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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】ジオデシック・ドームの発明家 バックミンスター・フラー(ハーバード大学を2回も放校処分になった変わり者の建築家)

2022.09.07

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。かつて、人類の生存が持続可能なものにするために深く追求した人物がいました。その人物とは、アメリカの思想家・デザイナー・建築家・発明家であったリチャード・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller)です。フラーは数々のアイデアの提唱や発明を生み出しました。フラーの発明として建築分野で有名なのがジオデシック・ドームです。ジオデシック・ドームとは正十二面体または正二十面体の球状構造、それらを作り上げる三角形を可能な限り対称性を維持したまま細かく分割した多面体球状構造のことを言います。発明後、この構造は様々な建築物に採用され、日本でも採用実績がある有名な構造となっています。また、正多面体に地球を投影し様々な展開図へと展開できるダイマクション地図を発明したのもフラーでした。この地図は面積のずれや形の歪みが小さいことがメリットとして挙げられ、しばしば使用されています。そこで今回は、人類の持続可能性について追及し続けた人物、バックミンスター・フラーの生涯について振り返っていきましょう。

 

バックミンスター・フラーの生涯(フラーの人生の方向性を決める出来事まで)

1895年(明治28年)、バックミンスター・フラーはアメリカ合衆国のマサチューセッツ州のミルトンという町で誕生しました。

フラーは小さな頃、メーン州沖ペノブスコット湾に浮かぶ島、ベア島で過ごす時間が多くありました。ベア島でフラーは森に行きいろいろなものを拾ってきては様々な道具を作り上げていたようです。

モノづくりに興味があったフラーは、ある日小型ボートに搭載する新しい装置を設計しようと考えました。そしてフラーが12歳になった頃、なんと「プッシュプル」というシステム(手漕ぎボートを推進するシステム)の発明に成功しました。幼いころのモノづくりの経験が、後のデザインやプロジェクトが必要とする材料や知識獲得に大きく影響を与えたと本人が語っていました。

その後マサチューセッツ州の高校、ミルトンアカデミーに通って勉強を続けました。成績も良く1913年(大正13年)、フラーはハーバード大学に入学します。しかし、ハーバード大学に入学してからは彼の行いが問題となり、2回も放校処分を受け結局退学してしまいました。

退学後、カナダにあった紡績工場の見習いや肉の梱包工場など複数の会社を転々としました。退学から2年後の1917年(大正6年)にはメリーランド州のアナポリスにあった海軍兵学校に入学しました。その後、アメリカ海軍に勤務することとなり、第一次世界大戦中には船上無線通信士、出版編集者、レスキューボートUSSの司令官を経験しました。

フラーは結婚し子供を授かり幸せに生活していましたが、1922年(大正11年)フラーの娘はポリオ(ポリオウイルスによって発症する疫病。子どもの感染が多く、手足や呼吸系の筋肉が麻痺し永続的な後遺症が残る場合や、死に至る場合もある。)と脊髄性髄膜炎(ウイルスや細菌などにより髄膜に炎症が生じた状態。場合によっては死に至る。)を併発し4歳を迎える前に命を落としました。この出来事がショックで酒に溺れるようにもなってしまいました。

また、フラーは娘が死んでしまった原因として、湿った生活環境が影響しているのではないかと考えたそうです。この出来事がきっかけとなり、リーズナブルで効率的に住宅を提供する会社の設立に繋がりました。

そして、1920年代に義理の父と会社を設立しました。この会社では軽量、対候性、耐火性を備えた住宅の製造を専門としていました。しかし、この会社も1927年(大正16年)に倒産してしまいました。この年はフラーに新たな娘が誕生した年でもあり、経済的にも非常に厳しい状況に追い込まれていき、ミシガン湖で自殺することも考えたそうです。

そしてフラーは、「この時に人生の方向性と目的を変える神秘的な体験をした」と語っています。この体験こそがフラーの人生を大きく変化させました。

 

バックミンスター・フラーの生涯(発明から晩年)

1927年(大正16年)、フラーはシカゴに移住し、独立して研究することを決めました。翌年の1928年(大正17年)にはニューヨーク州グリニッジ・ヴィレッジに住みながら、カフェのロマニー・マリーズに通いました。そこでは食事を提供してもらう代わりにカフェの内部の構成を考える仕事を引き受けていたそうです。さらに、週に数回非公式で講義も開催していました。

そして同年1928年、フラーは建築家としての代表作である「ダイマクシオン・ハウス」を発明しました。ダイマクシオン・ハウスは「根本的に強くて軽いテンセグリティ構造」という意味を持ち、エネルギー効率が高くかつ安価な住宅というコンセプトで設計されました。このダイマクシオン・ハウスはミシガン州のヘンリーフォード博物館にも常設展示されており見学可能です。トイレ、シャワー、洗面、キッチンなど生活に必要な最低限度の環境が整っている災害時の簡易住宅などが、ダイマクシオン・ハウスの実例として挙げられます。

1930年(昭和5年)にはアメリカン・ラジエーター・スタンダード・サニタリー社(配管・暖房・換気・空調システムなどにおける世界的なリーディングカンパニー。2008年にインガーソルランド社に買収された。)に就職し研究員となりました。

そして、フラーにとって有名な発明品となるジオデジック・ドームの発明に関する研究を開始しました。そして、1942年(昭和22年)にジオデジック・ドームを完成させました。フラーが発明したジオデジック・ドームは、正十二面体や正二十面体など球に近い正多面体または、可能な限り対称性を維持したまま正三角形に近い三角形で構成されている多面体のことを指しています。フラーが発明する前から類似の構造自体は複数存在していました。しかし、線分で構成されていることに重点を置いた構造は初であり、1954年(昭和29年)にアメリカで特許を取得しました。

ジオデジック・ドームの施工例として有名な建造物は、当該構造としては最古で1953年(昭和28年)に建築されたロトンダ・ドーム、1967年(昭和42年)のモントリオール万国博覧会におけるアメリカ館(現在のモントリオール・バイオスフィシックドーム)、日本では富士山レーダーやなにわの海の時空間などが有名です。

このように世界中での施工実績があり、1970年代以降では個人レベルでも数多く建築されました。しかし、施工自体が難しいことや雨漏りの発生リスクが高いことなどもデメリットとして挙げられます。

その後も人類の生存が持続可能なものにすることを目的として、建築家・デザイナー・科学者・作家として活動していきました。大学名誉教授となったフラーは引退するまで世界各国で講義を行い、その考え方を広く広める活動をし続けました。

フラーはこれまでの功績が評価され、1960年(昭和35年)にフランクリン研究所からフランクP.ブラウンメダルが授与、1970年(昭和45年)にはアメリカ建築家協会からゴールドメダル賞など数多くの賞を受賞しました。

1983年(昭和58年)の7月1日、バックミンスター・フラーは87歳でこの世を去りました。

フラーは生前独特の思想を持っていましたが、私たちの生活を持続可能なものにするために尽力し、数多くの技術やアイデアを後世に残してくれました。

 

今回は人類の生存を持続可能なものにするためにその方法を探り続けた人物、バックミンスター・フラーの生涯について振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。ジオデシック・ドーム、ダイマクシオン・ハウス、ダイマクシオン地図などを発明し、私たちの暮らしをより快適なものにしてくれました。普段の生活で目に見えて快適さを感じるようなものではなかったかもしれません。しかし私たちの生活を豊かで快適にしてくれた人物であることには間違いないでしょう。このように普段気にしなかった部分にも先人の発明家の努力が隠れています。このような過去を知るだけでも多くのものごとへの見方が変わってきますね。