【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー マイクロプロセッサ(CPU)を発明した アンドルー・グローヴ(インテルの3代目CEOとしてメモリ→CPUへの事業転換に成功した天才経営者)
2024.08.26
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。インテルは、半導体の開発・製造で知られる世界的な大企業です。1968年の創業以来、IT業界の最先端を走り続けてきたインテルは、今では知らない人の方が少ないといっていいほど成長しています。主にマイクロプロセッサ、チップセット、フラッシュメモリなどの設計開発・製造・販売を手掛け、さまざまな電化製品でインテル製の道具が使用されています。さらにワークステーションやサーバ、データセンター、モバイルデバイス向けの製品も扱っています。そんなインテルを創業初期から支え、3代目のCEOを務めたのがアメリカの実業家アンドルー・グローヴです。彼はその辣腕で、インテルを世界的な企業へと成長させました。今回はそんな、アンドルー・グローヴの生涯を振り返っていきましょう。
アンドルー・グローヴの前半生(ハンガリー動乱を逃れてアメリカに移民して、化学工学を学んでフェアチャイルドセミコンダクターに入社する)
アンドルー・グローヴは1936年、ハンガリーのブダペストで生まれました。生家はユダヤ人の中産階級で、迫害から逃れるために身分を隠して生きていました。当時ハンガリーは枢軸国側であり、ドイツと親密な関係にありました。
高校時代、グローヴはジャーナリストを目指していました。高校新聞の記者として活動していましたが、グローブが執筆した記事は当時の共産主義に異を唱える内容でした。その記事が現地警察の目に留まり、親戚が取り調べを受けることになります。グローヴはこの出来事により反発感情を持ち始め、言論の世界を見限りました。書きたいことを書けない世界では自由に活動できないと考え、自分の実力通りの能力を発揮できる世界を目指して技術者を目指し始めました。
1956年、ハンガリー国内では政府とソ連軍に対する反発感情が強まり、全国規模のデモ行進が行われました。政府はソ連の力を借り、大規模な鎮圧を行いました。市民の約3,000人ほどが犠牲となり、20万人に及ぶ難民を出したこの出来事は「ハンガリー動乱」と呼ばれました。
グローヴは動乱の最中、家族を残して友人らとともにオーストリアに避難。その後は難民支援組織の手を借りてアメリカへと移民しました。ニューヨークに住んでいた親戚を頼り、しばらくの間そこで暮らしました。
やがて戦争は終わり、平穏な世界が訪れました。グローヴはニューヨークの学校に入り、化学工学を学びました。1963年、カリフォルニア大学バークレー校で化学工学の博士号を取得すると、同年のうちにフェアチャイルドセミコンダクターに入社します。フェアチャイルドは、ウィリアム・ショックレーの研究所から離れた8人の技術者によって設立された新しいプロジェクトでした。1967年には開発部門のアシスタント・ディレクターに就任し、企業のリーダーとして活躍しました。
アンドルー・グローヴの後半生(インテルに入社して、3代目CEOとしてメモリ→CPUへの事業転換に成功する)
1968年、グローブは社内の関係悪化を理由にロバート・ノイス、ゴードン・ムーアとともにフェアチャイルド・セミコンダクターを去りました。ノイスとムーアはインテルを設立し、グローブは創業には関わらなかったものの、3番目の社員としてインテル設立当日に入社しました。入社当時、グローヴはエンジニアリング・ディレクターとして働き、初期の製造事業の立ち上げに貢献しました。
インテルははじめ、メインフレームコンピュータ用のスタティックメモリチップを製造していました。しかしこの当時、メモリチップの低価格化が進んでいたために需要は減少しつつありました。グローヴはこの状況を打開するため、事業責任者としてマイクロプロセッサの製造に注力し始めました。世界初のパソコン「アルテア8800」のコアとなる8080プロセッサーを開発し、PC業界に革命を起こしました。
グローヴは1987年に社長兼CEOになりましたが、リーダーとしての資質も持ち合わせた人物でした。常に変化するビジネスの世界にくらいつけるよう、準備を怠らない姿勢を持つことを部下たちに説いていました。彼のモットーを社員たちが理解し、同じ目標に向かって努力を続けたからこそ偉業を成し遂げたのです。
2016年、グローヴは79歳でこの世を去りました。
今回は、インテルの3人目のメンバーであり、のちに3代目のCEOを務めたアンドルー・グローヴの生涯を振り返りました。ユダヤ系民族として生まれ、迫害を受けた過去を持ちながら、新興企業を世界的な大企業へと成長させたのは後世に語り継がれるべき偉業です。多くの人に知られている有名企業も、その経緯を知ることで新しい発見を得られるかもしれません。世の中に出回っている情報を表面的に見るのではなく、その歴史についても調べることは大切ですね。