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【SKIPの知財教室(IP Hack)】20世紀最高の理論物理学者 アルベルト・アインシュタイン(スイス特許庁審査官+ノーベル物理学賞)

2022.07.15

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。特殊相対性理論、一般相対性理論、ブラウン運動、光の粒子と波動の二重性、固体比熱理論、零点エネルギー、反古典型のシュレディンガー方程式などは全て現在の科学の基盤であり無くてはならない事実や考え方です。これらは全て「20世紀最高の理論物理学者」と称されたドイツ生まれの人物アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)によって導かれました。これらは現在、熱力学、量子力学、流体力学、統計力学、コンピューターサイエンスなどの物理学を中心とする非常に幅広い分野で利用されている考え方です。アインシュタインは現在までの科学の発展や、今後の科学の発展に大きく貢献する非常に多くの重要な事実を発見してくれた人物です。現在私たちが豊かで快適に暮らすことができているのはアインシュタインが科学の基盤を作り上げてくれたからといっても過言ではありません。そこで今回は20世紀最高の理論物理学者である、アルベルト・アインシュタインの生涯を振り返っていきましょう。

 

アルベルト・アインシュタインの生涯(論文発表まで)

物理学の認識を大きく変化させ、現在まで発展してきたサイエンスの基盤を作り上げてくれた人物が、ドイツ生まれの理論物理学者であるアルベルト・アインシュタインです。アインシュタインは特殊相対性理論、一般相対性理論、ブラウン運動など非常に多くの事実を発見し科学の発展に大きく貢献したということから「20世紀最高の理論物理学者」と称されています。ここでは今の私たちの世界を作ってくれたアルベルト・アインシュタインの生涯を振り返っていきます。

1879年(明治12年)3月14日、アルベルト・アインシュタインはドイツ南西の町ウルムで誕生しました。幼いころのアインシュタインは言語習得が苦手であり、5歳のころまでほとんど声を発さなかったそうです。専門家によれば、アインシュタインはアスペルガー症候群(広汎性発達障害の一つとされ子供同士の付き合いが困難、興味が限定的、日常行動がパターン化しやすいなどの特徴がある)であり、それが原因で言語習得に時間を要したのではないかと言われています(諸説あり)。

アインシュタインは子供のころ数学や物理学に強い興味を示しました。なんと9歳のころにはピタゴラスの定理を自力で証明し、12歳のときに叔父からもらったユークリッドの平面幾何学の本を読みこんでいたそうです。これらの経験によって科学の世界にのめり込んでいきました。

1900年(明治33年)にはスイスのチューリッヒ連邦工科大学(現在のスイス連邦工科大学)を卒業しました。2年後の1902年(明治35年)には移住先のスイスで特許庁の審査官となりました。この時から安定した職に就いたため自分の研究に集中できる環境となったそうです。研究に没頭すること3年、アインシュタインは歴史的にも大きな論文を3本も発表します。

 

アルベルト・アインシュタインの生涯(続けて3つの論文を発表)

本格的に研究を開始して3年後の1905年(明治38年)、アインシュタインは歴史を揺るがす論文を3つも発表しました。

はじめに発表したのが1905年3月の「光の粒子と波動の二重性」でした。アインシュタインは、光は「粒子」と「波」の2つの性質を有しているという発表をしました。最初この発表は誰からも相手にされませんでした。しかしその後多くの科学者たちが光の粒子と波動の二重性に関する研究を行い、現在の量子力学として発展していきました。現在様々な家電製品やスマートフォン、パソコンには半導体が使用されています。この半導体は量子力学の考え方を基に作られており、アインシュタインのこの論文がなければこれらの製品は生まれていなかったかもしれません。

続いて2か月後の1905年5月には「ブラウン運動」に関する論文を発表しました。ブラウン運動とは、コロイドと呼ばれる液体や気体を浮遊する微粒子が不規則に運動している現象のことを言います。アインシュタインは花粉などが水の上で不規則な動きをしていることを発見し、ブラウン運動の発見につながったそうです。アインシュタインの提唱は3年後の1908年に、フランスの物理学者ジャン・ペランによって証明され、世の中のすべての物質は原子からなる集合であることが明らかになりました。

翌月の1905年6月には「特殊相対性理論の構築」に関する論文が発表されました。アインシュタインが残した数多くの功績の中でも最も有名なのが相対性理論ではないでしょうか。特殊相対性理論とは、光の速度は常に一定で空間と時間が相対的に変化するという考え方です。時間が一定ではないという事実がこれまでの考え方を大きく変え、科学に変革をもたらしました。相対性理論を分かりやすく説明するために、アインシュタインは以下のような言葉を残しました。「可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。相対性とはそれである。」これはとても理解しやすく腑に落ちる説明ですよね。その後アインシュタインは特殊相対性理論を一般化させた一般相対性理論を発表(1916年)しました。一般相対性理論の提唱によってGPSや原子力発電の技術が開発されました。

 

アルベルト・アインシュタインの生涯(その後の活躍)

革新的な論文を3本も発表した1905年は「奇跡の年」とも呼ばれました。その2年後の1907年(明治40年)にはエネルギーが質量と光速の2乗の積に比例する関係(質量とエネルギーの関係)を導きました。アインシュタインはこの原理を「生涯最良の名案」とまで評価していたようです。

1909年(明治42年)には特許局を辞め、チューリッヒ大学の助教、翌年1910年(明治43年)にはプラハ大学(チェコ)の教授となりました。さらに翌年1911年(明治44年)にはドイツにあったカイザー・ヴィルヘルム物理学研究所の所長に就任しました。1916年(大正5年)、先述の一般相対性理論が発表されました。

そして1921年(大正10年)、アインシュタインは光電効果の理論(物質に光を照射することで、電子が放出され電流が流れる現象のこと)を解明したことが高く評価され、ノーベル物理学賞を受賞しました。

1935年(昭和10年)には、ボリス・ボトリスキー(ロシア出身アメリカの物理学者)とネイサン・ローゼン(アメリカ出身イスラエルの物理学者)と共同で「アインシュタイン=ボトルスキー=ローゼンのパラドックス(量子力学と相対性理論の矛盾)」を発表しました。同年にはアメリカでの永住権とアメリカ国籍も取得しアメリカに移住することとなります。

1955年(昭和30年)4月13日、アインシュタインは腹部動脈瘤の肥大によって倒れ、4月15日に入院先のプリンストン病院で亡くなりました(満76歳)。

アインシュタインは革新的な研究結果を数々残し科学の発展に貢献してきました。1999年(平成11年)、アメリカのLifeで「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選出されました。また、アメリカのTIMEでは「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」(20世紀の人)に選ばれるなど世界的に功績が認められています。

 

今回は数多くの功績を残してきたアルベルト・アインシュタインの生涯について振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。アインシュタインは物理学を中心として科学の発展に大きく貢献してきました。アインシュタインの研究結果により開発されてきたものがたくさんあり、それらが私たちの生活をとても豊かにしてくれています。アインシュタインに勝る人物はこの先誕生しないかもしれません。アインシュタインの功績によってこの先も様々なものが開発されていくことでしょう。これからの世界がどうなっていくかとても楽しみですね!

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