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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー ダレーン式灯台やAGAクッカーの発明家 ニルス・グスタフ・ダレーン(ダレーン式灯台でノーベル物理学賞を受賞た後に、失明した状態でもAGAクッカーを発明した凄い発明家)

2024.05.24

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。ダレーン式灯台やオーブンの一種であるAGAクッカーは、ともにガスを効果的に活用した発明品です。これらは、スウェーデンの企業であるAGA社で製造されました。AGA社はスウェーデン国内でもトップクラスを走る企業であり、その画期的な発明は多くのファンを生み出しました。同社の製品は根強い人気を誇り、ひとつの時代を築きました。1970年以降、AGA社は工業用ガス製品に専念するようになりました。2000年にリンデグループに吸収され、その技術を引き継いでいます。AGA社を長年リーダーとして牽引してきた人物こそ、スウェーデンのエンジニア、企業家だったニルス・グスタフ・ダレーンです。ダレーンは「灯台や灯浮標(ブイ)などの照明用ガス貯蔵器用の自動調節機の発明」でノーベル物理学賞を受賞したことでも知られています。今回はそんな、ニルス・グスタフ・ダレーンの生涯を振り返っていきましょう。

 

ニルス・グスタフ・ダレーンの前半生(乳製品の検査装置を発明して、ラバルに研究者になるように勧められる)

ニルス・グスタフ・ダレーンは、スウェーデンのヴェストラ・イェータランド県の小さな村ステンストルプに生まれました。一家は農場を営んでおり、ダレーンは農場を拡張して植物の種や日用品などを売る市場を作りました。聡明な頭脳を持つダレーンは、この市場を活用して潤沢な資金を獲得していったのです。

1892年、ダレーンは牛乳の乳脂肪分を調査できる装置を発明しました。発明後、ダレーンはタービンの研究を行っているという知人のグスタフ・ド・ラバルに見せるため、ストックホルムを訪れました。ラバルは自分の力のみでこの機械を発明したダレーンに感心し、技術教育を受けるよう勧めました。ラバルの助言を受け、ダレーンはチャルマース工科大学に入学し、1896年には博士号を取得。卒業後1年間、ダレーンはチューリッヒ工科大学の教授に師事し、技術を学んでいきました。その後知人とともに会社を設立しますが、こちらはうまくいきませんでした。1901年、ダレーンはスウェーデンのとある会社に入社します。この会社はのちにAGA社となり、ダレーンも大きく成長していくことになります。

同時期に科学の分野で活躍した人物として、ダレーンとラバルはよく引き合いに出されます。斬新なアイデアを実践していくというスタイルは彼らの共通点でもありますが、経営者としてのセンスはダレーンに軍配が上がるでしょう。彼には事業を行ううえでの危機察知能力が備わっていました。事業の引き際をわかっているからこそ、無茶な戦略を取らず長きにわたって経営を続けていくことができたのです。

 

ニルス・グスタフ・ダレーンの後半生(AGA社でアセチレンの研究をしてダレーン式の灯台を発明する)

ダレーンが最初に取り掛かったのは、アセチレンの研究です。アセチレンは炭化水素ガスの一種であり、非常に爆発しやすいという危険性を持っていました。ダレーンはこのアセチレンを安全に貯蔵・輸送するための機構を発明しました。これを用いることで、灯台の照明用燃料にアセチレンを使えるようにしたことも大きな功績です。アセチレンを燃焼させた火はそれまでのものに比べると発光が強く白色であり、多くの灯台で使用されるようになりました。さらに、周囲の明るさを自動的に検知し、暗くなると自動的に消化する自動調節器ソルベンチルも発明しました。これらの発明により、AGA社は従来よりも10分の1ほどの電力で発光できるブイ(灯浮標)を製作し、航海をより安全に行う環境づくりに貢献しました。

1906年、ダレーンは技術主任となり、1909年にAGA社に改組されたときには社長に就任しました。AGA社はダレーン式の灯台や灯浮標を製造し続け、1912年ごろには大きな工場をリディンゲに創設。AGA社はストックホルムからリディンゲに移転し、活動を続けました。スカンジナビア半島の海岸は複雑な形をしているため、航海士たちは常に座礁の危険と戦っていました。AGA社が発明した灯台やブイのおかげで、より安全に航海に出発できるようになったのです。

しかし1912年、ダレーンに大きな試練が襲いかかります。それはアセチレン蓄積器の最大耐圧を計測する試験中に起きた事故でした。アセチレンが爆発するまで圧力を高めていくという内容の試験で、ある一つの蓄積機が爆発を起こさず小さな炎しか出していませんでした。ダレーンはその様子をよく見ようと蓄積機を覗き込んだところ、突然それが爆発。ダレーンは目にダメージを負い、失明してしまいます。怪我の治療をしたものの、仕事に復帰できるようになるまでは数ヶ月を要しました。

事故の同年、ダレーンは「灯台や灯浮標(ブイ)などの照明用ガス貯蔵器用の自動調節機の発明」でノーベル物理学賞を受賞しました。この受賞は、怪我をしてしまったダレーンへの同情的な配慮があったとする見方も存在します。ダレーン本人は授賞式に出席できず、代わりに兄弟で眼科医のアルビン・ダレーンが出席し、トロフィーを受け取りました。

1913年、ダレーンはAGA社の社長に復帰。その後20年間にわたって経営を続けました。そして、失明した状態で、周囲の協力を仰ぎながら、1929年にはAGAクッカー (AGA cooker) というオーブンを発明しています。

今回は、ガス製品の製造で知られるAGA社、その社長として活躍したニルス・グスタフ・ダレーンの生涯を振り返りました。ブイや灯台に使用されるガス貯蔵機の発明でノーベル賞を獲得しながらも、事故によって失明してしまうなど、順当とばかりはいえない人生でした。偉大な功績を残した人物の歴史をたどると、思いもよらないドラマや発見があって面白いですね。

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