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【SKIPの知財教室(IP Hack)】加圧式液体燃料コンロ、ST型石油ストーブの発明家 内田鐵衛(コロナ創業者)

2022.07.05

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。石油コンロや石油ストーブなど私たちの身の回りには様々な石油燃焼製品が溢れています。これらの石油燃焼製品が一般に普及する前は、火が付きにくいことや煙が出やすいことなど様々な問題を抱えていました。そんな時に新たな液体燃料コンロを発明したのが内田鐵衛(うちだてつえい)でした。彼が発明した液体燃料コンロは大ヒットをおさめ、その後も研究を継続しました。そして、「加圧式石油ストーブ」や「ST形石油ストーブ」など石油燃焼製品を数々生み出してくれました。彼が発明した製品のおかげで、「ストーブは高くて買えない」「臭いが目に染みる」「火が付きにくい」といった、石油燃焼製品に関する多くの悩みが解消されました。そこで今回は石油燃焼製品の開発と普及に人生を奉げた日本人、内田鐵衛の生涯について振り返っていきましょう。

内田鐵衛の生涯(加圧式液体燃料コンロの開発と販売開始まで)
液体燃料コンロやST形石油ストーブなど様々な石油燃焼機器を開発し、世に送り出してきたのが内田鐵衛です。それまで多くの課題が残っていた石油燃焼機器でしたが、研究を重ねそれらを解消してくれました。特に液体燃料コンロや石油ストーブは災害時などにも大活躍し、私たちの生活になくてはならないものとなりました。現在では株式会社コロナとして成長し、ストーブのほかにもエアコンや給湯器なども扱い、私たちの生活を快適にしてくれています。ここでは内田鐵衛の生涯を振り返っていきます。
明治37年(1904年)、内田鐵衛は新潟県三条市に誕生しました。学生時代には勉学に励み、非常に成績優秀だったそうです。その後、東京電機学校(現在の東京電機大学)に進学しました。
東京電機学校を卒業後、鐵衛が20歳のときには逓信省電気事業・主任技術者(事業用電気工作物の工事、維持及び運用に関する保安の監督をさせるため、設置者が電気事業法上置かなければならない電気保安のための責任者)の資格を取得しました。大学で学んだ知識と技術、取得した資格を十分に生かすため富山電気(現在の北陸電力)への入社を果たしました。
しかし、入社して4年ほど経過したころ鐵衛は父に呼ばれ、仕事を手伝うことになりました。父はガソリンコンロの販売で生計を立てており、鐵衛も富山電気を辞めガソリンコンロの販売を始めました。
父の仕事を手伝うようになった鐵衛はガソリンコンロの販売・修理を経験していくうちに、燃焼効率や操作などコンロに関する様々な点について目が行き届くようになりました。そんな生活を続けていくと、コンロに関する改善点なども考えるようになり、鐵衛自身が自分のアイデアで新しいコンロを作っていきたいという気持ちが芽生えるようになってきたそうです。
昭和6年(1931年)、ついに鐵衛は父のガソリンコンロの販売店を正式に継ぐことになりました。同時に、夢だったオリジナルコンロの研究も開始しました。まず鐵衛が目を付けたのは軽油でした。軽油はガソリンよりも安価な燃料だったためきっと売れると感じていました。しかし、実際に使ってみると軽油は火の付きが弱いことや、煙が出やすいことなどが問題点として明らかになりました。研究を開始すると上記のような問題が発覚するも、鐵衛は昼夜問わずオリジナルコンロの開発に尽力する日々を過ごしました。
そして研究を開始して2年後の昭和8年(1933年)、軽油を燃料として利用するオリジナルのコンロ「加圧式液体燃料コンロ」の開発に成功しました。加圧式液体燃料コンロの画期的な発明が認められ、昭和9年(1934年)には特許2件(第105446号、第107338号)と実用新案1件を取得しました。
その後鐵衛は、加圧式液体燃料コンロの商品化に向けて、日中は営業活動、夜は研究の生活を継続しました。そして昭和10年(1935年)に加圧式液体燃料コンロの商品名を「コロナ」として商標登録を行い、翌年昭和11年(1936年)の末には実用化されました。
昭和12年(1937年)には新たに内田製作所を設立しました。鐵衛の自宅の裏におよそ10坪の工場を建設し、そこで石油コンロの製造と販売を行いました。この製作所が株式会社コロナの原型となっています。
販売が開始された加圧式液体燃料コンロのコロナは「簡単」「便利」「安心」と主婦たちから評判となり、大ヒットをおさめました。

内田鐵衛の生涯(石油ストーブの研究開始以降)
鐵衛が開発した加圧式液体燃料コンロは大ヒットしましたが、その直後戦争がはじまりました。戦争によって様々な産業で大打撃を受け、石油コンロ業界も例外ではありませんでした。
昭和25年(1950年)、終戦後に鐵衛は再び本格的に石油燃焼機器の研究を開始しました。この時に目を付けていた燃料が灯油でした。石油製品の再挑戦においてこれまで製作所だった工場を株式会社へと組織改革を行いました。
その後、これまで以上に研究活動に尽力し、昭和27年(1952年)に戦後初となる石油コンロの「加圧式石油コンロ」を完成させました。加圧式石油コンロを完成させてからは、点火消化を素早くするための改良や、火力調節を容易にするための改良などを何度も何度も行い石油コンロで国内トップメーカーへと成長しました。
この頃の日本では寒い冬を乗り切る方法としては薪や炭が一般的でした。しかし、毎日炭に火をつけることの大変さや煙が目に染みる大変さ、輸入品石油ストーブが高価だったことなどが問題として挙げられていました。この問題に着目した鐵衛は会社の次の軸としてストーブに決め、本格的なストーブ開発を開始しました。
これまでの石油コンロの知識や経験を生かして研究を進めた結果、省燃料、無臭気、強い火力、簡単な操作を実現させました。昭和30年(1955年)、これまでの暖房からは飛躍した加圧式石油ストーブ「SB型」の販売をついに開始しました。
その後もストーブの研究を継続し、昭和42年(1967年)に「ST型石油ストーブ」の販売を開始しました。この石油ストーブが現在の日本におけるスタンダードとなりました。鐵衛が開発したST型石油ストーブは災害時などにも幅広く利用され、大きく活躍しました。
鐵衛は石油燃焼機器の開発に人生を奉げてくれ、日本の生活を豊かにしてくれた人物でした。
平成8年(1996年)2月18日、内田鐵衛は91歳でこの世を去りました。彼が設立した製作所は株式会社コロナとして大きく成長し、これまでにファンヒーター、石油ガス給湯器、マイナスイオン発生機能付きエアコンなど数多くの製品を世に送り出してくれました。

今回は液体燃料コンロや石油ストーブの開発をした日本人の内田鐵衛の生涯を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。これらの製品が発明される前の日本では、「コンロの火が付きにくい」「煙が目に染みる」「輸入ストーブは高すぎる」などという問題が生じていました。しかし、内田鐵衛が様々な問題に立ち向かい研究を続けてくれたおかげでこのような製品が誕生し、私たちの生活がより快適に進化しました。これまでは液体燃料コンロや石油ストーブは何気なく使っていたものだったかもしれません。しかし、それは鐵衛が多くの問題を解消してくれていたからです。私たちの身の回りには様々な製品が溢れています。そしてそれらの一つひとつが発明家の努力によって生まれたものです。今後も新しい発明が誕生することでしょう。そして私たちの生活がどのように快適なものに変化していくのかとても楽しみですね。

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