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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 超小型カメラを発明した ヴァルター・ツァップ(超小型カメラの名作「ミノックス・システム」で人気を博したミノックス社の創業者)

IP HACK

2024.11.22

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ミノックスは、ラトビアで創業された光学機械メーカーです。主力商品は小型カメラで、男性の手のひらに収まるほどの小ささと高性能を実現したことから人気を集めています。多くの種類のカメラシリーズが作られ、日本にも参入しています。ミノックスを立ち上げたのは、ドイツの光学技術者ヴァルター・ツァップです。彼はミノックスシステムの発明をもとに会社を作り上げました。今回はそんなヴァルター・ツァップの生涯を振り返っていきましょう。

ヴァルター・ツァップの前半生(相次ぐ戦争に振り回されて悲惨な生活を送る)

ヴァルター・ツァップは1905年、ラトビアのリガで、バルト・ドイツ人商人の子として生まれました。この年、ロシア帝国第一革命の影響を受けてツァップは家族とともに亡命します。ラトビアが攻撃を受けることになった背景には、ロシア帝国の支配を受けていた歴史がありました。

1710年から1795年の間、ロシアの大北方戦争とポーランド分割の成功により、バルト・ドイツ人の居住地区はロシア帝国のバルト行政区域となりました。しかし、バルト地域は地元のドイツ語を話す貴族、そして西のドイツ公国からの近年の移民により自治が維持されていました。

1803年にはナポレオン戦争が勃発。これはプロイセン王国の勝利で終わり、ドイツ人は独立を手にします。ドイツ民族の意識はより一層高まり、ドイツ国家が国中で歌われるようになりました。しかしこの時代のバルト・ドイツ人の間では、ドイツ民族意識とともに、王侯貴族と中産階級の階級対立も同時に存在しました。民主化を求めて王侯貴族と対峙した市民は1848年革命を起こし、その結果一定の民主化が行われたのです。その後1871年のドイツ帝国成立においてはバルト海沿岸の「バルト・ドイツ」も帝国領とされました。

1880年代には、ロシア化でドイツ語の施政や教育に代わりロシア語の使用が促され、ドイツ人のマイノリティの権利は廃止されてしまいます。そして1905年、ロシア第一革命により、バルト・ドイツ人の地主への攻撃が起こりました。領地は燃やされ、貴族階級のメンバーへの殺害や拷問が、地元住民でなく外部の革命隊により執行されました。バルト・ドイツ人は第一次世界大戦中、ロシア人からは敵と見なされ、ロシアに忠誠心があればドイツ帝国側からは裏切り者扱いされたのです。

ヴァルター・ツァップの後半生(印刷工場で働きながらカメラの研究をして超小型カメラ『ミノックス』を発明する)

ツァップがリガに戻ってきたのは、1918年のことでした。リガで3年ほど過ごし、1921年にはエストニアに移住しました。革命の影響で職を失ったツァップは、職業安定所で失業登録をしていました。仕事を探していたところに写真技師のアトリエを紹介してもらい、ツァップは写真についての技術を磨いていくことになるのです。

またこの当時、ツァップは学生という立場でもありました。美術工芸学校に通い、絵画や印刷を学びました。しかし17歳のとき、神経症を理由に学校を退学して、伯父が経営する印刷工場でリトグラフを身につけました。これらの経験から、ツァップはカメラへの興味を膨らませていきます。

1924年、19歳のツァップは最初のカメラのモデルとして「印画紙断裁機」を発明し、特許を出願します。発明家としての才能を発揮したものの、24歳で肺結核に罹ってしまいます。咳の症状と戦いながらも、カメラへの探究心が薄まることはありませんでした。1932年、写真家の友人ニキシーの紹介でカメラ研究家のR・ヤーゲンスと知り合い、2人は共同で超小型カメラの開発に着手します。1936年、ついに超小型カメラ『ミノックス』が誕生します。原型となったミノックスを見たVEF社のテオドール・ウィトルツは、ミノックスを製造する契約を結び、さらにツァップに開発資金として3,000ドルを計上します。こうして、VEF社に所属する65人以上のスタッフが製造することになるのです。1939年までに、ミノックスは17,000台を製造販売しました。

1941年、第二次世界大戦の影響でソ連軍がラトビアに進駐してきます。このためツァップはラトビアを離れ、ベルリンのIG・ファルベンインドゥストリーに入社します。戦争が終わった1945年、ツァップとヤーゲンスは共に現法人の所在地であるヴェッツラーに移転し、ミノックス社を設立します。1946年にはリン家の援助で会社を再建し営業・製造を本格的に開始。その後多数の名機を製造販売し、「ミノックス・システム」を構築しました。

現在に至るまで、超小型の高性能カメラを開発・製造し続け、ミノックスは世界中で人気のカメラシリーズとなっています。

2003年、ツァップはスイスのビンニンゲンで天寿を全うしました。享年97歳でした。

今回は、超小型カメラのミノックスを発明し、これを製造販売するミノックス社を創設したヴァルター・ツァップの生涯を振り返りました。バルト三国のひとつラトビアで生まれたツァップには、周辺国家との争いに巻き込まれて祖国を離れた時期もあります。結核や第二次世界大戦といったハードルをいくつも乗り越えて、現在も多くの人に愛されるカメラを作り上げたことは、尊敬に値します。今の時代、写真を撮る方法といえばスマートフォンが主流となっていますが、たまにカメラを手にして写真を撮ってみるのもよいかもしれませんね。

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