【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ボルタ電池を発明した アレッサンドロ・ボルタ(電位と電荷は比例することを発見して、電位差=電圧の単位がボルトと名付けられた天才研究者)
2024.09.13
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。電池は、人々の生活に欠かせない道具として知られています。近くに電力がなくても、ためた電気を携帯できるようになったことで、緊急時の非常用電力という使い方もできるようになりました。電池の発明には長い歴史があり、その始まりは紀元前250年ごろにまで遡ります。それから数々の発明家や研究者たちが、改良を繰り返してきました。実用的な電池として最初に発見されたのは、イタリアの医師ルイージ・ガルヴァーニによるガルバニ電池です。そしてガルバニ電池の発見は、ボルタ電池が発明されるきっかけとなりました。ボルタ電池を発明し、自らの名前を残した人物が、イタリアの物理学者アレッサンドロ・ボルタです。電圧の単位として知られる「ボルト」は、彼の名前を取ったものです。今回はそんなアレッサンドロ・ボルタの生涯を振り返っていきましょう。
アレッサンドロ・ボルタの前半生(電位と電荷は比例することを発見して、電位差=電圧の単位がボルトと名付けられる)
アレッサンドロ・ボルタは1745年、イタリア北部のコモで生まれました。1774年、コモ国立ギムナジウムの物理学教授となり、電気の研究に勤しみました。教授になった翌年の1775年、ボルタは電気をためるための器具である電気盆を改良し、世の中に広く紹介しました。この行動により、人々は電気盆といえばボルタを連想するようになります。電気盆の発明者はスウェーデンの学者ヨハン・ヴィルケですが、ボルタが電気盆の発明者として紹介されることも多々ありました。
1776年から1777年にかけて、ボルタは沼に発生する発火性のガスが水素とは異なる物質であることを発見しました。このガスの正体は、現代でいうメタンのことです。メタンを密閉した容器に閉じ込め、電気の火花で燃焼させる実験を行いました。そのほか、ボルタが行った研究として有名なものは電位と電荷を分ける実験です。電位と電荷は比例することが発見され、電位差=電圧の単位はボルトと名付けられました。
1779年になると、パヴィア大学で実験物理学の教授に就任して、以降25年間にわたって教職を勤めました。1794年に結婚し、妻との間には3人の子どもをもうけました。
アレッサンドロ・ボルタの後半生(ボルタ電池を発明して、ナポレオンから爵位を与えられる)
1791年ごろ、ボルタは電気を伝達する物質についての研究を始めました。きっかけとなったのは、イタリアの医師ルイージ・カヴァーニが発見し命名した、2種類の金属をカエルの足に触れさせると、その筋肉がけいれんするように動く「動物電気」という現象です。ボルタはこの現象について、カエルの足が電気を通す物質であり、同時に検電器としての機能も備えていると考えました。そこでボルタが行った実験は、食塩水に浸した紙をカエルの足に見立て、それを2種類の金属で挟むことで電気の流れが発生することを証明しました。これにともなって電気のイオン化傾向も発見され、ガルバニ電池の起電力は2つの電極の間の電位差であることを見出したのです。この法則はボルタの法則と呼ばれ、電池の製造に大きく役立っています。
1800年、ボルタは自身の発見をもとに、最初の電池を発明しました。この発明は、カヴァーニの「動物電気はカエルの筋肉そのものに蓄えられていたもの」という主張を反証するためのものでした。ボルタは最も発電効率のよい金属電極の組み合わせを、亜鉛と銀だと考えました。電池の発明当初は、塩水を入れたワインゴブレットに2種類の金属電極を入れて1つの電池とし、それらを直列つなぎで実験していました。ボルタ電池は、ゴブレットの代わりに塩水を染み込ませた紙を使って電気を通す媒介にしていました。
ボルタの功績といえば電池の発明が非常に有名ですが、彼のもう一つの発明として拳銃の遠隔操作が挙げられます。ライデン瓶に蓄えた電気を、コモからミラノまでの約50kmの距離で送り、ピストルを発射させたという実験の記録が残されています。導線で電流を送るために、木の板を使って地面から絶縁してこの実験を行いました。ピストルを遠隔で操作できることは、電信技術の登場にも影響しました。その後、電気通信分野も躍進を遂げることになりますが、ボルタの実験はそのきっかけとなったのです。
ボルタはベンジャミン・フランクリンとナポレオン・ボナパルトを崇拝しており、1810年から1815年の間に、ナポレオン直々にパドヴァ哲学教授の称号を与えられました。1810年には伯爵に叙され、その功績を讃えられています。1819年、コモ近辺のカムナーゴに隠居。1827年、カムナーゴの地でその生涯を終えると、埋葬されました。1881年、ボルタの名前をとって電圧の基本単位が「ボルト」と名付けられました。
今回は、世界初の実用的な電池であるボルタ電池の発明者、アレッサンドロ・ボルタの生涯を振り返りました。電池の発見過程において、カエルの足の筋肉が電気を通す実験は非常に有名です。しかしこの現象から電気の性質を捉え、電池を作り出した慧眼は見事というべきです。ボルタの名前は電圧の基本単位に名を残し、まさに後世に語り継がれる偉人となりました。私たちが普段何気なく使っている電池も、その歴史を振り返ると意外な一面が見えてくるかもしれません。