【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 電子楽器を発明した ルイージ・ルッソロ(現代的なテクノミュージックのきっかけを作った芸術家兼発明家)
2024.11.18
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちが耳にする音楽の中には、電子的な効果を用いて効果的な演出を起こす方法が存在します。このような音楽を「電子音楽」といい、現代音楽の一種として知られています。電子音楽の始まりは、19世紀の終わりごろです。時代の流れとともに、楽器の構造はより複雑で豊富な音色が出せるようになり、それに伴って音楽自体の構造も発展していきました。同時に、電子工学の発展が電子音楽を生み出すきっかけとなりました。電子機器の発明が盛んになると、電子楽器の開発も行われるようになっていったのです。このような電子音楽について、最初に理論として発表したのがイタリアの音楽家ルイージ・ルッソロです。彼は電子楽器の発明のほか、「騒音」を奏でるインナトルモーリを発明しました。今回はそんな、ルイージ・ルッソロの生涯を振り返っていきましょう。
ルイージ・ルッソロの前半生(未来主義の芸術運動に参加する)
ルイージ・ルッソロは1885年、ヴェネト地方のポルトグルアーロに生まれました。父親はラティザーナの教会楽長を務め、大聖堂でオルガニストと指揮者を両立する音楽家でした。偉大な音楽家の父のもとに生まれたことで、兄弟たちはみな音楽の道に進みました。ルッソロの兄アントニオも音楽家として活躍しました。そんなルッソロは、音楽だけではなく芸術を幅広く学んでいきました。
未来主義は、それまでの芸術を徹底的に破壊し、機械化による近代社会を称える前衛芸術運動です。イタリアで未来主義が起こった背景にあるのは、中世ヨーロッパでの産業革命による封建主義から資本主義への転換でした。工業が機械化されていく中で、戦争で使われる兵器も次々に生まれました。社会不安の高まりによって、作品の中に感情を反映させる表現主義芸術が興隆し始めたのです。ルッソロも、絵画や音楽などの自分の作品に未来主義の影響を多分に受けました。
1901年、ルッソロはミラノへ。ブレラ美術館に足繁く通い、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にてレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の修復作業に参加しました。ルネサンス期の素晴らしい芸術に触れたルッソロは、自らも創作活動を始めます。処女作には点描技法を用いて、都会や産業界を幻想的に描きました。未来派運動を信奉して、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティに師事しました。
ルイージ・ルッソロの後半生(騒音を奏でる「インナトルモーリ」という楽器を発明する)
ルッソロは1913年、『騒音芸術』と題した論文を発表します。この論文の中で語られたのは、楽器から出る音色だけでなく、生活音や日常にある機械音などを取り入れた音楽についてのことです。ルッソロは騒音芸術を実現するために、実際に騒音を奏でる「インナトルモーリ」という楽器を発明しました。車輪がドラムに取り付けられた弦に触れることで音を出すという仕組みで、合計27種類ものインナトルモーリが制作されました。これがのちのノイズ・ミュージックの先駆けとなり、ルッソロは最初のノイズ・アーティストとしても知られています。ノイズ・ミュージックはやがて電子的な音楽へと発展していきます。現代的なテクノミュージックのきっかけとなったともいえるでしょう。
インナトルモーリのオリジナルは、第二次世界大戦中のパリへの爆撃によって失われてしまいます。しかしオリジナルのスケッチやオリジナルの楽器の録音といった特許資料などが残されていたため、8基の複製が作られました。
1941年、ルッソロは再び画家として活動し始めます。「古典的モダニズム」と称する画風を特徴とする絵画を生み出しますが、1年ほどで創作から退きました。1947年、ヴァレーゼ県のチェッロ・ディ・ラヴェノでその生涯を終えました。
ヴァレーゼ県のルッソロ=プラテッラ財団は、ルッソロを記念して、電子音楽作曲コンクールを毎年開催しています。ルイージ・ルッソロ電子音楽賞は、電子楽器の分野において最も栄えある賞の一つとして知られています。
今回は最初のノイズ・アーティストとされているルイージ・ルッソロの生涯を振り返りました。彼の発明した楽器インナトルモーリのオリジナルは戦争によって失われてしまいましたが、その複製は現在も残されています。ルッソロの生い立ちについて記された資料は少ないですが、電子楽器の分野で彼を称える声は決して小さくありません。