【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー マイセン陶磁器の発明家 ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーとエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス(国立マイセン磁器製作所の生みの親である二人組の発明家)
2024.01.19
AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。マイセン陶磁器は、ドイツの名産品です。西洋白磁の最高傑作として名高く、陶芸の世界で多くの人に愛されています。マイセン陶磁器の発明には、2人の人物が関わっています。それがヨハン・フリードリッヒ・ベトガーとエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスです。彼らの手によって生み出されたマイセン陶磁器は、西洋磁器の歴史を作りました。今回はそんな2人の芸術家の歴史を振り返っていきましょう。
ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーとエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスの前半生(錬金術を応用して陶磁器の製造技術を生み出す)
時は17世紀ごろ。プロイセンに東洋の白磁がやってきました。古来より中国や日本で製造されてきた陶磁器は、西洋では憧れの対象でした。
ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーは錬金術師を名乗り、ベルリンで暮らしていました。「金を作ることができる」と吹聴していました。当時のプロイセン国王であるフリードリヒ1世は多大な期待を彼に向けていましたが、ベドガーはそれに応えることができませんでした。その結果不興を買い、ベルリンを追われることになります。しかしザクセン選帝侯のアウグスト2世は、ベドガーに才能を見出しマイセンに招聘しました。錬金術の秘密を知ったアウグスト2世は、陶磁器の利益を独占するため、ベドガーを幽閉して、陶磁器の制作を行わせました。
ここでもう1人、重要な人物が登場します。哲学や物理学の分野で売り出し中のエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスです。彼はヨーロッパでもっとも早く陶磁器の製造方法を確立した人物として知られています。ベドガーの件を聞きつけたチルンハウスは、アウグスト2世に自身が持つ陶芸技術を売り込みました。マイセン磁器の発明のために工房の創設を持ちかけましたが、この提案は却下されます。その代わりに、ベドガーに協力して陶磁器を作ることを命じられました。チルンハウスは陶磁器の製法をベドガーに教え、工房の実働化に協力しました。1907年、ベドガーはチルンハウスの製法を引き継ぎ、マイセン陶磁器の発明に成功しました。
ベドガーが行ったことは、陶工というよりも錬金術師としての部分が大きな割合を占めています。当時の陶芸で使われていた製法では、満足できる成果を得られませんでした。材料と製法に原因があると考えたベドガーは、ザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料に使いました。さらに、それまでヨーロッパで使われていた炉よりももっと高温の炉を使って焼成を行いました。この結果、カオリンに含まれていた泥の成分が溶け、純度の高い新しい物質が生み出されました。この発見がフォークラント地方独自の発見となり、陶磁器の価値が大きく引き上げられたのです。
ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーとエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスの後半生(王立ザクセン磁器工場で大活躍する)
翌1710年、ドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立されました。硬質磁器製造の独占権が与えられ、マイセン磁器の製造に特化して稼働しました。現在でも「国立マイセン磁器製作所」として残されており、ドイツの名産として広く知れ渡っています。ドレスデンはヨーロッパ随一の芸術の中心地として発展していきました。
マイセン陶磁器は、ドイツの一大産業となりました。工場も多数創設され、多くの人が製造に関わりましたが、ベドガーが幽閉を解かれることはありませんでした。これは情報が他国に漏れることを避けるためです。染付の複製を命じられ、その後もマイセンで不自由な暮らしを強いられました。マイセンでの幽閉生活はベドガーの精神を蝕み、彼は酒に溺れるようになります。毎日浴びるように酒を飲み続けたことで身体も病魔に冒され、37歳の若さでこの世を去りました。
マイセン陶磁器の発展は、付近に川や鉱山などがあり、立地条件の良さも理由になっていると考えられています。初期のデザインは中国の五彩磁器や日本の伊万里焼などの影響を受けていましたが、1720年にウィーンからやってきたヨハン・グレゴリウス・ヘロルトによって、ヨーロッパを印象付けるロココ調の意匠が加えられました。1723年からは、贋作防止のために2本の剣が交差するマークが用いられています。年代によって刃や鍔の傾きが変化しています。
今回は、マイセン陶磁器の発明に関わったヨハン・フリードリッヒ・ベトガー、そしてエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスの生涯を振り返りました。ヨーロッパにおける陶芸の最高傑作と名高いマイセン陶磁器発明の裏側には、当時の国政を取り巻く様々な思惑がありました。偉大な功績を残した彼ら2人が十分な見返りを得られなかったことは残念でなりません。伝統工芸品の歴史や背景を知っておくと、新たな視点が開けて面白いですね。