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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 半導体のプレーナプロセスを発見した ジャン・ヘルニ(フェアチャイルドセミコンダクターの一員として半導体の研究で活躍した天才エンジニア)

IP HACK

2024.09.09

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。半導体デバイスは、プレーナプロセスという技術を用いて製造されます。これは、半導体に欠かせない集積回路を作るためにいくつものトランジスタを製造して、それぞれのトランジスタを相互に接続する技術です。半導体の製造が効率よく進むようになったことで、より高度な機能を持つデバイスを数多く製造できるようになりました。プレーナプロセスが登場したことで、半導体の製造は大きく発展したのです。プレーナプロセスを発明したのは、アメリカの電子工学技術者ジャン・ヘルニです。彼は優秀な研究者が集まったフェアチャイルドセミコンダクターの一員として半導体の研究を行いました。今回はそんなジャン・ヘルニの生涯を振り返っていきましょう。

ジャン・ヘルニの前半生(「8人の反逆者」の一人としてフェアチャイルドセミコンダクターを設立する)

ジャン・ヘルニは1924年、スイスのジュネーブで生まれました。ジュネーブ大学とケンブリッジ大学に在籍した時期があり、数学で学士号を、物理学で2つの博士号を取得しました。

1952年、ヘルニはアメリカに移住します。カリフォルニア工科大学で働くための渡米で、ここで彼の生涯にとって大きな意味を持つ人物と知り合うことになります。それはベル研究所に勤めるウィリアム・ショックレーでした。ショックレーはトランジスタの作成に深く関わっており、彼との出会いがその後のヘルニをトランジスタの製造に関わる研究の道に進ませました。

ショックレーはヘルニをとても気に入り、自分の持つ研究所のスタッフとして招きました。ショックレー半導体研究所にはヘルニの他に7人の技術者がおり、彼らは高度な研究を行うために集められたのです。しかしショックレーは人付き合いを苦手としており、研究所内の環境も8人のスタッフに負担を強いるものでした。研究所の活動はうまくいかず、やがて当時在籍した8人のスタッフが同時に研究所を離れる決断をしました。この時にショックレーと仲違いした技術者たちは「8人の反逆者」と呼ばれ、インテルの前身となるフェアチャイルドセミコンダクターを設立しました。フェアチャイルドは半導体の製造を行う会社であり、ヘルニもこの会社で半導体製造の研究を熱心に行いました。

ジャン・ヘルニの後半生(半導体のプレーナプロセスを発明する)

1958年、ヘルニは電気化学学会に出席して、ベル研究所のモハメド・アラタが著した論文を目にしました。酸化物の不動態がシリコン表面に形成されたpn接合の保護膜となることを示した論文で、ヘルニはこの研究分野に大きな興味を示しました。アラタのデバイスについて考えている時、ヘルニはプレーナプロセスを思いつきました。シリコン表面に対する二酸化シリコンのパッシベーション効果を利用して、二酸化シリコン層で保護されたトランジスタを作ることを提案しました。この技術が確立されると、半導体の製造が安定して行えるようになり、フェアチャイルドの活動はさらに活発になっていきました。集積回路の製造が効率的になれば、あらゆる半導体製品の製造が楽になります。ヘルニが導き出したプレーナプロセスは、以降の半導体研究において大きな影響をもたらしたのです。

1964年、ヘルニはユニオンカーバイドエレクトロニクスを設立、1967年にインターシルを設立し、低電圧CMOS集積回路のパイオニアとなりました。1969年にはフランクリン協会からエドワード ロングストレス メダルを授与され、1972年にマクダウェル賞を受賞しました。

私生活では、アン・マリーと結婚し、3人の子どもをもうけました。しかしその後離婚し、ルース・カルモナと再婚。ここでもうまくいかず、やがて離婚することになります。1993年、ジェニファー・ウィルソンと3度目の結婚をしました。

ヘルニは熱心な登山家という側面を持ち合わせており、パキスタンのカラコルム山脈をよく訪れていました。そこではバルディ山岳民族が貧困に苦しみながら生活しており、ヘルニは彼らのために寄付することを決意しました。山の近くのコーフ村に学校を建設するプロジェクトには30,000ドルもの大金を寄付し、自分の死後もサービスを続けるために100万ドルの寄付金で中央アジア研究所を設立しました。ショックレー研究所時代の同僚であり友人のジェイ・ラストと一緒に登山することも多く、彼はヘルニについて「信じられないほどのスタミナがあり、わずかな食べ物や水で何時間もハイキングできる」と語っています。

1997年、ワシントン州シアトルで骨線維症により、72歳でこの世を去りました。

今回は、半導体の製造に欠かせないプレーナプロセスを発明したジャン・ヘルニの生涯を振り返りました。「8人の反逆者」の1人であるヘルニは非常に能力の高い人物で、科学の発展に大きく貢献しました。私たちが普段使っているさまざまな製品に、半導体の製造技術が活用されています。こうした先人たちのおかげで便利な生活があることを忘れないようにしたいですね。

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