【SKIPの知財教室(IP Hack)】ネオジム磁石の発明家 佐川眞人(NDFEB創業者+大同特殊鋼顧問+日本電産顧問+京都大学エネルギー理工学研究所特任教授)
2022.06.03
SKIP
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。私たちの生活に欠かせなくなっているスマートフォンやパソコン、自動車や家電製品などには磁石が使用されています。様々なもの使用されている磁石ですが、磁石の研究において多くの功績を残してきたのが我が国日本です。1917年には本多光太郎が「KS鋼」を発明、1931年には三島徳七が「MK磁石」を発明しており、世界をリードしてきました。そして史上最強のネオジム磁石を発明したのが日本人の佐川眞人(さがわまさと)でした。当時の磁石の10倍以上の磁力を持っており、社会を変革してくれました。彼が史上最強のネオジム磁石を発明したことによって、それ以上の磁石を開発する研究も進むなど、大きく貢献してくれました。今ではネオジム磁石関連の特許は600以上にもなり、あらゆる製品に使用されています。そこで今回は、史上最強のネオジム磁石を発明した日本人、佐川眞人の生涯について振り返っていきましょう。
佐川眞人の生涯(幼少期から磁石研究の開始まで)
私たちが直接磁石を目にすることは多くないかもしれません。スマートフォンやパソコン、自動車や家電など様々な製品には磁石が使用されています。実は磁石によって生活が支えられています。史上最強のネオジム磁石を開発したことで有名なのが佐川眞人でした。彼がネオジム磁石を発明したことで世界は大きく変化しました。ここではそんな佐川眞人の生涯を振り返っていきます。
昭和18年(1943年)、徳島県徳島市に佐川眞人は生まれました。眞人の父親は川崎航空機に勤務していました。そのため地元ではなく岐阜県の各務原へ引っ越し、川崎航空機の社宅で暮らしていました。太平洋戦争(1941-1945年)が激化してきたことから、地元徳島に戻り暮らしました。眞人が1歳から3歳くらいまでの間は戦争が起こっており、空襲で危険な目にも遭ったそうです。
戦後、眞人が小学生になると、父は川崎航空機を辞めて徳島の食料品や雑貨を扱う商店を経営して生計を立てるようになりました。父の商店が繁盛していたおかげで、戦後の貧しい世の中で比較的裕福に生活できていました。
この頃の眞人は、運動は得意ではありませんでしたが、勉強に関してはクラスでトップ争いをするほどでした。この頃から彼は頭角を現し始めていたのでしょうか。勉強が好きだった眞人はしばしば父親に新聞を読み聞かせたり、様々な分野で活躍している人を紹介したりしていたようです。そして眞人にとっては、日本人で初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹(日本の物理学者。原子核内部の陽子や中性子を互いに結合させる中間子の存在を理論的に予言し、その存在がセシル・パウエル(英)らによって示されたことからノーベル賞を受賞した。)の存在が特に印象的だったようです。その後は科学に興味を示し「科学者になってノーベル賞をとる」と言っていたようです。
眞人が小学校6年生のころ、眞人の父は事業に失敗してしまいました。そのことが大きく影響し眞人の生活も変化してしまいました。地元の徳島から神戸へそして尼崎と引っ越しを繰り返しました。その影響もあってか一時学校での成績は下がり気味でしたが、その後再びトップ争いをするまでに回復しました。
眞人は彼の興味もあってか特に理系科目が得意だったようです。大学の志望校を決める際には担任の先生の勧めもあって神戸大学電気工学科を受験し、合格、そして進学しました。
昭和41年(1966年)に神戸大学を卒業、昭和43年(1968年)には神戸大学大学院修士課程を修了、その後は東北大学大学院に移り金属材料工学についての研究に励みました。昭和47年(1971年)には東北大学大学院で工学博士を取得して博士課程を修了しました。
昭和47年(1971年)に就職先として眞人が選んだのが富士通(総合エレクトロニクスメーカー、ITサービス提供企業として世界第4位の売り上げを誇る日系グローバル企業)でした。富士通への入社後に磁性材料の研究者に任命されたことから眞人の磁石研究人生が始まりました。
佐川眞人の生涯(ネオジム磁石の開発から現在まで)
眞人が磁石の研究を始める前から日本は磁石研究において世界をリードしていました。有名な磁石としてKS鋼とMK磁石があります。KS鋼とは大正6年(1917年)、本多光太郎らによって発明された磁石鋼です。KS鋼はコバルト・クロム・タングステン・炭素などから成り、保磁力が非常に大きく発明当時世界を驚かせました。MK磁石とは昭和6年(1931年)に三島徳七によって発明された磁石です。MK磁石は鉄・ニッケル・アルミニウムなどを含んでおり、当時最強と謳われていたKS鋼よりも安価でありながら2倍の保磁力を持つということで注目を集めました。
そんなときに眞人は「より強い磁石が作れないか」との依頼を受けて磁石の研究・開発を始めました。当時、強力な磁石を作るためにはコバルトが必要だと考えられていました。眞人はそこに疑問を持っていたようです。もしも、鉄で強力な磁石を作ることが可能であれば、安く大量生産が可能になります。
研究を続けていたある日、眞人は日本金属学会(1978年)に参加していました。そこで、別の研究者から「鉄と鉄の原子間距離が小さいと強い磁石にはならない」ということを聞きひらめきました。眞人は「鉄の原子間距離を広げる方法があれば強い磁石が作れるかもしれない」と考えました。
その後、コバルト磁石を研究しながら鉄を利用した磁石の研究も継続していきました。コバルト磁石の研究が実を結び、最初にコバルト磁石の開発目標を達成することができました。
しかしなかなか鉄を利用して強い磁石を作ることは周りに理解されませんでした。それでも眞人は社会を変えたいという一心で、鉄を使った強力な磁石の研究に尽力しました。鉄製の磁石の研究の途中、住友特殊金属(現在の日立金属)からのオファーもあり、富士通を退社し磁石研究に勤しみました。
眞人は鉄の原子間距離を広げる方法として、ホウ素などの原子の半径が小さな元素を加えることができれば鉄の原子間距離を広げられるのではないかと考えました。このアイデアで試行錯誤して、昭和57年(1982年)ついに眞人は史上最強の磁石の開発に成功しました。このときに発明されたネオジム磁石は、ネオジム・鉄・ホウ素が主成分でした。しかし、これらのみでは温度上昇によって保磁力が低下してしまいます。そこで、ジスプロシウムを添加することで保磁力を維持することに成功しました。
眞人が発明したネオジム磁石は一般的な磁石の10倍以上の強さを誇る磁石でした。なんとパチンコ玉が約7000個もくっつく強さです。このネオジム磁石は高く評価され特許を取得しました(特許登録第1431617号)。
その後は様々な製品に使用される必需品となり、今ではネオジム磁石の特許は600件以上にも上ります。世界中で利用されており、私たちの生活に欠かせないものになりました。
ネオジム磁石の原料となっているジスプロシウムですが、実は問題点があります。ジスプロシウムは資源が中国に偏っており、磁石のエネルギーを相殺してしまうというデメリットも有しています。そのため、ジスプロシウムなしでも同等の保磁力を発揮する磁石が作れれば、大きくコストを削減できるようになります。佐川眞人は現在も、NDFEB株式会社というベンチャー起業を創業して、大同特殊鋼株式会社顧問、日本電産株式会社顧問、京都大学エネルギー理工学研究所特任教授も兼任しながら、より高性能で安価なネオジム磁石を開発すべく研究を続けています。
今回は史上最強のネオジム磁石を開発した日本人、佐川眞人の生涯を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。ネオジム磁石と聞いてピンときた方はあまりいないかもしれません。しかし、私たちの生活に欠かせないものとなっています。今のような豊かな生活ができているのも、佐川眞人が周りから「できない」と言われながらもネオジム磁石の開発に取り組んでくれたからです。そして現在もより進化したネオジム磁石を開発すべく尽力してくれています。今後さらに素晴らしい磁石が誕生するかもしれません。これからの世の中がどのように変化していくのかとても楽しみですね!