【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 「空飛ぶ船」を発明した フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィ(トリチェリによる真空の発見に刺激されて「空飛ぶ船」を発明したが、実用化には失敗した可哀想なカトリックの司祭)
2024.09.24
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。空中を浮遊して移動する飛行機や気球も、先人たちの研究によって生み出されました。こうした発明品の数々は、それまでに多くの失敗を繰り返しながら現在の形を作り上げてきたのです。そんな中、16世紀には「空気より軽い航空機」という構想が生まれました。真空状態を利用して浮力を得ようとしたこの航空機は、結果的に実用化には至りませんでしたが、のちに熱気球を発明するモンゴルフィエ兄弟よりも早い段階で空を移動できる可能性を示しました。空気より軽い航空機の構想を史上初めて示したのは、イタリアの発明家フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィです。彼はトリチェリによる真空の発見、それを受けてのオットー・フォン・ゲーリケのマクデブルクの半球の実験に刺激を受け、航空機を作ることに挑戦しました。テルツィはさらに、点字の先駆けとなる暗号システムの発明でも知られています。今回はそんなフランチェスコ・ラナ・デ・テルツィの生涯を振り返っていきましょう。
フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィの前半生(トリチェリによる真空の発見に刺激されて「空飛ぶ船」を発明する)
フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィは、1631年イタリアのブレシアで生まれました。イエズス会員としてカトリックの司祭を務めながら、発明家としても活動していました。テルツィの大きな功績として知られているのが、真空を活用した「空気より軽い航空機」という構想です。1670年、テルツィは「草案段階にある幾つかの新発明に関する問題または小論」という書籍を出版し、その中で丸木舟のような木製の船体を持つ「空飛ぶ船」について記したのです。
それまで、真空の存在については議論が交わされていました。そんな論争は、1643年のエヴァンジェリスタ・トリチェリによる真空の発見によって終止符を打たれました。トリチェリは、実験によって真空状態を再現することに成功しました。片方の端が閉まった状態の試験管に水銀を満たし、試験管を垂直に立てると、水銀は下に沈みわずかな空間ができたのです。この空間は空気がない状態であり、真空状態は自然界の中にも存在することが証明されました。この発見を受けて、オットー・フォン・ゲーリケは1654年にふたつの半球をくっつけて中身を真空にすると、半球を引き離すのにかなりの力がいるという実験を行いました。この実験はマクデブルクの半球と呼ばれ、科学史の大きな出来事として知られています。マクデブルクの半球が大きな意味を持ったのは、真空状態だけでなく、気圧が見つかった瞬間でもあったからです。
フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィの後半生(「空飛ぶ船」の実用化に失敗する)
このような真空の発見を受けて、テルツィは空気よりも軽い航空機という構想を練り始めました。ほとんどの構造は一般的な帆船と同様ですが、通常のものと異なる点は小さなマストにくくりつけた球体を真空状態にし、周囲の空気との気圧差で浮力を得るという仕組みです。乗員6人分と船本体の重量が持ち上がる計算とされていましたが、当時の技術力ではこれを完成させるには至りませんでした。小さなマストに取り付ける球体の内部が真空になっている必要がありましたが、巨大な船を空中に浮かび上がらせるのに十分な数の球体を作れなかったためです。結局、テルツィの航空機は構想段階で頓挫することになります。テルツィ本人はこの航空機の製作中、軍事的な利用についても言及していました。
真空飛行船の可能性についてはそれからも研究が進められていきましたが、1710年に完全に不可能であることが証明されます。ゴットフリート・ライプニッツは、船を浮かせるのに必要な量の球体を作れたとしても、球体自体の強度が足りず大気圧に負けて潰れることを明らかにしたのです。しかしこの取り組みは、のちの航空科学に大きな影響を与えました。テルツィが構想した航空機の模型は、ワシントンのスミソニアン博物館に展示されています。
テルツィはまた、点字を生み出すきっかけとなった発明も行っています。「草案段階にある幾つかの新発明に関する問題または小論」の中の「盲人のための独習可能な記法、あるいは秘密を隠すための暗号」という章で、アルファベットを3つ以内の点と3本以内の線で組み合わせて表記する方法を発表しました。これがきっかけとなり、のちに目の見えない人が文字を理解するための点字システムが作られました。
今回は、真空状態を活用して浮遊船を作ろうとしたフランチェスコ・ラナ・デ・テルツィの生涯を振り返りました。実用化とはならなかったものの、知識も技術も発展途上という時代にゼロからアイデアを生み出していった彼の頭脳には尊敬の念を抱きます。さらに点字の先駆けとなる発表をするなど、副産物的な功績ではありますが世の中のためになる発明をしたテルツィには感謝したいですね。