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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ペスカラ式フリーピストンエンジンの発明家 ウーゴ・スカレーリ(ギュスターヴ・エッフェルの弟子となり機械工学を学んで、自由ピストンエンジンをはじめとする数々の画期的な発明をした天才発明家)

IP HACK

2024.07.05

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。フリーピストンエンジンは、クランクやコンロッドを使用しないエンジンのことです。その始祖はドニ・パパンが1707年に考案した蒸気エンジンであり、数々の発明家が研究を繰り返してその性能を進化させてきました。外燃機関、内燃機関のどちらにも活用でき、ガスタービンや大砲、銃火器などにも使われています。アルゼンチンの弁護士でありながら発明家としても活躍したラウル・パテラス・ペスカラは、エンジンや圧縮機の研究も行ない、ペスカラ式フリーピストンエンジンを開発しました。彼はそのほかにも、水上機やヘリコプターの発明・改良でも業績を残しました。今回はそんなラウル・パテラス・ペスカラの生涯を振り返っていきましょう。

ラウル・パテラス・ペスカラの前半生(ギュスターヴ・エッフェルの弟子となり機械工学を学ぶ)

ラウル・パテラス・ペスカラは1890年、アルゼンチンのブエノスアイレスで生まれました。20世紀初頭、ペスカラ一家はヨーロッパへと移住しました。産業革命期が終わり、文化的に爆発的な発展を遂げたあとのヨーロッパ文化を目の当たりにし、ペスカラは発明家としての道を切り開くようになります。

彼を発明家として育て上げたのは、エッフェル塔の設計者として知られるギュスターヴ・エッフェルです。ペスカラはエッフェルのもとで、機械工学を学んでいきました。代表的な発明が、「パテラス・ペスカラ」という下駄履き(水面に着陸できる戦闘機)雷撃機です。風洞で試験を行いその動き方を観察していました。第一次世界大戦のころ、飛行場が未発達だったため、多くの国で水上機が使用されていました。そのため、ペスカラの発明も軍にとっては重要な意味があったのです。

戦争において大きな役割を持つのは、やはり空からの攻撃です。しかし当時は飛行の技術が確立されておらず、確実に相手にダメージを与える手段としては魚雷を使うのが一般的でした。爆弾を投下するよりも、攻撃した船の撃沈・転覆を狙えるという攻撃力の高さがその理由です。そしてもうひとつ、急降下爆撃も艦船攻撃の手段として重要視されていました。爆撃の威力は小さくなるものの、命中率を高く保てるためです。急降下爆撃は小さな戦艦に対しては有効な攻撃手段でしたが、装甲の厚い戦艦などの大型艦船に対しては十分なダメージを期待できません。そのため、雷撃と併用されることも多々ありました。

そこで機体に求められるのは、急激な方向転換にも耐えうる運動性と強度です。これを実現するために、雷撃機の発明・改良は軍にとっての急務でした。軍がからむ発明は、技術家たちにとっては自分の発明を大きく売り出すチャンスでもありました。ペスカラも同様、発明家として生計を立てるために数々の雷撃機を生み出します。その設計は品質が高く、発明家の間でもペスカラの名前は広く知れ渡っていきました。第一次世界大戦が始まると、ブラジルの発明家アルベルト・サントス・デュモンとパリで会見し、航空機の設計について意見を交わしました。

ラウル・パテラス・ペスカラの後半生(数々の発明を行った後に、自由ピストンエンジンの開発に成功する)

1919年、ペスカラは同軸ローターを持つヘリコプターの製作に取り掛かりました。ここからペスカラの発明家人生は大きくスタートします。1919年から23年に渡って、ペスカラはさまざまな国を訪れました。その間、訪れた国々でおよそ40もの特許を取得しています。1924年には自らが設計した同軸二重反転ローターを備えたヘリで飛行スピードに関する世界新記録を達成しています。また、イタリア人の技術者モリアとともに、スペイン政府の下で「国立自動車製作所」を創立。1931年には8気筒の自動車でヨーロッパグランプリ沿岸レースに優勝しています。その後はスペイン内戦を避けて、フランスへと戻りました。

1933年、ペスカラはルクセンブルクを訪れていました。ここでは「ペスカラ自動圧縮機会社」を創業し、工業の発展に寄与しました。第二次世界大戦中は戦争に巻き込まれるのを避けるため、中立地であったポルトガルに身を置きました。ペスカラは電力系のシグマ社に入社し、自由ピストンエンジンの開発に携わりました。このエンジンは1200馬力という、当時のエンジンとしては異例の出力を叩き出し、業界の注目を集めました。1965年、末子のクリスティアンに跡目を譲り引退。翌1966年、パリに戻り、その生涯を終えました。

今回は自由ピストンエンジンの開発、および水上機やヘリコプター、雷撃機の発明で功績をあげたラウル・パテラス・ペスカラの生涯を振り返りました。南米出身ながら異国ヨーロッパの地で研鑽を積み、さまざまな発明をしたことは尊敬に値します。激動の20世紀、戦火をかわしながら生き抜くことができたのは幸運だったのではないでしょうか。航空機の歴史を振り返ると、現代の飛行機やヘリコプターができるまでの過程を知ることができて面白いですね。

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