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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 「ダイポールアンテナ」の発明家 ハインリヒ・ヘルツ(周波数を表すSI単位【ヘルツ】として名を残した偉大な科学者)

2024.03.04

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。電磁波の研究は、古くから進められてきました。光や電波などは電磁波の一種であり、この研究を行うことで物質の正体が明らかになり、より便利な生活に役立てられてきました。電磁波研究の歴史においては、マクスウェルの電磁波方程式が有名です。この方程式によりアインシュタインの特殊相対性理論が生まれるなど、あらゆる研究者に影響を与えました。ドイツの科学者であるハインリヒ・ヘルツもそのひとりです。マクスウェルの方程式をさらに明確化し発展させ、科学において電磁波の存在を実証した人物として知られています。そのほかにも、物質に光を照射した際に、電子が放出されたり電流が流れたりする現象である「光電効果」やケーブルの先に2本の直線状の導線(エレメント)を左右対称につけたアンテナである「ダイポールアンテナ」などの発明など、科学に関する多大な貢献を行った人物でもあります。今回はそんな、ハインリヒ・ヘルツの生涯を振り返っていきましょう。

ハインリヒ・ヘルツの前半生(ベルリン大学で博士号を取得してカールスルーエ大学の教授になる)

ハインリヒ・ヘルツは1857年、ドイツのハンブルグで生まれました。裕福な実家に生まれ、経済的に困ることはありませんでした。父は弁護士、母は医師の娘であり、上流階級の家庭で過ごしました。

幼少期から高いレベルでの教育を受けていたヘルツは、順調にエリートとしての人生を歩んで行きました。ドイツ国内でももっとも伝統のあるヨハネウム学院に通い、アラビア語やサンクスリット語などの語学、そして科学に適性を見せました。学生時代は居住区を転々とし、ドレスデンやミュンヘン、ベルリンなどの都市で科学と工学を学びました。その後はキルヒホフとヘルムホルツの指導学生として、1880年にベルリン大学の博士号を取得し、ヘルムホルツに研究生として籍を残しました。ヘルツは1883年にキール大学で理論物理の講師となり、1885年にはカールスルーエ大学の教授となりました。

ハインリヒ・ヘルツの後半生(電磁波の存在を実証し、ダイポールアンテナを発明し、さらに光電効果を発見する)

カールスルーエ大学では電磁波を発見し、その研究に没頭しました。きっかけとなったのは、1881年に行われたマイケルソンの実験です。この実験で光の媒質だと思われていた「エーテル」が否定されたのをうけて、電磁波の伝播機構を発見するためにマクスウェルの方程式を再計算しました。数ヶ月にわたって電磁波の発信・受信の実験を行い、その結果をまとめました。実験結果を通して、マクスウェルとファラデーが予見していた「電磁波が空間を伝播する」ことが照明されました。これにより無線の発明の基礎となりました。しかし、ヘルツはこれ以降この現象を研究することはありませんでした。実験によって観察された現象に関して、解釈を示したこともなかったとされています。

この研究の際に、1886年、ヘルツは接地されない端子群から成る「ヘルツアンテナ」受信装置や、極超短波送信用のダイポールアンテナの開発にも成功しています。

また1887年、ヘルツは紫外線の照射により帯電した物体は電荷を容易に失うという光電効果を発見しました。これは、電磁波をより強く発信する方法を探していて、紫外線を発信装置に当てると電磁波が強くなることを見出したのが発端でした。さらに、1892年、ヘルツは陰極線が極めて薄い金属箔(アルミニウム箔など)を透過することができることを実験で示しました。ヘルツの教え子だったフィリップ・レーナルトはその研究をさらに推し進め、様々な素材での透過性を調べました。

「ヘルツ」は周波数を表すSI単位に名を残しています。

ヘルツは1892年、感染症にかかり、何度か手術をうけました。1894年に多発血管炎性肉芽腫症(ウェゲナー肉芽腫症)により亡くなりました。ヘルツの遺体はハンブルクのユダヤ人墓地に埋葬されました。

ヘルツ自身は自分をユダヤ人だとは思っていませんでしたが、ナチス・ドイツは彼をユダヤ人の家系だとして、ハンブルク市庁舎に掲げられていたヘルツの肖像画を撤去しました。ヘルツ本人はルター派だったが、父方は確かにユダヤ教であり、ヘルツの父が結婚に際してキリスト教に改宗したという事実があります。この肖像画はのちに再び一般に公開されるようになりました。

今回は、電磁波の存在を証明したハインリヒ・ヘルツの生涯を振り返りました。彼の研究は無線通信の分野で生かされ、その功績を讃えられています。ダイポールアンテナや光電効果などといった研究の成果は、現代でもさまざまな研究に活用されています。SI単位系に名を残した人物にも目を向けて、その歴史をたどってみると新しい発見があるかもしれません。

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