【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 有人動力飛行機の発明家 グスターヴ・ホワイトヘッド(ライト兄弟よりも先に世界初の有人動力飛行に成功した人物である【かもしれない】発明家)
2024.03.29
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。世界初の有人動力飛行に成功したのは、アメリカのライト兄弟です。しかし、世界の記録をたどると他の人物が世界初の飛行を行ったという説も囁かれています。グスターヴ・ホワイトヘッドもそのひとり。ドイツに生まれ、アメリカで航空技師として活躍したホワイトヘッドは、ライト兄弟よりも先に世界初の有人動力飛行に成功した人物であるとされています。しかし彼の飛行を証明する記録はあまりにも少なく、歴史の信憑性は限りなく低いといえます。もし映像や写真が残されていたなら、歴史に名を残したのはライト兄弟ではなくホワイトヘッドだったかもしれません。今回はそんな、グスターヴ・ホワイトヘッドの生涯を振り返っていきましょう。
グスターヴ・ホワイトヘッドの生涯(ライト兄弟よりも先に世界初の有人動力飛行に成功したかもしれない)
グスターヴ・ホワイトヘッドは、1874年にドイツ・バイエルン州で生まれました。本名をグスタフ・アルビン・ヴァイスコプフといい、アメリカにわたってから英語風の名前に改名しました。ホワイトヘッドは、少年時代から空を飛ぶことに情熱を注いでいました。凧を使って風を読み、飛行理論を組み立てて実験を行うことに興味を持ちました。やがて航空整備士の免許を取得し、技師としての道を歩み始めました。そして風や天候、鳥の飛行方法などさまざまな飛行に関するさまざまな研究のために世界各国を旅しました。1893年にはドイツに戻り、航空設計の権威であるオットー・リリエンタールと対面しました。そこで飛行に関する多くの知見を集め、ホワイトヘッドの飛行理論はさらに強固なものとなっていきました。リリエンタールと出会った翌年、獲得した知見を活かしてさらなる研究を行うためにアメリカに渡りました。
アメリカでは、最新鋭の技術を使って航空に関する実験を行いました。1897年、ホワイトヘッドは滑空機を飛行させるために出版者であるJ・B・ミレットに雇われました。この滑空機は、ボストン航空クラブが利用するために制作したものでした。ホワイトヘッドは数機の滑空機を作り上げ、うち一機はリリエンタールが発明したグライダーから着想を得たものでした。飛行距離は短かったものの、地面から離れ飛行に成功しました。ホワイトヘッドは大柄な体格であり、体重も平均より重かったため、飛行に影響が出たとされています。
この飛行実験は1901年に行われたとされていますが、写真には残されていません。しかし機体が宙に浮いたときのスケッチは残されています。これが本当だとすれば、ライト兄弟の飛行実験よりも2年も早く有人飛行に成功していたということになります。当時の目撃者の報告によると、1899年ごろには約1kmの距離を飛行していたとされています。
ホワイトヘッドの飛行に関する資料は限りなく少なく、彼の功績を裏付ける決定的な証拠は残されていません。また彼の飛行を取り上げた記事の原文は当時の実験を目撃した人たちの報告と矛盾する点が多く、さらにこの実験以降ホワイトヘッドは動力飛行の再現を行うことがなかったため、真実は闇の中へと消えてしまいました。基本的には信憑性のない出来事として扱われるホワイトヘッドの有人動力飛行ですが、コネティカット州議会はホワイトヘッドの飛行を人類初の飛行として公式に認定しています。2003年に行われたキル・デヴィル・ヒルでの百年記念祝賀会で、ライト兄弟とホワイトヘッドそれぞれの飛行機のレプリカが飛行を行いましたが、ライト機のレプリカは飛行に失敗し、ホワイトヘッド機のレプリカは飛行に成功しました。
ホワイトヘッドの「ナンバー21」は、翼幅36ft(11m)と斬新な外観をした飛行機でした。翼の骨組みは竹を使い、鋼線で支えられ、絹が貼られています。鳥の翼を参考にした設計でした。
その後、ホワイトヘッドは原動機を作り、販売しました。商売っけのない性格をしていたホワイトヘッドは、特許のことを詳しく知らず薄利多売のまま暮らしていきました。とはいえ彼の発明は相当な完成度の高さを誇っていたため、他の航空パイオニアたちはホワイトヘッドのエンジン設計に興味を示しました。1911年ごろになるとホワイトヘッドはヘリコプターを設計し、ほんの少しの成功を収めました。
今回は、世界初の有人動力飛行に成功した真の人物であると噂されるグスターヴ・ホワイトヘッドの生涯を振り返りました。航空機に関する歴史をたどると必ず名前の上がるこの人物は、もしかしたら本当にライト兄弟よりも早く有人動力飛行に成功していたのかもしれません。歴史的な瞬間が資料に残されておらず、不遇の憂き目にあっていることは非常に残念です。しかし航空業界に関わる多くの人々がホワイトヘッドを讃えているのをみると、その実力は本物なのでしょう。これまで常識だと思っていた歴史の裏側には、このようなエピソードが隠れていることもあります。ふと改めて偉大な人物の歴史と背景を調べてみると、新しい発見があって面白いですよ。