ブログ

【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 完全性定理・不完全性定理・連続体仮説を証明した クルト・ゲーデル(「ゲーデルの三大業績」で有名な数学者)

IP HACK

2024.08.13

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。不完全性定理は、数学原理の体系や公理的集合論の中には、証明も反証もできない自然数論の命題が存在するということを示した定理です。この定理の発見は、20世紀における数学基礎論や論理学にとって重要な意味を持ちました。不完全性定理を発見し、発表したのがハンガリーの数学者クルト・ゲーデルです。彼は完全性定理・不完全性定理・連続体仮説という3つのテーマを証明し、数学界に名を残しました。この3つの理論は「ゲーデルの三大業績」と呼ばれ、偉大な発見のひとつとされています。今回はそんなクルト・ゲーデルの生涯を振り返っていきましょう。

クルト・ゲーデルの前半生(ゲーデルの三大業績により数学の世界に偉大な貢献をする)

クルト・ゲーデルは1906年、オーストリア=ハンガリー帝国のモラヴィアに生まれました。18歳のとき、ゲーデルはウィーン大学に入学し、物理学を学び始めます。当時は物理学の研究が進み、多くの学者たちが研究を行っていたためです。しかしゲーデルの興味は、どちらかといえば数学の方に傾いていました。彼は途中から数学を学び始め、頭角を表しました。

大学入学からわずか6年後の1930年、ゲーデルは最初の大きな業績となる「完全性定理」を発表し、学位を取得。この発表はさまざまな数学者に注目され、ゲーデルは優秀な学者の1人として知られるようになっていきます。

翌1931年、ゲーデルは現代数学においても重要な発見とされる「不完全制定理」を見出します。これは「数学原理の体系や公理的集合論の中には、証明も反証もできない自然数論の命題が存在する」ということを示したものです。ここで彼は、自身の名をとった「ゲーデル数」という概念を活用し、定理の発見に至るのです。

それから約10年後、ゲーデルは連続体仮説を発見し、三度数学界に驚きをもたらしました。3つの発見は「ゲーデルの三大業績」と呼ばれています。この発見の後、ゲーデルは連続体仮説に関する研究から身を引きました。しかし1963年、アメリカの数学者ポール・コーエンはが「ZF公理系に選択公理と一般連続体仮説の否定を加えても無矛盾である」ということを証明すると、ゲーデルは「これは自分がなすべき仕事だった」と悔やみ、コーエンの発見を賞賛しました。その一方で、ゲーデルは「すべての数学的命題に対して、人間は真偽を判定することが可能である」と信じていたと言われています。特に連続体仮説に関しては、その否定を信じていました。

クルト・ゲーデルの後半生(ナチスに追われてアメリカに移住し、プリンストン高等研究所で活躍する)

ゲーデルはウィーン大学の講師を勤めていましたが、オーストリアを併合したナチス・ドイツから逃れるため1940年頃には妻アデーレと共にアメリカ合衆国に逃れました。ここでアメリカの市民権を取得し、プリンストン高等研究所の教授職につきます。市民権の取得のために、保証人となってくれたのがアルベルト・アインシュタインです。

この研究所では、アインシュタインと家族ぐるみで親密に交流し、物理学や哲学などについて議論を交わしました。この議論がインスピレーションを呼び込み、アインシュタインの一般相対性理論におけるゲーデル解を生んだとされています。この解は、非常に奇妙な性質を示したために、アインシュタインをして自身の理論に疑問を抱かせました。

1970年代初頭には、ポール・エルデシュから研究態度に対して批判を受けます。それにもかかわらず、ライプニッツによる「神の存在証明」を洗練させたゲーデルの神の存在証明として知られる論文を知人に配布しました。しかしこの研究の目的は、神学論争への加担ではなくあくまで論理学的な興味の追求にありました。そうした背景もあり、ゲーデルは誤解を恐れて生前の公表を避けました。論文の中でゲーデルは、ライプニッツの主張について、公理系を解明しつつ様相論理の手法を用いて明確な定式化を試みました。

研究を続けたゲーデルは晩年、非常に内向的となり、人と話すことを避けるようになりました。精神的な不調を抱え、自分が殺されるかもしれないという恐怖を抱えながら過ごしていたのです。妻のアデーレが作った食事以外は口にせず、冬でも部屋の窓を開け放っていました。部屋に引きこもって哲学と論理学の研究を続けていましたが、ある時からアデーレが入院することになり、自分が作った食事すらも食べることを避けていたゲーデルは絶食により栄養失調となり、倒れてしまいます。すぐに病院に運ばれますが、ゲーデルはそのまま息を引き取りました。

彼の遺稿は、大学時代までに修得した英語、ドイツ語、およびガベルスベルガー式速記と呼ばれるドイツの古い速記法で書かれています。しかし速記法はドイツ統一速記法に取って代わられたために淘汰され、未だ解読には至っていません。幸い、彼が潔癖で几帳面であったため、遺稿のほぼすべてが残されています。

今回は数学史に残る偉大な発見をしたクルト・ゲーデルの生涯を振り返りました。ゲーデルの三大業績として知られる完全性定理・不完全性定理・連続体仮説は、数学者たちに衝撃を与えたことで知られています。彼の最期は幸せとは言い難いものだったのかもしれませんが、後世に残したものは決して小さくありません。普段の生活で数学に馴染みのない方も多いと思いますが、たまにはこうした発見の歴史を振り返るのも面白いですね。

 

アーカイブ