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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】フロントガラスワイパーの発明家 メアリー・アンダーソン(自動車用ワイパーが普及する前に特許が切れてしまった不運な女性発明家)

2022.10.21

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。車や列車の運転手は、天候が悪くなるとワイパーを動かすことで視界を悪くすることなく安全に運転ができます。運転席から制御できるワイパーが普及する前、天候が悪くなったときの運転は非常に大変で危険なものでした。路面電車などでは悪天候時でも視界を確保するように設計されていました。しかし、必ずしも視界が安定するわけでもなく、運転手が窓を開けるか、電車から身を乗り出すか、電車を止めてフロントガラスを外から直接拭かなくてはいけない状態でした。そんなときに車内から制御できるフロントガラスワイパー(自動車窓洗浄装置)を発明し特許を取得した人物が、アメリカ人女性発明家メアリー・エリザベス・アンダーソン(Mary Elizabeth Anderson)でした。彼女がフロントガラスワイパーを発明したことで悪天候時の運転が安全なものになり、その技術は世界中に広まりました。そこで今回はフロントガラスワイパーを発明した人物、メアリー・アンダーソンの生涯について振り返っていきましょう。

 

メアリー・アンダーソンの生涯(さまざまな経営を経験)

1866年(慶応2年)2月19日、メアリー・アンダーソンはアメリカ南東部に位置するアラバマ州グリーン郡のブートン・ヒル・プランテーションで生まれました。アンダーソンには少なくとも1人の姉妹がいました。アンダーソンの父ジョンは、アンダーソンが生まれてすぐの1870年(明治2年)に亡くなりました。しかし、父が生前保有していた不動産による収入があったため、父が他界した後も家族は暮らしていくことができたそうです。

また残念なことに、アンダーソンがどのような教育を受けてきたかを記したものは残っていません。

その後、アンダーソンは母のレベッカ・アンダーソンと妹と一緒に、アラバマ州の最大の都市であるバーミングハムへ引っ越すこととなりました。アンダーソンはバーミングハムで不動産開発業者となり、ハイランド・アヴェンニューにFairmont Apartmentsを建設しました。

さらにその後、1893年(明治26年)にはバーミングハムから離れて、西海岸カリフォルニア州のフレズノで牧場とブドウ農園を経営し始めました。しかし、バーミングハムに残っていた叔母の体調が良くなかったことから、1898年(明治31年)にバーミングハムに戻って叔母の世話をするようになりました。

その頃、アンダーソンの母と妹とその夫はバーミングハムのアパートに暮らしており、アンダーソンと叔母もそのアパートに引っ越しました。アンダーソンの叔母は病気を患っていましたが、宝石と金のコレクションを入れたトランクを持っていました。そのため、彼らは生活に困窮することは一切なかったようです。

 

メアリー・アンダーソンの生涯(窓ふき装置(ワイパー)の発明)

不動産開発者、牧場主、ブドウ栽培者などさまざまな経験を持つアンダーソンは1903年(明治36年)の冬にニューヨークを訪れました。冬のニューヨークは平均気温がマイナス10度から0度付近となり、ときに腰の高さまでの積雪がある非常に厳しい気候です。

アンダーソンはそんなニューヨークで路面電車を目にしました。路面電車の運転手は凍える寒さのなか、みぞれが降るたびに窓の外側が見えにくくなり苦労していることに気づきました。

当時のニューヨークで使用されていた路面電車は悪天候時の視界を確保できるようフロントガラスを備えていました。とはいえ、現実はマルチペインのフロントガラスのシステムはうまく機能していませんでした。

そのため、安全に運転を続けるためにはどんなに寒い環境でも、運転手たちは窓を開けるか、電車から身を乗り出して確認するか、電車を停車させて外に出てフロントガラスを自分で拭くしか方法がありませんでした。

この様子を目の当たりにしたアンダーソンは問題を解決するために、運転手が運転台から操作できるワイパーを作れないか考え始めました。当時、この問題を解決するために具体的に動いていた人はおらず、当事者の運転手たちがただ厳しい労働を強いられていただけでした。

アンダーソンはアラバマに戻った後、フロントガスを拭く手動式装置の設計を行うため、設計者を雇って地元の会社に装置を作らせました。1903年(明治36年)6月18日には完成したワイパーで特許を出願し、同年11月10日には窓ふき装置(Window Cleaning device)の特許(特許番号743,801)を取得しました。

この時にアンダーソンらによって開発された窓ふき装置は、車内に設置されたレバーを操作することでフロントガラスの外にあるゴム製のブレードを動かすというシステムでした。ばねがついているアームがフロントガラスを移動し、ワイパーと窓がしっかりと接触するように釣合い重りが準備されていました。また、冬が過ぎれば窓ふき装置自体取り外せるようになっていたそうです。

窓ふき装置は、アンダーソンが発明する前に発明されていました。しかし、その窓ふき装置は効率的な製品とは言えず、実用的な窓ふき装置としてはアンダーソンが発明したものが世界で初めてでした。実は現在使用されているワイパーとアンダーソンが発明した窓ふき装置の基本的な構造はほぼ一緒です。大きく異なる点としてはアンダーソンが発明したワイパーが取り外し可能という点くらいであり、この窓ふき装置が現在のワイパーの基礎となっています。

アンダーソンが窓ふき装置を発明した当時、自動車はまだ普及していなかったため、カナダの有名企業Dinning and Eckensteinに発明の権利売却の話に向かったが、「この発明はわれわれがその販売を引き受けるほどの商業的価値があるとは考えられない」と返答され却下されてしまったそうです。さらに、動くワイパーに対して運転手が気を取られてしまい危険だという考え方まで広まってしまいました。

1920年(大正9年)にはアンダーソンの特許は切れました。ちょうどこの頃、自動車産業が急速に発展し、1922年(大正11年)アメリカの自動車メーカーキャデラックが初めて自動車にワイパーを搭載しました。キャデラックは、自動車のフロントガラスを掃除するシステムが一般的でなかったため市外電車に使用されていたワイパーの採用を決めたといいます。その後はワイパーの価値が認識され始め標準搭載された自動車が次々と誕生してきました。

1920年代にアンダーソンの義理の兄が亡くなり、再びバーミングハムで妹と母と暮らし始めました。

そして1953年(昭和28年)6月27日、アンダーソンは87歳のときにテネシー州で息を引き取りました。

私たちが天候関係なく安心して鉄道を利用でき、車を運転できるのは、アンダーソンがワイパーを発明してくれたからです。

 

今回は運転台から操作可能な実用的なワイパーを世界で初めて発明したメアリー・アンダーソンの生涯を振り返ってきましたが、いかがでしょうか。私たちが天候関係なく鉄道に乗車できたり、車を運転できたりするのは、ワイパーによって視界を悪化させることなく安全を維持できるからです。ワイパーが発明される前の世界では、運転手が窓を開けたり、外へ出て窓を拭いたりと、大変な労働環境とともに危険な状況でした。もしも、アンダーソンがワイパーの発明に目を向けていなければ、自動車が普及した後も雨天時の運転は危険なものだったかもしれません。いつでもどこへでも移動が楽になったのは紛れもなくアンダーソンの発明による恩恵です。これから先どのような画期的な発明が誕生し、どのような暮らしになっていくのか非常に楽しみですね。

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