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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 曲木椅子の発明家 ミヒャエル・トーネット(ドイツの家具メーカーである「トーネット社」の創業者)

2024.01.26

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。曲木椅子が発明されたのは、18世紀中ごろのこと。ドイツの家具メーカーである「トーネット社」によって木を曲げる技術が確立され、曲木椅子の大量生産が可能となりました。トーネット社を立ち上げた人物が、家具デザイナーとして名を馳せたミヒャエル・トーネットです。トーネット社の活躍はすぐに広まり、曲木椅子は丈夫さと美しさを兼ね備えた家具として根強い人気を誇るまでに至りました。現代でも曲木椅子の製造技術は家具製造の分野に息づいています。今回はそんなミヒャエル・トーネットの生涯を振り返っていきましょう。

ミヒャエル・トーネットの前半生(木材を曲げる技術を開発してビジネスで大成功する)

ミヒャエル・トーネットは、1976年、なめし革業を営んでいたフランツ・アントン・トーネットの息子として生まれました。トーネットは若い頃から家具の製造に興味をもち、建具職人のもとで修行を積みました。彼の事業は順調に伸びていったものの、やがて需要に対する供給が間に合わなくなっていきます。手作りで家具の製造を行っていたトーネットは、家具の製造をいかに効率化させるかを考えなくてはなりませんでした。そこで思いついたのが、木を蒸して曲げるという方法です。それまで行われていたのは、安い木材を削ってカーブを作り、一枚ずつ貼り付けたあとに仕上げする手法でした。最終的には高い材料を使わなければならなかったため、資金面の負担も少なくありませんでした。木材自体を曲げることができれば、コストの問題が解決できます。当時のヨーロッパでは、木材を曲げるという発想を持つ人はあまりいませんでしたが、この発想は結果として画期的なものとなりました。

トーネットは木材を曲げた状態に加工する方法を実現し、曲木椅子を安価に大量生産することに成功します。家具デザイナーとしての知見も持っていたため、実際に生産された椅子はドイツで高い人気を呼びました。トーネット社は一大企業へと成長していき、彼の名前もますます売れていきました。

ミヒャエル・トーネットの後半生(曲木椅子の特許が切れて潰れそうになるが第二次世界大戦後に復活をする)

曲木椅子は、ドイツ国内だけでなくヨーロッパ全土に広がっていきました。1841年、フランス、イギリス、ベルギーの3国で特許を取得すると、各地に曲木椅子を展示してさらなる注目を集めました。中でもウィーンに展示したことがきっかけで、家具製作で有名な実力者に気に入られ、トーネットはウィーンへと根拠地を移しました。1949年、ウィーンに新たな工房を創設。4作目の椅子が大量に生産され、トーネット社はさらに業績を拡大していきました。1851年のロンドン万国博覧会にも出店され、世界中の注目を浴びました。

トーネットには5人の息子がいました。万国博覧会の2年後、会社名を「トーネット兄弟社」と改名し、5人の息子には経営にも参加してもらうようになります。1857年には工場をウィーンからチェコのコリチャニへと移転させ、労働力と椅子を生産するための資源確保をより強固にしていきました。低賃金の女性たちを従業員として雇い、人数の多さで効率よく労働力を確保しました。パーツに分解してから現地で組み立てるという方式をとったことで、職人を必要とせず、誰でも簡単に作業ができるような仕組みを作り上げていきました。売上の拡大に伴い。販売店はウィーンからロンドン、パリ、ニューヨークをはじめ、ヨーロッパの各地にも展開していきました。特にヒットしたのは「No.14」として生産された椅子であり、1930年までの間に5,000万脚以上を売り上げました。

ミヒャエル・トーネットは1971年に亡くなりますが、会社の経営は5人の息子たちが引継ぎました。ミヒャエルが取得した特許が切れると、次々にライバル会社が現れ、熾烈な戦いを繰り広げることになります。そんな中でもトーネット社は曲木椅子のパイオニアとして高いブランド力を誇り、なんとか生き抜いていきました。しかし第一次世界大戦が勃発すると、会社の経営は傾きます。1922年にはライバルであるコーン社との合併を選択し、社名をトーネット=ムンドスへと変更します。これでいったんは経営の危機をしのいだものの、偉大な父親から受け継いだトーネット社を他の会社のものにするのは忸怩たる思いでした。その後、再び独立し社名をトーネット兄弟社に戻しますが、経営状態が回復することはありませんでした。

そんななか、第二次世界大戦が勃発。世界中が大きな痛手を受けましたが、人間の回復力は凄まじく、復興へむけて多くの人々が奔走しました。全面的な終戦を迎えた翌年の1946年、トーネット社は再建します。しかし一社だけの体制ではなく、ドイツ・フランケンベルクの生産会社とフリッツ・ヤコブが担う販売会社のウィーン・トーネット社に分かれました。その後は冷戦の影響などにより、完全に別会社となります。現在で「トーネット社」という場合は、ドイツのトーネット社の方を指します。

今回は、ドイツの家具職人として活躍したミヒャエル・トーネットの生涯を振り返りました。木材を蒸すことによって曲げやすく加工し、安価に曲木椅子を大量生産する仕組みを作ったことは、椅子製作の世界に大きな変化をもたらしました。彼が立ち上げたトーネット社は何度か危機を迎えたものの、現代でも曲木椅子の一大ブランドとして世界中で愛されています。日常生活の中にある製品に目を向け、その歴史をたどってみるのも面白いですね。

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