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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 熱気球の発明家 モンゴルフィエ兄弟(性格の異なる二人で力を合わせて熱気球を生み出した仲良し兄弟の発明家)

2023.10.23

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。有人飛行する気球が発明されたのは、近代フランスでのこと。熱やガスなどをエネルギーにして空を飛ぶ気球は、人類の浪漫でした。熱気球を用いて世界初の有人飛行を行ったのは、フランスの発明家、モンゴルフィエ兄弟です。彼らは熱によって上昇気流を作り、布を上昇させる仕組みを思いつきました。航空に関する歴史で多大な功績を残したモンゴルフィエ兄弟は、現代でも偉人として名を残しています。今回はそんな、モンゴルフィエ兄弟の生涯を振り返っていきましょう。

モンゴルフィエ兄弟の前半生(変わり者のジョゼフが熱気球を発明)

モンゴルフィエ兄弟の生い立ちは、リヨンの南方アルデシュ県アノネーの製造業者から始まります。一家にはかなりの数の子どもがおり、12番目のジョゼフと15番目のエティエンヌが後に「モンゴルフィエ兄弟」として大きな功績を残します。

兄のジョゼフは、変わり者というべき性格をしていました。発明家向きであり、事業者としての才能はあまりありませんでした。弟のエティエンヌは実務に向いている性格でしたが、兄たちと常に喧嘩をしていたため、あるとき建築家の修行をさせるためにパリに送り出されました。しかし1772年に長男のレーモンが急死すると、製紙業を継ぐために地元に戻らなくてはなりませんでした。エティエンヌは事業を引き継ぐと、経営に突出した才能を見せました。一家の事業には様々な技術革新を取り入れ、政府からも認定されるほどの業績を叩き出したのです。

熱気球に関する最初の発見は、ジョゼフが洗濯物を乾かしていたときのことでした。焚き火の上に上昇気流が生まれ、乾かしていた洗濯物は空へと飛び上がり、ポケットのような形になることに気がつきました。これを見たジョゼフは、同じ要領で布を空中で膨らませれば、空を飛べるのではないか、と考えました。早速ジョゼフは実験を開始しました。最初は小さな木材で枠を作り、側面と上面を軽いタフタ生地で覆いました。紙を何枚か丸めて箱の下に置き、火をつけるとその仕掛けは空中へと飛び上がりました。ジョゼフは兄弟たちに協力してもらい、27倍の大きさで同じ仕掛けを作りました。上昇する実験は大成功でしたが、綱が不足していたため制御を失い、約2kmの距離を漂流しました。落下した場所では得体の知れない物体を恐れた人たちによって破壊されてしまいましたが、この実験でジョゼフは気球のメカニズムについて確信を得ました。

ジョゼフをはじめとした兄弟たちは、発明の手柄を誰かに横取りされないために、公開実験を行いました。この実験で使ったのは、リンネル製の気球です。内側には3枚の薄い紙を貼り付けて強度を高め、それを球状にしました。1873年、実験の場所はアノネーでした。役人を招待し、自分たちの発明であることを証明するための機会として位置付けられたこの実験は、無事に成功しました。気球は約2000m上空にまで到達し、2kmの距離を10分かけて移動しました。この成功はすぐさまパリ中に伝えられ、モンゴルフィエ兄弟の名は広く知られることとなりました。エティエンヌはさらなる実験のためにパリに向かいましたが、ジョゼフは内向的な性格のおかげでパリに赴くことを嫌がり、アノネーの実家に残ることを決めました。

モンゴルフィエ兄弟の後半生(しっかり者のエティエンヌが熱気球を実用化)

パリに向かったエティエンヌは、壁紙業者のレヴェイヨンとともに新たな気球を発明しました。タフタ生地にミョウバン入りのニスを塗装し、容量もアノネーで作ったものよりも大きくしたものです。最初に気球に乗ったのは、ヒツジとアヒルとニワトリでした。人間ではなく動物を使って飛行実験を行ったのは、動物たちが生きて帰ってくれば上空でも酸素がなくならないことを確かめるためとされていますが、一説には聖職者から「人間が空を飛ぶのは不遜ではないか」という意見を受けたともされています。レヴィヨン気球はヴェルサイユ宮殿でフランス王ルイ16世とマリー・アントワネットが見守る中、無事に空を飛んで墜落することなく着陸しました。

ヴェルサイユでの成功は、エティエンヌにさらなる自信を与えました。動物での飛行実験に成功した次の段階は、いよいよ人間を乗せて飛行するというものでした。より大きなサイズの気球を作成し、エティエンヌ自身が乗り込みました。この実験での飛行が、人類史上初の有人飛行となります。とはいえ安全のために地面に係留していたので、20数mほどの高度にしか届きませんでした。

その後、係留をしない有人飛行の実験も行われました。この気球にはピラートル・ド・ロジェとフランソワ・ダルランド侯爵が搭乗し、無事に成功。フランス国中は世界的な成功によって大騒ぎとなり、有人飛行実験の風景を描いた版画が至る所で作られました。さらに椅子や置時計、陶器などにも気球のイラストが描かれ、爆発的な盛り上がりを見せました。

熱気球の発明とほぼ同時期、ガス気球の発明も進められていました。研究者たちはお互いをライバル視し、競争の中で発展していきました。しかし熱気球よりもガス気球の方が効率が良く、安全性も高かったため、熱気球はやがて使われなくなりました。1960年代になると、アメリカのレイブン・インダストリーズがより安全な気球を開発しました。モンゴルフィエ式の気球が再度見直されるきっかけとなり、熱気球の使用頻度も少しずつ増えるようになりました。モンゴルフィエ兄弟が最初に公開飛行を行った6月5日は「熱気球の日」とされ、気球に関する人々の記念日となっています。

今回は、熱気球で人類史上初の有人飛行に成功したモンゴルフィエ兄弟の生涯を振り返りました。熱による揚力を発見したジョゼフと、事業を押し進める才能に長けたエティエンヌ。ふたりの才能は疑いようもなく本物だったといえます。気球で空を飛べるようになったことで、人類の夢だった空中散歩ができるようになったことだけでなく、空路で人や物資を運べるようになったのは非常に大きな功績です。

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