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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 蓄音機の発明家 シャルル・クロス(蓄音機を発明したが、特許訴訟でエジソンに敗北した栄光なき天才発明家)

2023.09.08

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。蓄音機を発明した人物がエジソンであることは、多くの人が認識している常識なのではないでしょうか。しかし、エジソン以前にも蓄音機を発明した人物がいました。それがフランスの発明家であったシャルル・クロスです。彼は非常に優秀な頭脳をもち、多くの語学や化学、哲学、医学など様々な分野の知識を身につけていきました。特に詩文には類い稀な才能を発揮し、その分野で高い評価を獲得しました。発明家と学者、そして詩人という属性を掛け合わせた彼の人生は、他の詩人や学者に大きな影響を与えました。今回はそんなシャルル・クロスの生涯を振り返っていきましょう。

シャルル・クロスの前半生(教師、医師、詩人、発明家として活躍)

シャルル・クロスは、オルタンシウス・エミール・シャルル・クロスとして、南仏オード県のファブルザンの町で生まれました。祖父、父はともに教授であり、その三男に生まれたクロスも例に漏れず学者の道を歩むことになります。父の意向で学校には行かず、父親自身の教育によってドイツ語やイタリア語、ギリシャ語、サンスクリッド語、ヘブライ語などの語学や、数学、化学、哲学、医学、音楽などを学びました。のちに長兄は医者、次兄は彫刻家となり、それぞれの道を進みました。

クロスは18歳の時、パリでろうあ学校の教師となりました。しかし就職から2年後、解雇されてしまいます。教職をクビになったクロスは、今度は医学の勉強を始めます。今度も学校にはいかず、あくまで独学で医学の勉強をしていました。そんな中、クロスは文学への興味も高めていきました。この時、文学の仲間とつるむようになり、詩人として活躍するきっかけを得ることになります。

詩人としては、26歳ごろに処女作を発表しました。ニーナ・ヴィヤール夫人の芸術サロンに出入りするようになり、多分に影響を受けたクロスはやがて自分でも作品を作るようになりました。1869年には第二次『現代高踏詩集』のなかに作品が採択されました。

1870年、普仏戦争が勃発。プロシア軍の砲撃で自宅が崩壊し、クロスは2人の兄弟と共にサンジェルマン大通りにある古い友人の母の家に下宿することになりました。クロスはここではルビーやダイヤモンドなどの人工的な製造に取り組みました。実験自体は成功したものの、本物の宝石の価格よりも実験にかかる費用の方が高く、実用的ではありませんでした。さらに同時期、詩集『白檀の小箱』に収録する作品の執筆も行っていました。

その後はフランスの軍医に任命され、戦争で怪我を負った人の治療を行いました。この時、クロスは画家のぺテーヌと共にアパートを借りていました。コミューンでの戦いにフランスが敗退したこの時期、神童と称され高明だったアルチュール・ランボーと出会います。一時期は宿を共にしましたが、仲違いの末ランボーとは決裂してしまいます。クロスはヴィヤール夫人のサロンでの高踏派詩人太刀でグループを結成し、クロスは指導的立場にありましたが、この決裂もありたった1ヶ月で脱退してしまいました。

シャルル・クロスの後半生(蓄音機を発明するがエジソンに特許訴訟で敗北)

シャルル・クロスは、発明の分野においても業績を残しました。1867年に科学アカデミー宛に「色彩、形体、および運動の記録と崔精に関する方法」という論文を送っており、1869年にはフランス写真協会に色彩写真に関する「三色写真法」研究成果を報告しています。しかしちょうどクロスの2日前にルイ・デュコ・デュ・オーロンという者が同様の報告をしており、特許もオーロンが持っていて、クロスは激しく失望しました。しかしクロスはその後も色彩写真の研究を続け、1880年頃には高度な写真技術を開発していたことを示す写真も現存しています。

1877年ごろには発明好きのショーヌ公爵がパトロンとなり、献身的な補助を受けることができました。同年、クロスは蓄音機を発明しましたが、トーマス・エジソンが同様の実験を行っていることを知ると、クロスは自分の発明の優先権を主張しました。が、結果として蓄音機の特許はエジソンのものとなり、成功の栄誉はエジソンが手にすることとなりました。

この結果はクロスに衝撃をもたらし、失意のままに暮らすこととなってしまいます。酒に溺れ、文学に明け暮れました。酒場に入り浸っては、自身の作品である『燻製にしん』を朗読したとも言われています。1888年、パリでその人生を終えると、モンパルナス墓地に埋葬されました。

死後30年を経て、クロスの評価は見直されることになりました。再評価を行ったのはアンドレ・ブルトンを筆頭とするシュルレアリストで、『黒いユーモア選集』では「詩人として、学者としての彼の使命が一体化しているのは、彼がつねに自分の目標を、自然からその秘密の一部をもぎ取ることに置いていたという点に基づいている」と評価しました。

今回は、フランスの発明家、詩人であったシャルル・クロスの人生を振り返りました。学者の家系に生まれたクロスは、教授から軍医、発明家、そして詩人と、多くの分野でその才能を発揮しました。蓄音機の特許はエジソンに負けてしまいましたが、少しでも何かが違えば、歴史は変わっていたかもしれません。常識とされる偉人の功績の背景を知ると、新しい発見ができて実に興味深いですね。

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