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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 点字の発明家 ルイ・ブライユ(盲目でありながら優秀な成績を収めて教師になり点字を生み出した素晴らしい発明家)

2023.09.29

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。6点式の点字を発明したのが、フランスで教師をしていたルイ・ブライユです。自身も盲目でありながら、自分と同じように目の見えない人たちが文字を認識できるように、点字での表現を編み出しました。彼の手法は現代にも根付く点字の手法となり、視覚障害者が不自由ない生活を送るための第一歩となりました。今回はそんな、ルイ・ブライユの生涯を振り返っていきましょう。

ルイ・ブライユの前半生(盲目ながら優秀な成績を収める)

ルイ・ブライユは、1809年生まれの人物です。故郷はパリから北東約40km離れた場所にあるイル・ド・フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ県クヴレ村で、馬具職人を営む父親と母親、3人の兄弟と共に暮らしていました。3歳の折、父親の工房で遊んでいるときに錐を誤って眼に刺してしまい負傷。怪我は深く、治療には時間がかかりました。結局負傷は治らず、2年後には好感性眼炎を発症し、5歳で両目の視力を完全に失いました。

1800年代初頭、フランスにおける障害児に対する向き合い方は十分とは言えないものでした。階級制度があり、貧民の家に生まれた子どもは栄養を満足に摂取できず、奇形や欠損など何らかのハンデを背負って生まれることも多かったようです。そのような子どもに対しては、教育をする必要がない、という考えが一般的であり、目の見えない、耳の聞こえない子どもたちは不遇な目に合わざるを得ませんでした。

そんな状況にあっても、ブライユは基本的な生活能力を身につけていきます。家族は目の見えないブライユに理解を示し、十分な教育を行いました。家族の協力もあり、深い教養を身につけたブライユは、他の同世代の子どもと比べても聡明であったことがわかりました。ブライユが6歳のとき、神父のジャック・パリュが村を訪れます。パリュはそこでブライユの聡明さを見出し、村の学校に通えるように校長に取り合いました。村の学校の校長を務めていたアントワーヌ・べシュレ校長はパリュの申し出を聞き入れ、ブライユを学校に迎え入れました。他の子どもたちと同じ環境で授業に参加したブライユは、落ちこぼれることなく優秀な成績を残しました。

ルイ・ブライユの後半生(王立盲学校に進学して点字を発明する)

学年の中でも飛び抜けた成績を収めたブライユは、やがて自分で読み書きができるようになりたいという思いを抱くようになります。学校の教師やブライユの家族も、学校の授業だけではブライユには物足りないと感じていたため、全面的にブライユを援助することになりました。村の侯爵は、パリの王立盲学校に推薦状を送り、学校側もこれを受諾。晴れてブライユは王立学校の奨学生として入学することになったのです。

ブライユが王立学校に入学したのは1819年、10歳のときです。ちょうど同じ時期に、ブライユはフランスの軍人であるシャルル・バルビエが考案した12点式の暗号に出会います。夜間や暗闇で文字を認識するための記号的な表現であり、軍が利用していたものです。ブライユはこの文字からヒントを得て、6点式の点字を発明しました。点だけでアルファベットを認識できる表現の方法は画期的なもので、多くの視覚障害者の助けとなりました。学校を卒業すると、ブライユは同校の教官になりました。

王立盲学校は、元々は監獄として使用されていた建物でした。跡地を学校として利用し始めたものの、掃除が行き届いていたわけではありません。建設からかなりの年月が経ち、風通しも悪いこの学校は湿度が高く、決して綺麗な状態とは言えませんでした。体調を崩す生徒や職員は少なくなく、ブライユも26歳にして肺結核を患ってしまいます。

病気を抱えながらも、教師として務めたブライユは、多くの生徒に慕われました。視覚障害者にとっても音楽は価値の高い教養だったため、ブライユも音楽には精通していました。教会のパイプオルガンを演奏し、注目を浴びることもありました。教師として働きながら、視覚障害者も視力に問題がない人も同様に使える点字を開発すべく、研究に情熱を注ぎました。

1952年、肺結核が悪化し、ブライユはこの世を去りました。ブライユの存在はフランス国内の英雄として讃えられ、パリにあるパンテオンに祀られました。ブライユの生家は展示博物館として公開され、多くの視覚障害者が彼の遺徳を偲ぶ場所となっています。

今回は、全盲ながら教師として活躍し、点字を発明したルイ・ブライユの生涯を振り返りました。全盲という大きなハンデを抱えながらも、多くの視覚障害者のために役立つ発明を行った功績は讃えられるべきことだと思います。43歳という若さで亡くなってしまったのは残念ですが、彼の残した功績を忘れずにいたいものです。バリアフリーの起源について、その歴史を紐解くのも新しい発見があって、実に興味深いですね。

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