【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 「ボルン-オッペンハイマー近似」と呼ばれる近似法を編み出した発明家 マックス・ボルン(波動関数の確率解釈を提唱してノーベル物理学賞を受賞した天才研究者)
2024.06.21
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。シュレーディンガー方程式は、オーストリアの物理学者であるエルヴィン・シュレーディンガーにちなんで名付けられた方程式です。量子力学の基礎方程式であり、物理学の根幹をなす考え方として広く知られています。シュレーディンガー方程式の解は、一般的に波動関数と呼ばれます。量子の物理法則を解明したこれらの方程式が生まれたことは、さまざまな学問や応用技術が進化するきっかけとなりました。波動関数の確率解釈を提唱して、物理学の発展に大きく貢献したのがドイツの理論物理学者だったマックス・ボルンです。彼はアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーとともに、「ボルン-オッペンハイマー近似」と呼ばれる近似法を編み出し、後進の教育・育成にも力を入れました。今回はそんなマックス・ボルンの生涯を振り返っていきましょう。
マックス・ボルンの前半生(ボルン-オッペンハイマー近似と呼ばれる近似法を編み出す)
マックス・ボルンは1882年、ドイツ東部のシュレージエン地方ブレスラウで生まれました。ユダヤ系の家系であり、父親のグスタフ・ボルンはブレスラウ大学の解剖学と発生学の教授でした。生物学の権威である父親のもとで育ったボルンは、自らも研究の道に足を踏み入れました。ボルンはその後、チューリヒ大学やゲッティンゲン大学などで物理学を学びます。1919年からはベルリン大学の助教授となり、フランクフルト大学を経て1921年にゲッティンゲン大学の教授の座につきました。
物理学のはじまりは、紀元前500年頃まで遡ります。自然現象を法則に当てはめて理解するための哲学がその第一歩でした。ソクラテスやアリストテレス、プラトンなど数々の学者が哲学を説き、時代の流れとともに人々は自然への理解を深めていきました。やがてニュートンが万有引力を発見し、運動や重力への研究が始まりました。18世紀に入ると、物理学はより論理的に説明されるようになり、熱力学や統計力学、電磁気理論などへの理解も深まりました。
19世紀に入ると、物理学には新しい理論が生まれます。1905年、アインシュタインが光に関する運動法則である「特殊相対性理論」を説きました。また質量とエネルギーの関係は「E=mc^2」という等式によって成り立つことも証明しました。特殊相対性理論は徐々に数学者・物理学者たちに受け入れられ、数々の問題点も解明されていきます。しかし、解決すると同時に別の問題も新たに浮上し、すべてを証明するのは困難でした。地道な努力は続けられ、やがて加速系への相対性理論の拡張である一般相対性理論が生まれました。
ボルンはこれを受けて、ヴェルナー・ハイゼンベルク、パスクアル・ヨルダンらとともに行列力学として定式化することに成功しました。新しく理論づけられた量子力学の原理は、離散状態の確率論に基づいており、因果性を否定するものでした。1926年、ボルンは量子力学の確率解釈を発表し、アメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーとともに「ボルン-オッペンハイマー近似」と呼ばれる近似法を編み出しました。
ボルンとアインシュタインは同胞であり、厚い親交があったことで知られています。手紙でやりとりをすることも度々あり、アインシュタインからボルンに送った手紙の中で「神はサイコロを振らない」という有名な言葉をしたためました。
マックス・ボルンの後半生(ナチス・ドイツにドイツから追放されてイギリスに移民する)
1933年、ドイツではナチス・ドイツが猛威を振るい、ユダヤ人に対して苛烈な弾圧を行いました。ボルンもその影響を受け、教授職を解雇されることに。職を失ったボルンは家族を連れてイギリスに向かい、ケンブリッジ大学講師・エディンバラ大学教授に就任しました。
第二次世界大戦の末期、ドイツは核兵器の開発に力を入れ始めていました。かつて、ともに行列力学の定式化を証明したウェルナー・ハイゼンベルクをはじめ、多くの物理学者が原爆開発チームに召集されました。核兵器の恐ろしさは物理学者たちの間でも知れ渡ることになり、核開発に反対する動きも生まれ始めました。1957年、ボルンはオットー・ハーン、カール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカー、ウェルナー・ハイゼンベルクらとともに「ゲッティンゲン宣言」を発表し、西ドイツの核武装に反対する意向を示しました。
1970年、ゲッティンゲンでその生涯を終えました。1973年、ボルンの偉大な功績がたたえられ、ドイツ物理学会とイギリス物理学院によって彼の名をとった「マックス・ボルン賞」が設けられました。1982年にはアメリカ光学会においても「マックス・ボルン賞」が創設されました。
今回は、波動関数の確率解釈を提唱したことでノーベル物理学賞を受賞したマックス・ボルンの生涯を振り返りました。物理学はさまざまな学問や技術の根幹をなす研究分野であり、彼の功績は人類を大きく進化させるきっかけとなりました。現代のあらゆる技術は、ボルンをはじめ先人たちの知恵によって成り立っていることを忘れてはいけません。物理学は普段なじみのない分野かもしれませんが、その歴史を学んでみると、新たな発見があって面白いですね。