1905年、ルーマニア陸軍で投射飛行機を製作し、1907年から1908年の間にはベルギー、リエージュのモンテフィオーレ大学で研究を行いました。1908年、コアンダはルーマニアに戻って現役士官として第二火器連隊で軍務に就きました。ところが、やはりコアンダの気持ちは発明の方に傾いており、軍事訓練には身の入らない状態が続きました。最終的にコアンダは自ら退役を志願し、これが認められて軍隊を去ることになったのです。

軍人の頃は訓練の日々で、コアンダは十分に自由な時間を得られませんでした。軍務から解放されたコアンダは、車でイスファハン、テヘラン、チベットを巡る旅に出ました。初めて目にする景色や人々との関わりは、コアンダに新たな刺激をもたらしました。旅を終えたコアンダは1909年にヨーロッパに帰り、パリに移りました。パリでは新設された国立航空宇宙大学院大学に入学し、一年後に航空工学のクラスを首席で卒業しました。

それから、コアンダは技師のギュスターヴ・エッフェルやポール・パンルヴェから援助を受け、空気力学の実験を始めました。ある実験では、時速90kmで走る列車の外側に装置を取り付けて空気抵抗などを観察して空気の動き方を分析しました。また別の実験では風洞で煙と天秤を用いて、設計中の飛行機に最適な翼の形状を模索していきました。この実験によって、流体が曲面に沿って流れるときに、その曲面に引き寄せられるように動くことが発見されました。この性質は「コアンダ効果」と呼ばれ、流体力学を用いた発明を大きく進化させるきっかけとなりました。

アンリ・コアンダの後半生(世界初のジェットエンジン搭載の飛行機「コアンダ=1910」を発明するが、飛行実験で墜落して死にかける)

1910年、コアンダは初のモータージェット搭載機を製作しました。「コアンダ=1910」と名付けられたこの飛行機は4気筒のレシプロエンジンを用いて圧縮機を動作させ、そこから燃焼室に空気を送ることでジェットによる推進力を得る仕組みのもので、コアンダはこれをパリで開催された第二回国際航空工学展覧会に出展しました。パリ近郊のイシィ・レ・ムリノー空港で飛行実験を行ったところ、操縦はコントロールを失い、滑走路から外れた機体は転倒し炎上しました。コアンダはすんでのところで脱出に成功し、顔と手に軽傷を負った程度で済みました。しかしこの実験によって、市民や科学技術関連団体のジェット機への興味は失われていきました。コアンダへの援助も打ち切られることになり、資金が乏しくなったコアンダは実験を中止せざるを得ませんでした。

1915年、コアンダは再びフランスへ行き、第一次大戦の間サン=ドニのドゥロネー・ベルヴィル社で働きました。ここでは三種類のプロペラ機を設計し、そのうちひとつはコアンダ=1916と名付けられました。

戦闘が激しくなると、コアンダは旅行に出発してジェットそりや豪華空力鉄道列車などを発明しました。1934年にはコアンダ効果に関する特許がフランスで認可され、翌1935年にはコアンダ効果を活用し、新型のホバークラフトを考案しました。

1969年、コアンダは故郷のルーマニアに戻りました。ルーマニアでは科学・技術創造研究所で指導者のポストを与えられ、後進の育成に力を入れました。この組織は1971年に再編され、ブカレスト総合工業大学の航空宇宙工学科となり、宇宙産業を支える機関となっていくのです。

1972年、コアンダは86歳で生涯を終えました。彼が航空業界に残した功績は大きく、アンリ・コアンダ国際空港にその名前が使用されています。

今回は、世界初のジェットエンジン搭載機を発明し、流体力学の重要な性質である「コアンダ効果」を発見したアンリ・コアンダの生涯を振り返りました。ジェット機自体は実用化とはならなかったものの、実験によって彼が発見したものは大きく、その後の航空機の発明に決して小さくない影響を与えました。興味のある物事に心血を注ぎ、新しい発見をしていく姿勢はぜひ見習いたいものですね。

アーカイブ