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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー プログラムによって動作する織機の発明家 ジョゼフ・マリー・ジャカール(事業に失敗して全財産を失うが、ジャカール織機の発明で大成功した不屈の発明家)

2023.09.11

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。現代製品の多くは、コンピュータプログラムによって制御されています。コンピュータの出現・発展から年月を経て、技術者たちのレベルも上がってきました。しかしコンピュータが開発される以前は、アナログ的な手法で機械をプログラムする必要がありました。この転換期における偉大な発明をした人物が、フランスの発明家として名を残すジョゼフ・マリー・ジャカールです。彼はプログラムによって動作する織機を発明したことで知られています。彼の開発は産業の発展に貢献したことはもちろん、のちのコンピュータ開発にも大きく影響したとされています。今回はそんな、ジョゼフ・マリー・ジャカールの生涯を振り返っていきましょう。

ジョゼフ・マリー・ジャカールの前半生(事業に失敗して全財産を失う)

ジョゼフ・マリー・ジャカールが生まれたのは、1752年のこと。フランスのリヨンで、この世に生を受けました。ジャカールは彼の本来の姓ではなく、「シャルル」という姓が元々のものでした。祖父の代から子沢山だった一家は、系統を判別するために呼び方を分けており、ジョゼフの系統は「ジャカードのシャルル」と呼ばれました。呼び名は便宜的なものでしたが、現代では「ジョゼフ・マリー・ジャカール」という名前で一般的に知られています。

ジョゼフの父親は、機織りを営んでいました。ジョゼフの他に8人の兄弟がいましたが、ほとんどは短命で、無事に大人になったのはジョゼフと姉のただ二人でした。しかし家は貧乏というわけではなく、むしろ裕福な方でした。ジョゼフは13歳まで学校教育を受けていなかったため、文章を読むことができませんでした。そこで出版業と本屋を営む義理の兄は、ジョゼフの家庭教師をすることになります。さらに学者を紹介して、ジョゼフに十分な教養を身に付けさせました。後に後世に残る大きな発明をするとは当時は思いも寄らなかったでしょうが、もしこの時にジョゼフが教育を受けていなかったら、コンピュータの歴史は違ったものになっていたかもしれません。

ジョゼフは母と1762年に、父と1772年に死別し、ジャカール家の様々な財産を相続しました。父の財産は機織りの稼業とブドウ畑や採石場など、数々の種類がありました。潤沢な資金があり経営に困らなかったジョゼフは、後に不動産の売買を始めます。1778年になると自身の職業を機織り職人・絹商人と称して活躍しました。

順風満帆な生活の中、1778年にリヨンの中流階級の未亡人であるクローディーヌ・ボワションと結婚します。彼女も莫大な財産を持っていましたが、幸せの中にある二人を大きな不幸が襲いました。ジョゼフは多額の借金を背負い、両家のほとんどの財産を使い切ってしまいます。幸い、クローディーヌはリヨンの郊外に家を持っていたため、逃げるように移住しました。借金の原因は当時取り掛かっていた事業の失敗によるものとされていますが、出典は明らかになっていません。しかし、元々かなりの財産を持っていたジャカール家・ボワション家の財産のほとんどがなくなったとなれば、その損失は相当なものだと言えます。そのため、事業の失敗による損失や訴訟による賠償金などの説も現実味を帯びています。リヨン郊外に移住した2年後の1779年には二人の間に1人息子であるジャン・マリーが生まれました。

ジョゼフ・マリー・ジャカールの後半生(ジャカード織機の発明で大成功)

ジョゼフの人生の転換期になったのは、発明事業への取り組みです。ペダル式織機や漁業用織機、さらにはパターン化した絹織物を自動で織れる「ジャカード織機」などを考案しましたが、いずれも成功には至りませんでした。

それでもジョゼフは自分の発明を発表するために、1801年のパリ産業博覧会に出展しました。2年後、ジョゼフはパリのフランス国立工芸院に所属し、発明家として働くことになります。フランス国立工芸院にはジャック・ド・ヴォーカンソンの織機が展示されており、これを見たジョゼフに天啓のような改良のヒントをもたらしました。ジョゼフは自分の発明をどんどん改良していき、より便利により生産しやすいように発明を続けました。発明当初、あまりの便利さに機織り職人たちは職を失うことを恐れ、強固に反発しました。しかし生産性の向上という魅力には敵わず、現場ではどんどんジョゼフの機械が採用されていきました。ジャカード織機は1806年にフランスの公共財産となり、発明者のジョゼフには年金と給料の支払いが約束されました。

ほとんどの財産を失ってから一転、発明によってジョゼフの地位は再び向上しました。暮らしていくのに困らない財産を獲得し、ジョゼフは偉大な発明家として名を残すことになります。

1834年、ジョゼフはローヌ県のウランにて人生の幕を閉じました。彼の波乱万丈な人生は、今でも多くの人に讃えられています。

今回はフランスの発明家であるジョゼフ・マリー・ジャカールの生涯を振り返りました。幼い頃は学校教育を受けず文章すら読めなかったジョセフは、義理の兄の教育によって教養を身に付けました。破産に近い失敗を経て、発明事業で再起を図り成功した彼の功績は称えるより他にありません。さらにパターン化を利用してより便利に活用できる織機を発明したことで、後のコンピュータ開発の礎を築き上げたことは「偉大」の一言がぴったりです。現代のプログラムが生まれたルーツが織機だったということを知っておくと、どこかで自慢できるかもしれませんよ。

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