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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】レーザーの発明家 チャールズ・タウンズ(ノーベル物理学賞+マサチューセッツ工科大学の学長などの栄光に輝いた発明家)

2022.12.15

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。今や医療や芸術分野で欠かすことのできないのがレーザー技術です。レーザー技術とは誘導放出による光増幅放射を意味しており、指向性と収束性に非常に優れています。レーザーが誕生したことにより、非線形光学(非常に強い光と物質が相互作用する場合に起こるもの)が大きく発展し、私たちの生活が豊かになりました。そんなレーザーを発明したことで有名なのが、アメリカ人物理学者のチャールズ・ハード・タウンズ(Charles Hard Townes)でした。また、タウンズは量子エレクトロニクスの基礎研究にも尽力し、多くの功績を世に残してくれました。彼の発明は非常に高く評価され、ノーベル物理学賞を受賞した経験を持っています。レーザーが普及したことにより、美容医療の発展や美しい工芸品を制作できるようにもなりました。そこで今回は、レーザーを発明したアメリカ人物理学者のチャールズ・ハード・タウンズの生涯を振り返っていきましょう。

チャールズ・タウンズの生涯(若手研究時代)
1915年(大正4年)7月28日、チャールズ・タウンズはアメリカ合衆国サウスカロライナ州のグリーンビルで誕生しました。タウンズの父は弁護士として活躍し、生計を立てていました。タウンズが幼いころにどのように過ごしたかの詳しい記録は残っていないようです。
タウンズは地元グリーンビルにあったファーマン大学への進学を果たし、物理学と現代語に関しての学びを深めました。物理学に関してはタウンズが大学2年生になったときに初めて触れた学問だったにもかかわらず、「美しく論理的な構造」に強く惹かれ大きなモチベーションとなっていました。さらに、学部時代に博物学に関しても興味を示し始め、博物館のキュレーター(欧米の美術館において作品収集や展覧会企画という中枢的な仕事に従事する専門職員のことを指し、専門性と権限が強い。)としても従事しました。そして夏の間には、ファーマン大学の生物学部門のために生物採集を行ったこともあるそうです。併せて、水泳部、大学新聞、ソフトボール部といった複数の団体に所属するなど、とてもアクティブな大学生でもありました。
そして1935年(昭和10年)、タウンズはそれぞれで学士号を取得し、成績が非常に優秀でなんと首席での卒業を果たしました。卒業後にはノースカロライナ州のデューク大学へ進学し、物理学の研究に尽力して1936年(昭和11年)に修士号を取得しました。さらにその後にはカリフォルニア州へ引っ越し、カリフォルニア工科大学大学院へ進学して博士号を取得しました。このときの博士論文は、同位体分離とスピン角運動量に関する研究内容となっていたそうです。
その後、タウンズはベル研究所(アメリカの大手通信会社AT&Tの社長ウォルター・グリフォードが設立した通信研究所。もとはベルシステムの研究開発部門として設立された。)で研究をすることとなりました。
タウンズは第二次世界大戦中(1939-1945)には、レーダー空爆システム設計に関する研究を行い、その関連技術に関して高く評価を受けたため複数の特許を取得しました。実はこの頃の研究内容が後の発明のきっかけとなっていました。軍事レーダー技術で用いられていたマイクロ波技術を分光法に適用することで、原子や分子などの粒子構造解析が可能となる新手法や電磁波制御を可能にする新基盤が作れるのではないかと考え始めたそうです。その後、1947年(昭和22年)までベル研究所で研究を続けました。

チャールズ・タウンズの生涯(レーザーの発明とその後の活躍)
ベル研究所を退所して翌年の1948年(昭和23年)には、コロンビア大学でマイクロ波物理学に関する研究をすることとなりました。このときに研究対象としていたのが、マイクロ波と分子の相互作用に関する内容であり、分子・原子・原子核の構造解析においてマイクロ波スペクトルを利用しました。
1951年(昭和26年)、タウンズは後にメーザーとして知られることになるアイデアを思いつきました。そのわずか数か月後にはアンモニアの気体を媒体とする装置を開発しました。その後も研究を継続した結果、1954年(昭和29年)はじめに、誘導放出(励起状態の電子や分子が外部からの電磁波により低いエネルギー準位に移りその余剰エネルギーを電磁波として放出する現象)による電磁波の発生とその増幅が確認されました。タウンズはこの現象の頭文字をとってメーザー(Microwave Amplification by Stimulated Emission of Radiation, MESAR(放射の誘導放出によるマイクロ波増幅))と名付けました。
またこの1952年(昭和27年)から1955年(昭和30年)までの期間、コロンビア大学物理学部門の主任教授となり、研究者の育成においても精を出していました。また、1956年(昭和31年)には、米国science councilのメンバーとして、1年間日本に駐在していました。
メーザー発見の4年後1958年(昭和33年)には、タウンズは義弟のアーサー・ショーローとの共同研究により、メーザーを可視光や紫外線の範囲内で実現可能なことを理論的に証明しました。併せて、それがどのようなシステムで実現できるのかまで提案しました。これが現象の頭文字からレーザー(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation, LASER(放射の誘導放出による光増幅))と名付けられました。
その後、1959年(昭和34年)にはコロンビア大学を去ることとなり、11大学が共同運営しアメリカ政府に助言しているNPOの防衛分析研究所にて副所長を務めました。2年間副所長を務めた後には、マサチューセッツ工科大学の学長兼物理学教授となりました。
1964年(昭和39年)には、タウンズのこれまでの功績が高く評価され、ノーベル物理学賞を受賞しました。
1966年(昭和41年)以降は学長の職を退き、大学で研究に専念することとなりました。
この頃タウンズが研究の専門分野としていたのは、量子エレクトロニクスと天文学でした。タウンズは天文学分野の研究において、星間物質として複雑な分子を検出した初の人物であり、銀河系中心部のブラックホールの質量測定にも成功しました。
タウンズはその後も、アメリカ国家化学賞、フレデリック・アイヴスメダル(アメリカ光学会)、ヘンリー・ノリス・ラッセル講師職(アメリカ天文学会)など多数の賞を受賞しました。
1989年(平成元年)、富士通株式会社から世界初のCD-ROMが標準搭載されたPCの「FM TOWNS」が発売されました。この製品の名前はタウンズから取られました。
チャールズ・タウンズは2015年(平成27年)、99歳のときにこの世を去りました。

今回はレーザー技術を発明したアメリカ人物理学者のチャールズ・タウンズの生涯について振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。タウンズは、量子光学や天文学、現代語、博物学など非常に多種多様な分野に興味を持っていた人物でした。そしてタウンズのレーザーに関する研究は、第二次世界大戦中のマイクロ波技術の研究がきっかけとなっていました。そこから生まれたレーザー技術は、現代医療の様々な場面や繊細な工芸品の制作、ビジネス現場でのレーザーポインターなど非常に幅広い分野において重宝されています。このように現在の日常で身近になっているモノに関しても発明家による努力があったからこそ存在しています。もしも、そのような発明がなかったらどのような世の中になっているのか想像もできませんよね。今あるひとつひとつに対して感謝を忘れないように生きていきましょう。また、今後どのような発明が誕生して、世の中がどのように発展してくのかとても楽しみですね!

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