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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー シリコン回路チップを発明した ジェイ・ラスト(フェアチャイルドセミコンダクターとアルメコの創設者)

IP HACK

2024.08.23

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。電子回路を活用する製品を作るためには、半導体が欠かせません。多くの企業が半導体の製造に乗り出しており、私たちの生活を便利にするための開発を行ってくれています。そんな半導体をはじめとしたIT技術の本場といえば、アメリカのシリコンバレーが非常に有名です。サンフランシスコ市の南部に位置するシリコンバレーは、公的な名前ではなく俗称として広く知れ渡っています。世界中の技術が集まるこのシリコンバレーの基礎を築いたのは、アメリカの物理学者ジェイ・ラストです。彼は半導体集積回路製作技術の開拓者としても知られており、科学の発展に大きな貢献をもたらした人物の1人です。今回はそんなジェイ・ラストの生涯を振り返っていきましょう。

ジェイ・ラストの前半生(有名な化学者の研究室で働きながら高校を卒業する)

ジェイ・ラストは、1929年アメリカのペンシルベニア州バトラーで生まれました。彼が生まれた年は、ウォール街の株価が大暴落し、大恐慌時代の始まりとなりました。幼少期の数年間、ラストは世界が絶望的な不況に見舞われた中で過ごしました。両親の職業は教師でしたが、大恐慌の影響で収入が激減。父親はより良い暮らしを求めて教師を辞め、製鉄所で働き始めますが、この時代は仕事を探すのも容易ではありませんでした。生活は苦しいものでしたが、製鉄所の仕事をしながら畑を持ち、食料を作ることでなんとか飢えを凌ぎました。

やがて世界情勢が悪化し、第二次世界大戦が勃発。世界中が混乱し、労働環境もより劣悪なものとなっていきました。戦時中、父親は過酷かつ危険な状況下で、1日12時間、週6〜7日で働き詰めの生活を送りました。

そんな中、ラストはハイキングやウォーキングを通して、自然と触れ合いながら成長していきました。周囲からの影響を受けやすい思春期に自然豊かな場所で過ごしたことは、ラストの感性を育てることにもつながったのでしょう。さらにラストは、読書家という側面を持ち合わせていました。日頃から本を読んでいたおかげでラストには知識が蓄積され、学校の勉強でも周囲より進んでいました。成績優秀なラストは科学教師のルシール・クリッチローに勧められ、工業化学者のフランク・W・プレストンの研究室でアルバイトをすることになります。ここで化学の面白さを見つけたラストは、技術の世界にのめり込んでいきました。高校生のときに働き始め、大学に進学しても休みがあればプレストンのもとで働き続けました。

ジェイ・ラストの後半生(MITで物理学の博士号を取得して、ショックレー半導体研究所で働き、フェアチャイルドセミコンダクターとアルメコを設立する)

ラストは1947年に高校を卒業すると、ロチェスター大学で光学を学ぶため、奨学生プログラムに参加します。このプログラムは入学生の4分の3が途中で脱落するほど厳しいものでしたが、ラストはすべての日程をクリアしました。

奨学生試験を無事に通過したラストは、大学で研究に没頭しました。4年生のとき、プログラムと深い関わりのあったコダック社のトラブル対応部門で働きました。マイナス50℃という環境での動作試験でした。

1951年、ラストはロチェスター大学の光学学士号を取得。この頃、ラストは光学よりも物理学への関心を高めていました。指導教官のパーカー・ギブンズに相談すると、新興分野の固定物理学への転換を勧められます。それに伴い、マサチューセッツ工科大学(MIT)で学ぶことを誘われるとラストは快諾。物理学者アーサー・R・フォン・ヒッペルの研究室に入り、強誘電体物質の物理構造を研究することになりました。

その後もMITで結果を残し続けたラストは、権威のある科学者たちの目に止まります。1956年に物理学の博士号を取得したあと、ウィリアム・ショックレーに師事することに。ショックレーは自分の研究所を立ち上げたばかりで、メンバーを探していました。ラストはショックレーの人柄に惹かれ、一緒に働きたいと考えていました。しかし、研究所内では科学者一人一人がショックレーの監督下に置かれ、メンバー同士のコミュニケーションはほとんどありませんでした。ショックレー本人も内向的な性格が災いし、社員との関係が悪化していきました。ラストをはじめとした7人のメンバーは研究所の経営に不満を持ち、やがて自分の会社を持つことを考え始めます。この7人にシェルドン・ロバーツを加えた8人は「8人の反逆者」と呼ばれ、一連の騒動はアメリカ科学史における重要な出来事となりました。

ショックレーの研究所を辞めたあと、8人はフェアチャイルドセミコンダクターを設立。フェアチャイルドセミコンダクター社では、ラストは集積回路開発の責任者として、シリコン回路チップの作成に貢献しました。会社は優秀な技術者が集まっていたため製品の品質は非常に高いものでしたが、経営陣とメンバーとの折り合いが悪く長くは続きませんでした。最終的にラストは ジャン・ヘルニ、シェルドン・ロバーツ、そしてユージーン・クライナーらとともにフェアチャイルドを退社し、新しくアルメコを立ち上げました。この会社は軍事用の集積回路システムを作るテレダインという会社の一部門であり、フェアチャイルドとは直接的な競合とならないことで良好な関係を維持しました。ラストは1966年から1974年まで、ラストはテレダイン社の研究開発担当副社長として、組織を引っ張り続けました。

ラストは事業活動のほか、美術書の執筆と出版や考古遺跡の保護活動など、多岐にわたる社会貢献活動も行っていました。2021年、ラストは92歳の誕生日を迎えた1ヶ月後に天寿を全うしました。

今回はシリコンバレーの基礎を築いた人物の1人、ジェイ・ラストの生涯を振り返りました。「8人の反逆者」の1人に数えられるラストは、集積回路の開発に決して小さくない影響を与えました。幼少期から苦労を重ねた彼の努力が実ったことは、非常に尊いものだと思います。私たちの生活の歴史には、彼らの偉大な功績があったことを忘れないようにしたいものですね。

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