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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー マリアーニ・ワインの発明家 アンジェロ・マリアーニ(コカ・コーラ発明のきっかけを作ったコカイン入りワインの発明家)

2023.10.09

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。世界的に人気の飲料「コカ・コーラ」は、コカの葉を原料に用いた「マリアーニ・ワイン」から着想を得て発明されました。マリアーニ・ワインはコカを混ぜて作られるワインであり、強い強壮効果から芸術家や歌手、スポーツ選手などが愛飲した歴史があります。コカインの危険性が知られるようになると製造は中止されましたが、その後のコカ・コーラ発明のきっかけになったことを考えれば、偉大な発明だったと言えるでしょう。マリアーニ・ワインの名前のきっかけになった人物が、フランスの薬剤師だったアンジェロ・マリアーニです。今回はそんな、アンジェロ・マリアーニの生涯を振り返っていきましょう。

アンジェロ・マリアーニの前半生(薬学の研究をしてマリアーニ・ワインを発明する)

アンジェロ・マリアーニは、1838年、フランス王政下のオート=コルス県ペロ=カセヴェッキで生まれました。マリアーニ一家は医師であるコノー家と交流があり、医学に対して深い知識を持っていました。アンジェロは7人兄弟の長男として生まれ、家を引き継いでいくことを期待されていました。1947年になると、父親がバスティアで薬局を開業します。マリアーニ自身は1860年初頭、薬学を学ぶためにパリへ赴きました。様々な薬局を転々とし、最後はグルネル通りの揉んで薬局に勤務しました。この薬局ではキナノキ属の樹皮を原料とする強壮剤を取り扱い、強壮効果のある植物についての知見を身につけました。

マリアーニの生涯においてもっとも偉大な発明は、マリアーニ・ワインの発明です。イタリアの医師・パオロ・マンテガッツァは、コカ植物からコカインの結晶体を単離した研究を発表しました。マリアーニはこの研究結果に強く興味をひかれ、麻酔医学に携わっていたピエール・フォーベルとともにマリアーニ・ワインを発明しました。ワインの中にコカインを入れる方法は目新しいものではありませんでしたが、巧みな販売戦略によってその知名度を上昇させていきました。その始まりは、若い女性オペラ歌手に処方したトニック・ドリンクです。かすれ声に悩んでいた彼女へ、ボルドーワインに3種類のコカの葉エキスを注入したものを処方しました。小さなサンプルの段階でしたが、その効能に満足した女性歌手は「12本のボトルを送ってください」と歌い、かなりの満足度を得られた様子だったようです。

ワインの発明後すぐ、マリアーニは「ペルー産のコカとマリアーニ・トニックワイン」として特許を取得しました。このワインは「マリアーニ・ワイン」という商標名で広く伝わり、ヨーロッパ全土で高い評判を獲得しました。

アンジェロ・マリアーニの後半生(マリアーニ・ワインが大ヒットしてビジネスで成功する)

マリアーニ・ワインは、滋養強壮や食欲増進、気分の高揚などの効果があり、疾患の治療のために利用されました。芸術家やアスリートはパフォーマンス増加のためにこのワインを求め、あらゆる分野の著名人から熱い支持を得ることになります。ワインの効能は王室にも伝わり、ローマ教皇レオ13世やピウス10世といった王族にも愛飲されるようになりました。

マリアーニ・ワインの勢いは止まるところを知らず、雑誌や新聞などの媒体でよく取り上げられるようになりました。王室の人間が愛飲していることも相まって、多くの人間がマリアーニ・ワインを欲し、飲むようになりました。第一次世界大戦の勃発前には年間で1,000万本もの売り上げを叩き出し、まさに時代を代表するワインとなりました。しかし、アメリカで禁酒法が制定されると、その勢いには陰りが見え始めました。その後はフランスやその他各国でも禁酒法が制定され、製造・販売が禁止されました。

マリアーニ・ワインの成功は競争を激化させ、「インカのコカ」、「インカのワイン」などのさまざまな類似品が生まれました。それが末期の喉頭がんに苦しんでいたアメリカ大統領のユリシーズ・グラントに与えられたとき、マリアーニは米国で大きな名声を得たことで知られています。コカイン溶液の局所的投与またはマリアーニ・ワインの摂取は、彼の苦しみを和らげ、大統領は自分で回想録を書き終えることができました。1885年にアトランタの薬剤師であるジョン・ペンバートンはマリアーニ・ワインからヒントを得て、コーラ・ナッツを加えた「フランスワイン・コカ」を開発しましたが、これは現在はノンアルコール飲料となっているコカ・コーラの祖先にあたります。マリアーニの相続者は1950年代にマリアーニ・ワインの生産を中止し、彼らは1963年まで薬局で販売されていた「トニック・マリアーニ」と呼ばれる飲料を製造しました。

マリアーニは1870年に結婚し、4人の子どもをもうけました。しかし早くに妻を亡くし、寡夫として後半生を過ごしました。1873年にワインの販売で獲得した収益でオスマン大通りの薬局を買い取ったのち、スクリーブ通りに移転。さらにヌイイ=シュル=セーヌの土地を買い、工場や研究所、地下室、温室などの設備を整えました。またマリアーニは顔の広い有力者の警察官であるグザヴィエ・パオリと親しく、彼の協力でマリアーニ・ワインの愛飲者の記事をまとめた「マリアーニ・アルバム」を製作しました。

1914年に、マリアーニはヴィラ・アンドレアでこの世を去りました。

今回はマリアーニ・ワインの発明者であるアンジェロ・マリアーニの生涯を振り返りました。現代ではコカインの成分は麻薬と見なされるため、販売や所持、製造は禁止されています。販売戦力の立案に長けていたマリアーニは巧みに群衆の心理を突き、歴史的な飲料の発明を行ったことで後世に名を残しています。間接的にではありますが、コカ・コーラの発明にも寄与したことを考えれば、彼の発明は偉大なものだったと言えるでしょう。ヒットした飲料の歴史を辿ってみると、意外な発見があって面白いですね。

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