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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 「ニプコー円板」の発明家 パウル・ニプコウ(円板や鏡を用いて映像を出力させる「機械式テレビ」に使われる技術を生み出した発明家)

2024.02.05

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。映像をお茶の間に届ける家具として広まったテレビにも、数々の歴史があります。先人たちが試行錯誤を繰り返したものの、実用化に至らなかった経緯も少なくありません。最初に発明されたテレビは、映像の明暗を電気信号に変換して出力するだけのものでした。遠く離れた人に映像で情報を伝えるのは画期的な発明でしたが、現代のようにクリアな映像を流すことはできませんでした。今のようなテレビが発明できたのは、多くの人々の努力があったからこそです。そんな進化の過程のひとつに、「機械式テレビ」というものがあります。機械式テレビジョンは、円板や鏡を用いて映像を出力させる技術です。そこで用いられたのが、パウル・ニプコウが発明した「ニプコー円板」です。ニプコー円板が利用されていたのはわずか数年の間でしたが、世界初のテレビ放送に成功した功績が讃えられています。今回はそんな、パウル・ニプコウの生涯を振り返っていきましょう。

パウル・ニプコウの前半生(ニプコー円板を発明して特許を取るが、実用化されずに特許が切れてしまう)

パウル・ニプコウは、ドイツで活動した発明家です。ポンメルンのラウエンブルクで、1860年に生まれました。青年期には、西プロイセンのノイシュタットを訪れ、技術を学んでいました。そこでは電話と画像転送の実験を行ったことで知られています。電気通信技術に興味があったニプコウは、関連する技術をさらに学ぶために大学に通いました。科学を学ぶためベルリンに移住すると、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツから生理光学を学び、アドルフ・ズラビーから生理光学や電気物理学を学んで知識を深めていきました。

学生のうちから才能に恵まれていたニプコウは、若くしてニプコー円板を発明しました。円板に渦巻き状の穴を開けることで、画像を点として処理できるという代物でした。とある年のクリスマス・イブに自宅でオイルランプの灯りを見ている時にこの構想を思いついたのだとか。1840年にアレクサンダー・ベインが画像の転送技術を実現していましたが、ニプコウはこれを進化させ、符号化過程を改善したことで知られています。

ニプコー円板が完成すると、ニプコウはベルリンの特許事務所に特許を申請しにいきました。「電気機器」に関する技術として、「発光オブジェクトの電気的複製」のための「電気望遠鏡」という名前で申請を行いました。申請は無事に受理されました。しかし現在残されている資料では、彼が本当にニプコー円板を発明したかどうかは不明とされています。中には、まったく製作に関わらなかったとする説さえ存在します。ニプコー円板は特許として認められたものの、興味を持つ人が誰もいなかったため15年後に失効してしまいます。

パウル・ニプコウの後半生(ナチスドイツのおかげでパウル・ニプコーテレビ局を開局する)

ニプコー円板による機械式テレビが世界初のテレビ放送に成功したことを、ナチス・ドイツは最大限に利用しようとしました。1935年、ドイツ初のテレビ局となるパウル・ニプコーテレビ局を開局し、ニプコウは帝国放送評議会におけるテレビジョン協議会の名誉会長に就任しました。1929 年、ヴィッツレーベン ラジオ局はテスト目的でベルリンにあるポストのテレビ研究所に最初のテレビ画像の送信を開始しました。

ドイツにおける最初のテレビ放送は、1934年4月18 日にベルリンクロール・オペラで一般公開されました。1935年には定期番組サービスも開始され、人々に大きな印象を与えました。この放送には、全ドイツ人にヒトラーのイメージを植え付けるためであったとされています。

1936年の夏季オリンピックでは多数のテレビカメラが設置され、世界中にドイツの技術が広まっていきました。そのほかにもニュースの報道やテレビ番組などが制作され、テレビの文化の基礎を作っていきました。

第二次世界大戦が始まると、テレビは娯楽のためでなく、軍事的に利用されるようになります。ジャーナリズムとしての重要度は高くありませんでしたが、ドイツ軍は戦争の遂行のためにはテレビが必要だと考えたのです。テレビ放送の周波数を代替周波数に切り替え、戦時中も放送業務を続けました。最終的に赤軍のメンバーによって放送局が占拠され、戦時中の放送は中止されました。

今回は、ニプコー円板を発明したドイツの科学者、パウル・ニプコウの生涯を振り返りました。テレビジョンは古くから研究されてきた技術であり、その歴史のひとつを作った功績は決して小さくありません。ニプコー円板が実際に利用された期間はわずかですが、のちのテレビの研究に大きな影響を与えたことは間違い無いでしょう。ニプコーが発明に関わったかどうかは諸説ありますが、ドイツの歴史に名を残す人物として讃えられていることは事実です。歴史の表舞台に出てこない発明の歴史をたどるのも、また違った面白さがありますね。

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