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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】アメリカの自動車王 ヘンリー・フォード(フォード・モーター創業者)

2022.08.27

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。車社会のアメリカや日本、東南アジアをはじめとして世界中で自動車が普及してきています。これは自動車の大量生産が可能になったことにより、多くの人たちに行き渡るようになったからです。アメリカ出身の起業家・発明家だったヘンリー・フォード(Henry Ford)は自動車の大量生産、普及に広く貢献した人物です。フォードが設立したフォード・モーター社ではライン生産方式によって製品を大量生産する技術を生み出しました。さらに、累計で1,500万台も生産されたフォード・モーター社開発のT型フォードはアメリカの産業と交通で大きな変革をもたらしました。私たちの手元に自動車が行き渡るような環境整備をしてくれたおかげで、そのほかの産業も発展していったと言っても過言ではないでしょう。今回はそんなアメリカの起業家・発明家のヘンリー・フォードの生涯を振り返っていきましょう。

ヘンリー・フォードの生涯
ヘンリー・フォードは1863年(文久2年)7月30日、アメリカ合衆国ミシガン州のディアボーンという街に誕生しました。フォードの父、ウィリアム・フォードはアイルランド生まれの西イングランド系人物で農場を経営していました。母、メアリ・リトゴット・フォードはミシガン州出身のベルギーからの移民でした。また、フォードは6人兄弟で下に5人の弟妹がいました。
フォードが子供のころ父親から懐中時計をもらいました。その懐中時計のプレゼントがきっかけとなり、15歳になった頃には友達や近所の人の時計を分解・組み立てをして時計修理が美味いということで評判になっていたそうです。
農場を経営していた父はフォードにも農場を継いでほしい思いがありましたが、フォードは農場を継ぐことには全く興味がありませんでした。
1879年(明治12年)、フォードはデトロイトへ移り機械工として就職しました。3年後の1882年(明治15年)には実家に戻り農場で仕事をするようになりました。そしてそのときにウェスティングハウス製の可搬型蒸気機関の操作方法に精通したそうです。その後、その経験が評価されウェスティングハウスにて蒸気機関修理工として雇われました。
次に1891年(明治24年)、フォードはエジソン照明会社の技術者となりました。その後順調に昇格したことによって研究に費やせる時間と費用が増えていきました。そして研究を継続した結果、四輪自動車「Ford Quadricycle」の開発に成功しました。その後何度も何度も試運転をしていくうちに四輪自動車の改良が必要な部分が見えてきました。同年、フォードが尊敬していたトーマス・エジソン(蓄音機、白熱電球など数々の製品を発明したアメリカの発明家。多数の発明を果たしたことから発明王とも呼ばれている。)との初対面を果たし、自動車への想いを厚く語り合ったそうです。それから7年後の1888年(明治31年)、ついに2代目の四輪自動車を完成させました。
1899年(明治32年)、エジソン照明会社を辞めたフォードはデトロイト自動車会社を設立しました。しかし、自動車は低品質かつ高価格だったことにより、思うように売り上げが伸びませんでした。結局2年後の1901年(明治34年)に会社は解散してしまいました。
同年の10月、フォードが発明した26馬力の自動車でレースに出場し、そこで好成績を収めました。以前デトロイト自動車会社設立の援助をしてくれた人物がこのレースの瞬間を見ていたことにより、彼らは11月30日にヘンリーフォード・カンパニーを創業しました。その後もレースカーの制作を続けていきました。
彼らが制作したレースカーがその後も好成績を収めたことにより、支援を申し出る声が挙がり、フォードは旧友のアレキサンダー・Y・マルコムソンと共にフォード&マルコムソンを創業しました。

T型フォードの発明
しかし、フォード&マルコムソンを創業後の自動車の売れ行きは悪く、危機的状況が続いていました。その影響によって自動車部品を発注していたドッチ兄弟の会社への支払いが困難になってしまいました。この時にマルコムソンがさらに出資者を集めて、ドッチ兄弟には新たな会社の株式を一部渡すことで了承を得ました。
そして1903年(明治36年)、フォード・モーター・カンパニーとなり再結成しました。ここで新たに製作された車の性能を見せるためにアメリカとカナダの境界にあるセントクレア湖の氷上を滑走させることになります。氷上1マイル(約1.6キロメートル)をなんと39.4秒で走り抜けました。この記録(147.05 km/h)は当時の自動車速度の世界新記録であり、注目を集めました。
1908年(明治41年)、フォード・モーター社からT型フォードという自動車が発表されました。T型フォードは左ハンドルタイプで、エンジンとトランスミッションはボンネットによって全体が覆われています。運転方法は非常に単純で、修理も簡単かつ安価という特徴がありました。発売当時、富裕層向けに販売されていた手作り自動車がおよそ3,000~4,000ドル、他社の自動車でも1,000ドルほどが相場だったそうです。一方でT型フォードは825ドルと非常に安価な自動車として販売が開始されました。その後順調に普及していき、1920年代にはアメリカ国内のドライバーはみなT型フォードの運転方法を知っているという状況になりました。
フォードらは大々的に広告を出し、販売から数年間は毎年100%以上の伸びが続き、とても人気を呼んでいました。その後は製造過程において更なるコスト削減と効率化を目的として研究を進めました。
1913年(大正2年)には、自動車製造にベルトコンベアを用いたライン生産方式を導入しました。ライン生産方式の導入によって生産能力が大幅に向上しコスト削減と効率化に成功しました。
ライン生産方式は販売価格を大幅に下げることを可能にし、かつ販売量数を拡大することが可能となります。この製造方式は自動車のみならず、様々な大量生産工場で用いられるようになり、現在までの産業発展に大きく貢献したと言われています。
1914年(大正3年)にはT型フォードの販売台数は25万台を超え、1916年(大正5年)には最低価格モデルが36ドルで販売されるまでになり、販売台数は47万台を突破しました。その後T型フォードは1927年まで生産が継続されました。最終的にはのべ15,007,034台が販売され、登場から19年間での販売記録はその後45年間も破られることはありませんでした。
1947年(昭和22年)、83歳になったヘンリー・フォードは脳内出血で亡くなりました。
彼は生前なんと161のも特許を取得しました。自動車以外にも物質科学、材料工学についても学びを深め、幅広く科学技術の発展に大きく貢献してくれた人物です。

今回はT型フォードという大ヒット自動車を生み出し、さらに製品を大量生産するライン生産方式を初めて導入したアメリカの発明家、ヘンリー・フォードの生涯を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。T型フォードが素晴らしい自動車でアメリカ国内に普及し生活が豊かになりました。さらに大量生産を可能にするライン生産方式によって自動車以外にも様々な分野において、効率的に製造し安価に販売できる環境が整いました。これは世界的な産業発展に大きく影響を与え、今の私たちの快適な暮らしがあります。そしてフォードは生前になんと161もの特許を取得しています。今回は彼の功績のごく一部しか紹介できませんでした。私達には想像もできないほど、世界中の発展に貢献してくれた人物です。さらに今後、私たちの生活がどのように進化していくのか楽しみですね!