【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ボーアの原子模型を確立した ニールス・ボーア(ドイツの原子炉の図をアメリカの物理学者達に提供して、原子爆弾の開発に協力してしまったデンマークの天才物理学者)
2024.08.09
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。量子論は、量子化を受けるすべての現象と効果について考える学問です。この理論が仮説として立てられたのは1900年のこと。それまでの物理学といえばニュートン力学などを含む古典論が中心でしたが、これらの学説は光や物質構造を捉えるには限界がありました。量子論が生まれたことで、光や物質の物理的性質を説明できるようになり、物理学を大きく発展させることになっていったのです。量子論の確立に大きく貢献したのが、デンマークの理論物理学者ニールス・ボーアです。彼は原爆の開発にも関わっており、近代における物理学の重要なポジションを担っていたことでも知られています。今回はそんなニールス・ボーアの生涯を振り返っていきましょう。
ニールス・ボーアの前半生(ボーアの原子模型を確立して、ノーベル物理学賞を受賞する)
ニールス・ボーアは、1885年コペンハーゲンで生まれました。1903年にコペンハーゲン大学に入ると、物理学について学びました。1911年にはイギリスに留学し、キャヴェンディッシュ研究所にてジョゼフ・ジョン・トムソンの下で研究を行ったのち、マンチェスター大学のアーネスト・ラザフォードの元で原子模型の研究に着手しました。その後、コペンハーゲン大学に戻り、ラザフォードの原子模型の欠点をマックス・プランクの量子仮説を用いて解消し、1913年にボーアの原子模型を確立しました。
研究の道を進んだボーアは、1921年コペンハーゲンに理論物理学研究所(ニールス・ボーア研究所)を開き、外国から多くの物理学者を招いてコペンハーゲン学派を成すことになります。ここでの活動が評価され、原子物理学への貢献により1922年にノーベル物理学賞を受賞しました。
その後も、ヴェルナー・ハイゼンベルクらの後進とともに、量子力学(行列力学)の形成を推進していきました。当時は物理学についてさまざまな発見がもたらされた時期で、学者間での討論の機会も度々ありました。ボーアは討論の場では決して手を抜かない性格であり、有名な学者たちと議論を交わしていきます。しかしこの過程で、ハイゼンベルクと意見が対立するようになってしまうのです。アルベルト・アインシュタインが量子力学に反対するようになると、尊敬するアインシュタインとも論争を続けて説得しようとしました。ボーアは社交的な人柄だったため、多くの物理学者から慕われ、量子力学の形成に指導的役割を果たしました。
ニールス・ボーアの後半生(ドイツの原子炉の図をアメリカの物理学者達に提供する)
第二次世界大戦の終盤、各国は戦争の主導権を握るために核開発の動きを活発化させていきました。1941年、ボーアの元にハイゼンベルグが訪れました。彼の持っていたメモには原爆開発に使う原子炉の図が記されており、ナチス・ドイツが原爆開発を進めていることを伝えに来たのです。ハイゼンベルクは原爆開発に関して、「理論上開発は可能だが、技術的にも財政的にも困難であり、原爆はこの戦争には間に合わない」とボーアに伝えました。しかしボーアは、早々にハイゼンベルクとの会話を打ち切ります。それは、ハイゼンベルクがナチス・ドイツに有利な状況を引き出そうとしているのではないかと勘繰っていたためです。ボーアは同盟国側の研究者たちと親交があり、ハイゼンベルクがナチス・ドイツに利用されていることを知っていたことも、猜疑心に拍車をかけました。
1940年から、デンマークはナチス・ドイツの占領下にあり、ユダヤ人のボーアはともすれば命を失いかねない危険な状況に陥ります。1943年、イギリス軍が救助に駆けつけ、ボーアは秘密裏に出国し、ハイゼンベルグから受け取った原子炉の図をロスアラモス研究所の物理学者達に渡しました。
1939年に発表されたボーアの原子核分裂の予想は、原子爆弾開発への重要な理論根拠にされました。しかし、ボーアは軍拡競争を憂慮し、西側諸国にソ連も含めた原子爆弾の管理及び使用に関する国際協定の締結に奔走しましたが、結局ボーアの願いは叶いませんでした。
ボーアの没後10年ほどがたち、1997年に彼の名前にちなんで107番元素が「ボーリウム」と名付けられました。またボーアは、ランタノイドの性質の類似性や3価イオンの色などからランタノイドの電子軌道の構造を推定し、当時未発見だった72番元素はランタノイドではなくジルコニウムに類似したものだと予言してボーア研究所のディルク・コスターとゲオルク・ド・ヘヴェシーにジルコンの分析を提唱します。その結果発見されたのが、ハフニウムという物質でした。また、1975年には、息子のオーゲ・ニールス・ボーアもノーベル物理学賞を受賞します。
今回は、量子論の提唱によって物理学に大きく貢献したニールス・ボーアの生涯を振り返りました。ノーベル物理学賞を受賞した実績は素晴らしいものですが、時代の影響で核開発にその頭脳を使わなければならなかったことは考えものです。彼らの開発した核兵器、そして戦争がいつの日かなくなることを願いたいものですね。