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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 原子爆弾の発明家 ロバート・オッペンハイマー(アメリカ・カナダ・イギリスが共同で原子爆弾の製造を行った「マンハッタン計画」を主導したノーベル物理学賞受賞の天才研究者)

2024.06.10

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。第二次世界大戦の終盤、日本の広島・長崎に原子爆弾が投下されたことを知らない人はいないでしょう。多くの命が奪われた悲劇を決して忘れてはいけません。そんな悪夢のきっかけとなったのは、アメリカ・カナダ・イギリスが共同で原子爆弾の製造を行った「マンハッタン計画」です。この計画を主導したのは、アメリカの理論物理学者だったロバート・オッペンハイマーです。彼は凶悪な兵器を発明した当事者でありながら、数え切れないほどの人の命を奪ったことによる良心の呵責にも悩まされていました。今回はそんなロバート・オッペンハイマーの生涯を振り返っていきましょう。

ロバート・オッペンハイマーの前半生(ハーバード大学を首席卒業して、ケンブリッジ大学に留学する)

ロバート・オッペンハイマーは、1904年にニューヨークで生まれました。鉱物や地質学に興味を示していたほか、数学や科学、数ヶ国の言語を学ぶなどその豊穣な才能を発揮していました。勉学には類まれな才能を見せたオッペンハイマーでしたが、運動神経には優れませんでした。同年代の子どもたちと遊びまわることはなく、どちらかと言えば内向的な性格だったとされています。運動は苦手でも、セーリングと乗馬は得意でした。

オッペンハイマーは高校卒業後にハーバード大学に入学して、化学を専攻しました。飛び級によってどんどん進級していき、1925年には最優等の成績を修めます。わずか3年の期間で主席で卒業し、学者としてのスキルを磨いていきました。

ハーバード大学を卒業後、オッペンハイマーはイギリスのケンブリッジ大学に留学します。ここではキャヴェンディッシュ研究所に身を置き、物理学や化学を学びました。それまでのオッペンハイマーの研究は実験によって検証していく化学分野が中心でしたが、ニールス・ボーアとの出会いをきっかけに、オッペンハイマーは物理学の世界に足を踏み入れます。1929年、25歳の若さでカリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア工科大学の助教授となり、物理学の指導者になりました。生徒からは、「オッピー」の愛称で親しまれていたそうです。

ロバート・オッペンハイマーの後半生(ロスアラモス国立研究所の初代所長に就任して原子爆弾を発明する)

1930年代の終わりごろ、ロバート・オッペンハイマーは宇宙物理学の領域でブラックホールの研究を行っていました。時は第二次世界大戦のさなか、ナチス・ドイツは原子爆弾の開発を進めていました。もし完成してしまったら、甚大な被害が生じてしまう…そんな焦りから、アメリカ・カナダ・イギリスはナチス・ドイツに対抗するための「マンハッタン計画」を始動します。このプロジェクトのリーダーとして、オッペンハイマーに白羽の矢が立ちました。ロスアラモス国立研究所の初代所長に就任したオッペンハイマーは、その辣腕を振るってどこよりも早く原子爆弾を完成させました。

完成した原爆は広島と長崎に投下され、連合国に最後まで抗っていた日本もポツダム宣言を受諾し降伏しました。こうして第二次世界大戦は終戦を迎えました。オッペンハイマーはアメリカ軍の中では英雄のように讃えられていましたが、本人には激しい良心の呵責がありました。終戦後まもなく、ホワイトハウスに招待された際には当時の大統領であるハリー・S・トルーマンに対して「大統領、私は自分の手が血塗られているように感じます」と語ったとされています。

自分で発明したからこそ、オッペンハイマーは原子爆弾が人類を破滅に導くと実感し、核軍縮と原子爆弾の排斥に尽力しました。終戦後はアメリカとソ連が睨み合う冷戦が続きましたが、ここでも両国の衝突を防ぐために活動していました。

しかしこのような態度が、アメリカ政府の疑問を買うことになります。ソ連のスパイであることが疑われ、1954年に公職を追放されてしまいます。それでも、オッペンハイマーは平和への芽を育てることを諦めませんでした。1960年には東京都・大阪府・京都府の3都市を訪れましたが、広島・長崎には訪れていません。

1965年、オッペンハイマーは咽頭がんを患います。手術によって一部のがんを切除し、放射線療法と化学療法を受けましたが、寛解には至りませんでした。1967年、オッペンハイマーは自宅でこの世を去りました。

今回は原子爆弾の発明者であるロバート・オッペンハイマーの生涯を振り返りました。日本に莫大な被害をもたらした原子爆弾、その存在は決して認めてよいものではありません。オッペンハイマー自身も、のちのインタビューで「後悔はない」としたものの、彼の中に渦巻く罪の意識は言葉の端々から感じられます。一刻も早く、世界から核兵器が根絶されるのを望むばかりです。

 

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