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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 銀板写真法の発明家 ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(ニセフォール・ニエプスのあとをついで銀板写真法を発明して大成功した発明家)

2023.09.22

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。写真は風景を切り取り残すものとして、現代でも多くの人が使用しています。風景の投影技術は古くから研究されていましたが、実用化に至ったのは中世のころ。人類史上初の実用的な写真技術を完成させたのが、フランスの画家だったルイ・ジャック・マンデ・ダゲールです。建築や劇場設計、パノラマ絵画など、芸術に関する知識を幅広く取り入れました。彼の残した発明が時を超えて、現在ではスマートフォンで簡単に写真を撮影できるまでになりました。今回はそんなルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの生涯を振り返っていきましょう。

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの前半生(パノラマ画家、劇場デザイナーとして活躍)

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは、1787年に生まれました。画家として仕事を始めた当初は、フランスで初めてパノラマ絵画に取り組んだ画家として知られるピエール・プレポのもとに弟子入りし、建築や設計、パノラマ絵画を学んでいきました。ダゲールはイリュージョニストとしても高い評価を得ており、劇場はイリュージョンを作り出す技術で構築していました。演劇のデザイナーとしても名高くなり、数年の活躍の後は1822年に自身のジオラマ劇場を開設しました。パリで開いたこの劇場は人気を集め、ダゲールは劇場デザイナー、およびパノラマ画家として広く知られるようになります。

ダゲールのジオラマはかなりの規模であり、数多くのギミックを搭載していました。もっとも目を引くのは巨大な半透明のキャンパスであり、劇の場面に合わせて照明の当て方を変え、観客が没入できる仕組みを作り上げました。場面転換の際には観客席が回転し、資格だけでなく感覚的にも楽しめる要素をいれ、劇場は高い人気を博しました。ジオラマは一大産業となり、ダゲールの劇場を真似する業者も多く現れました。

このジオラマは、1830年代に入るまで栄華を極めました。しかし、最終的には焼失という末路を辿ります。劇場が燃えたことはショッキングな出来事ではありますが、当時すでにジオラマの人気はなくなり、産業としての終わりが近づいていた頃でした。劇場には保険をかけていたので、ダゲールは多額の保険金を受け取りました。皮肉にも、経営を続けるよりも多くの金額を獲得し、ダゲールのジオラマは終焉を迎えました。

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの後半生(銀板写真法を発明する)

そんなダゲールは、あるとき発明家のニセフォール・ニエプスと知り合います。ニエプスは写真技術を研究しており、影響を受けたダゲールも写真技術に興味を示すようになりました。二人は共同で写真を改良する方法を考え、その研究を始めました。ニエプスが発明した写真技術は世界初のものでしたが、露光にかかる時間が8時間に及ぶため、実用的な技術ではありませんでした。ダゲールとニエプスは試行錯誤を続けましたが、ついに実用的な技術を完成させることがないまま、ニエプスは最期を迎えました。

ニエプスの死後もダゲールは写真の研究を続けました。結果、1839年にようやく努力が身を結びます。ダゲールがこのとき発明した銀板写真法は露光時間を10分〜20分に短縮し、最終的には1分〜2分で終了するまでになり、風景だけでなく人間を撮影することも簡単にできるようになりました。このカメラはダゲールの名前をとってダゲレオタイプと呼ばれるようになり、フランス国中の注目を集めました。

ダゲレオタイプのカメラは、専門的な技術がなくても簡単に写真を撮影できることから人気を呼びました。設計も難しくなく、一般の人々でも製作可能であることや、撮影に要する時間を最低限に抑えたこと、そして写真を定着させる技術と、これらすべてを実現化したことで写真業界の新たな幕開けを呼び起こしました。ダゲールはこの発明をフランスを代表する科学者であったフランソワ・アラゴに売り込み、新たな写真技術への推薦を求めました。アラゴはダゲレオタイプの有益さを認め、フランス政府に推薦しました。フランス政府もダゲールに終身年金を支給し、ダゲレオタイプの写真技術を一般に公開しました。銀板写真法は19世紀の中頃には全世界に広まり、新たなワールドスタンダードを作り上げました。

1851年、ダゲールはシュールマルヌでその偉大な人生の幕を下ろしました。彼の功績を称え、エッフェル塔にはダゲールの名前が刻まれています。

今回は、フランスの画家・写真家として活躍したルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの生涯を振り返りました。エンターテイメントの体現者から一転、写真を生み出すためのカメラを作り出す情熱は他の人と一線を画しています。研究の相棒だったニセフォール・ニエプスが逝去した後も研究を続け、実用的な発明を残したことは本当に素晴らしいことです。彼らの努力の末に、現在の写真技術があることに感謝しなくてはなりませんね。

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