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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 周波数ホッピングを発明した へディ・ラマー(ハリウッドで活躍する大女優でありながら発明家としても大きな功績を残した美貌の発明家)

IP HACK

2025.03.24

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。無線通信技術のひとつ、周波数ホッピングはスペクトラム拡散の一種です。傍受や妨害に強く、はじめは軍事用の技術として発明されました。周波数を一定の規則に従い高速に切り替え、送受信機間で通信を行うため多くの周波数で接続でき、情報の拡散にも利用されています。周波数ホッピングを発明したのは、ウィーン出身で女優かつ発明家のへディ・ラマーです。彼女はハリウッドで活躍する大女優でありながら、発明家としても大きな功績を残しました。今回はそんなへディ・ラマーの生涯を振り返っていきましょう。

へディ・ラマーの前半生(女優として成功して富豪と結婚するが、ハリウッドに逃げ出す)

へディ・ラマーは1914年、オーストリアのウィーンで誕生します。両親はユダヤ系で、父は銀行員、母はブダペストの上流階級でピアニストをしていました。由緒ある家に生まれたラマーは上質な教育を受け、淑女として育っていきました。

ラマーは女優を目指して、10代のうちにウィーンを離れ、ベルリンへ演劇の修行を積みにいきました。プロデューサーのマックス・ラインハルトの助けを借り、俳優業をするための技術を磨いていったのです。修行を終えたラマーはウィーンに戻り、映画に出演するための活動を精力的に行いました。17歳のときに端役で映画に初出演し、それからはスターダムを駆け上がっていくことになります。

19歳のとき、ヒルテンベルク弾薬工場(現在のヴェラースドルフ製作所)を所有するフリッツ・マンドルと結婚。マンドルはユダヤ系の血を引いていながら、ドイツのナチス政権、そしてイタリアのファシスト党と親密な関係にありました。彼の工場で製造される兵器が軍にとって非常に利用する価値のあるものだったためです。職業柄、マンドルには軍需ビジネスに参加する機会が多く、ラマーもよく同席していました。このことがきっかけで、ラマーに応用科学分野の知識が蓄えられていったのです。

しかし結婚生活はうまくいきませんでした。マンドルは嫉妬深い性格で、濡れ場シーンのある映画に出演させたくない気持ちからラマーを自宅に幽閉してしまったのです。女優として活動したいラマーは、マンドルとは別れることを決意します。同時期、オーストリアではアンシュルス(オーストリア併合)の影響でナチスが勢力を拡大しつつありました。そのような状況もあり、半ば監禁状態にあったマンドルの家から抜け出し、パリへ向かいました。パリでは映画プロデューサーのルイス・B・メイヤーと出会い、それまでの芸名「ヘディ・キースラー」から改名し「へディ・ラマー」を名乗り始めました。その後はハリウッドに渡り、数多くの作品に出演してファンを楽しませました。

へディ・ラマーの後半生(女優として活躍しながら周波数ホッピングを発明して特許を取る)

女優として活躍しながら、ラマーは発明家としても才能を発揮しました。発明家になったばかりの時期、ラマーは交通信号機の改良型と水に溶かして炭酸水を作る錠剤を作りました。

第二次世界大戦中、ドイツとイギリス・フランスは激しい戦いを繰り広げました。陸地以外にも空中戦や海上戦など、ヨーロッパのあらゆる場所が戦場と化していたのです。この時期、連合国側にとって魚雷を無線で誘導するシステムが海上戦を有利に進める有利に進めるうえでのキーアイテムとなっていました。しかし枢軸国側も戦闘の主導権を渡さないため、通信妨害で守備力を強化していました。連合国側は、枢軸国の戦艦を思うように撃墜できず苦戦を強いられました。

このことを知ったラマーは、友人の作曲家ジョージ・アンタイルと協力し妨害に対策できる無線誘導システムの開発を試みました。ピアノロールの仕組みを参考に、周波数を頻繁に変更できるシステムを設計します。これがスペクトラム拡散のひとつ、周波数ホッピングの誕生です。1942年、マラーは周波数ホッピングに関する特許を取得しました。

画期的な無線システムの登場にもかかわらず、アメリカ海軍はしばらく周波数ホッピングを採用しませんでした。アメリカ海軍は外部からの発明を受け入れにくい体制であり、そもそも周波数ホッピングの実装自体も困難だったためです。結局第二次世界大戦中には導入されず、キューバ危機の際に初めて周波数ホッピングが使用されました。

この技術は現代の周波数ホッピングスペクトラム拡散技術の前身の1つであり、その原理はWi-Fi・GPS・Bluetooth・携帯電話などの技術にも応用されています。周波数ホッピングを発明した功績を讃えられて、彼女は1990年代のEFF Pioneer Awardを受賞しました。また、2014年に彼女はアンタイルとともに「全米発明家殿堂」入りを果たしました。

1953年、ラマーはアメリカに帰化しました。その後数年にわたって、ラマーは数回万引きで逮捕されます。出演作の版権を巡って裁判で争ったこともあり、話題には事欠かない人生でした。2000年、ラマーは心臓の病気でその生涯を終えました。彼女を偲び、ウィーンの中央墓地には「名誉墓」が建てられています。

今回はハリウッド女優として多くの映画に出演しながら、発明家としても多大な功績を残したへディ・ラマーの生涯を振り返りました。軍事用に開発した周波数ホッピングの技術は、その後の無線通信技術の発展に寄与しました。彼女の人生は数奇な巡り合わせで、実に波乱万丈だったといえます。現在使われている技術の歴史を振り返ると、新しい発見があって面白いものですね。

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