【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー クロノメーターの発明家 フェルディナント・ベルトゥー(王室や海軍付きの機械時計師として活躍して栄光の生涯を送った発明家)
2024.05.02
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。マリン・クロノメーターは、船の上で正確な時間を知るための発明品です。大航海時代、多くの船乗りがマリンクロノメーターを活用していました。時代の流れとともにたくさんの種類が生まれ、その精度もどんどん改良がなされていきました。そんなクロノメーターの製作で実力を見せ、王室や海軍付きの機械時計師として活躍したのがスイスのフェルディナント・ベルトゥーです。今回はそんな、フェルディナント・ベルトゥーの生涯を振り返っていきましょう。
フェルディナント・ベルトゥーの前半生(若くして時計師親方になる)
フェルディナン・ベルトゥーは1727年、スイスの時計師・振り子時計職人の貴族家庭に生まれました。父親のジャンは、大工頭兼建築家であり、資産家でもありました。
1741年、ベルトゥーはクヴェ在住の兄ジャン=アンリのもと、2年間振り子時計職人の見習いとして修行を始めました。18歳になると、時計師・振り子時計職人としてのキャリアを極めるためにパリを訪れました。最初は見習いとして修行をするベルトゥーでしたが、その才覚は凄まじく尋常ではないスピードで技術を習得していきました。やがてベルトゥーは修行を終え、一人前の技師として独立しました。高い技術を持った彼の時計は素晴らしい完成度でしたが、独立するには年齢が若すぎました。同業組合の規定では、時計師親方になるには一定の年齢に達している必要があったのです。しかし国王はベルトゥーの評判を知り、特別にベルトゥーを昇格させることを決定しました。これにより、ベルトゥーは26歳という異例の若さで時計師親方の肩書を手に入れました。
1763年、ロンドンのジョン・ハリソンはマリン・クロノメーターH4を発明しました。精緻に作られたこの時計はかなりの精度を誇っており、その評判は国を越えて広がっていきました。スイス国王はマリン・クロノメーターH4を調査する職務にベルトゥーを任命しました。ベルトゥーはロンドンを訪れ、ハリソンに直接マリンクロノメーターH4を見せてもらうように頼みましたが、ハリソンはこれを拒否しました。H1、H2、H3といった過去の作品は見せてもらったものの、最新のH4を見ることはできませんでした。
とはいえ、この旅をきっかけにベルトゥーは英国科学会への関心を深めました。この時から、ベルトゥーは自分の作品や時計製造技術の分野で発信活動を行い、本を出版することを考え始めました。著名人としてのポジションを確立したベルトゥーは、1764年にロンドンのロイヤル・ソサイエティにて「外国人準会員」に選出されました。
フェルディナント・ベルトゥーの後半生(新型のクロノメーターの開発に成功する)
1765年、ベルトゥーはザクセン州公使ブリュル伯爵の仲介で、ハリソンと再会するため再びロンドンへと出発しました。しかし、またしてもハリソンはベルトゥーに自身の作品掲示を拒否しました。ハリソンはベルトゥーの実力を見抜いていたため、自分と同じものを開発する能力が十分に備わっていると判断してのことでした。翌年、ベルトゥーは論文を書き、マリン・クロノメーター第6号と第8号の製作計画をショワズール伯爵および海軍大臣であるプラズラン公爵に提案しました。この論文にはそれまでの報酬と3000リーヴルの援助を求める内容が記載されており、ベルトゥーの希望する内容を明確にしたものでした。国王はこの計画に賛同し、許可を下しました。
ベルトゥーのマリン・クロノメーターは試験をクリアし、ついに実用化に至りました。試験遠征や地図作成の旅にはベルトゥーが開発したマリン・クロノメーターが使用され、彼の功績は非常に大きなものとなっていきました。やがてベルトゥーは甥であるルイをスイスのクヴェからパリに呼び寄せ、見習いをサポートしました。
1775年、ベルトゥーは国立学院の機械術部門で第一級名誉会員に選出されました。革命以降、国家年金受給者としてルーヴル宮に居を構えたベルトゥーは、絶えず時計製作に取り組みました。マリン・クロノメーターのメンテナンスを行い続けましたが、しかし、彼がもっとも専念したのは、彼の著書で最も重要なHistoire de la Mesure du temps(時間計測の歴史)の出版でした。
1804年、フェルディナン・ベルトゥーは学士院会員として、レジオンドヌール勲章シュヴァリエの称号をナポレオンから授与されました。3年後、ベルトゥーは子孫を残すことなく80歳でこの世を去りました。彼の生涯における功績は大きく讃えられ、埋葬されたグロスレの地に記念碑が建てられました。
今回は、マリン・クロノメーターの製作で一世を風靡したフェルディナント・ベルトゥーの生涯を振り返りました。18世紀は技術の革新が起き、海の向こうへの興味が高まった時期でもあります。船の上で正確な時間を知ることができるマリン・クロノメーターの存在は、航海師たちの生命線とも言える道具の一つでした。フェルディナント・ベルトゥーはその類稀なる才能を発揮して多くの人々に貢献しました。海を切り開いて世界を知った人々、その陰で支えとなった彼の努力は実に格好いいものですね。