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【SKIPの知財教室(IP Hack)】日本の十大発明家 本多光太郎(永久磁石のKS鋼と新KS鋼の発明家+東京理科大学初代学長)

2022.01.14

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。そこで、日本政府は、歴史的な発明家として永久に功績を称えるにふさわしい10名を学識経験者の方々に選出していただき、選ばれた10名を十大発明家としました。今回はその一人、「本多光太郎(ほんだこうたろう)」についてご紹介します。私たちの生活の中にはマグネットなどをはじめとする多数の磁石製品に囲まれて生活しています。実は、携帯電話、コピー機、電子レンジ、入れ歯の固定器具などにも使われており、思っている以上に磁石は切っても切り離せない存在になっています。知らず知らずの部分で磁石により生活が豊かになり、私たちは助けられてきました。そこで今回は世界初の永久磁石「KS鋼」を発明し、さらに「新KS鋼」も発明し、生活に変革をもたらした日本の発明家本多光太郎の生涯を振り返っていきましょう。

本多光太郎の生涯(誕生からKS鋼の発明まで)
本多光太郎は磁性鋼として知られるKS鋼と新KS鋼を発明したことで注目を浴びた、日本にとどまらず世界を代表する発明家です。KS鋼、新KS鋼の発明により、私たちの生活は非常に豊かになり、科学技術は大きく進歩しました。その功績から、光太郎は「鉄の神様」、「鉄鋼の父」とまで呼ばれ世界的に有名な人物です。また、長岡半太郎(日本の物理学者、土星型原子モデルを提唱)、鈴木梅太郎(日本の農芸化学者、米糠が脚気に効果があることを発見)の二人と共に理研の三太郎と称されている一人でもあります。今回は、KS鋼、新KS鋼を発明した世界を代表する日本の発明家、本多光太郎の生涯を振り返ります。
本多光太郎は明治3年(1870年)に三河国(翌年から愛知県碧海郡郡矢作町、現在の愛知県岡崎市)に生まれました。明治14年(1881年)には桑子尋常小学校を卒業、明治18年(1885年)には随念寺高等小学校を卒業、明治20年(1887年)には上京し、大学予備門に入学、明治22年(1889年)には第一高等中学校(中学校令によって全国に7つ設置された官立の旧制学校)に入学し、学びを深めました。
そして、明治27年(1894年)には東京帝国大学理科大学物理学科への入学を果たしました。このときに、物理学者であった長岡半太郎教授から磁気実験の指導を受けました。この実験がきっかけとなり光太郎は鉄鋼に興味を持ち、鉄鋼学者を志すようになりました。光太郎は明治30年(1897年)の7月10日に東京帝国大学を卒業しました。
光太郎は卒業後は東京帝国大学大学院に進学し研究を継続し、理学博士の学位を取得しました。さらにその後、光太郎は学びを深めるためにドイツ、イギリス、フランスへ留学に行きました。帰国後には明治44年(1911年)に東北帝国大学理科大学の開設に携わり、同時に物理学の教授も経験しました。
その後光太郎は物質の磁性に関する研究を継続し、磁気分析法など様々な研究手法の提案を行いました。それらの研究により知られていなかった鉄鋼の本質が次々と明らかになったことは大きな功績です。そして、大正5年(1916年)には住友家の寄付により、光太郎は東北帝国大学理科大学に併設された臨時理化学研究所を開設し、第二部研究主任を任されました。
またこの頃、1914年から始まった第一次世界大戦の影響により、磁石鋼の輸入が途絶えてしまっていました。そこで、軍から世界情勢に依存しない国産の磁石鋼の開発の依頼を受けたのが、当時鉄鋼の研究をしていた光太郎でした。そこから彼は、強力な磁石鋼を開発することを目標として研究に明け暮れました。そして光太郎は、従来のタングステン鋼と比較して抗磁力が約3倍と非常に強力な磁石の発明に成功しました。焼入硬化型の永久磁石鋼としては当時の最強の抗磁力を有しており、大正7年(1918年)に特許権(特許第32234号)を取得しました。この最強の磁石鋼の名前は、当時のスポンサーであった実業家の住友吉左衛門のイニシャルから、KS鋼と名づけられました。
KS鋼は、コバルト・タングステン・クロム・炭素を含んでいる合金の磁石鋼であり世界初の永久磁石として有名です。KS鋼の発明が磁石鋼産業の火付け役となり、後のテクノロジーの発展に大きく貢献しました。

本多光太郎の生涯(KS鋼の発明以降の活躍)
KS鋼発明後の大正8年(1919年)には、臨時理化学研究所を国立鉄鋼研究所に改編し、鉄鋼学に関連する興味深い研究結果を、国内外の学会で相次いで発表し、世界中からの注目を集めました。大正11年(1922年)には東北帝国大学付属金属材料研究所所長に就任し、昭和6年(1931年)には東北帝国大学の総長にまで就任するまでになりました。
光太郎はKS鋼発明後、特許権は住友に売り払いましたが、研究を止めることはなく鉄鋼学の発展に大きく寄与し続けました。
そしてなんと昭和9年(1934年)に新KS鋼を発明しました。この新KS鋼はKS鋼の元素を組み替えて作られており、より強力で当時の世界最強の永久磁石となりました。新KS鋼はコバルト・アルミニウム・ニッケル・銅・チタンを含んでいる鉄の合金です。そして、光太郎はこの新KS鋼でも特許権を取得しました。さらに世界的にも新KS鋼の発明が評価され、ノーベル物理学賞の候補にも挙げられました。光太郎が発明したKS鋼、新KS鋼は磁石鋼の研究が進むきっかけとなり、MK鋼(1931年に三島徳七が発明した析出硬化型の強力磁石鋼)やネオジム磁石(1984年に米国のゼネラルモーターズ、日本の住友特殊金属が共同で発明した非常に強力な磁石鋼)などの発明に繋がる大きな功績でした。
その後光太郎は昭和12年(1937年)に第1回文化勲章を受章、昭和17年(1942年)には興亜工大の顧問に就任、昭和24年(1949年)には東京理科大学の初代学長に就任、昭和26年(1951年)には文化功労者に選出されました。
昭和29年(1954年)、光太郎は83歳でこの世を去りました。同年にはこれまでの多大な功績が認められ、勲一等旭日大綬章が贈られました。光太郎が残した大きな功績から、「鉄の神様」、「鉄鋼の父」などと呼ばれることもあり、世界中の鉄鋼産業の発展に貢献しました。

本多光太郎の代表発明品
本多光太郎は当時世界最強だった永久磁石KS鋼と新KS鋼を発明した世界に知られる日本の発明家です。ここでは光太郎の代表発明品であるKS鋼と新KS鋼について解説していきます。
第一次世界大戦が原因となり磁石鋼の輸入が滞ったことから、国産磁石として発明されたのがKS鋼です。KS鋼は従来の約3倍の抗磁力を有しており、非常に注目を集めました。またそのKS鋼を改良し、さらに強い磁力を有しているのが新KS鋼です。これらの磁石の発明により、計測機器の精度が著しく向上するなど、私たちの生活を飛躍的に豊かにしてくれました。さらに他の強力な磁石鋼が発明されるきっかけとなるなど、今後の鉄鋼学にも期待が高まることとなった原点でもあります。

今回は強力な磁力を有する磁石鋼のKS鋼と新KS鋼を発明した、日本の発明家本多光太郎の生涯を振り返ってみましたが、いかがだったでしょうか。私たちの目に見える形で磁石が使われている場面はあまりないかもしれません。しかし、電子レンジやコピー機、スマートフォン、パソコンなどのデジタルデバイスには磁石が使用されています。これらの製品は私たちが日常的に使用しているモノであり、なくてはならない製品です。これらが普及した背景には、KS鋼、新KS鋼の発明があります。本多光太郎の発明品であるKS鋼、新KS鋼はその後の鉄鋼学分野の発展において、大きく貢献しました。さらに、今後の鉄鋼学分野の発展にも大きな期待がかけられています。これから先、どのような発展がみられ、私たちの生活がどうなっていくのかとても楽しみですね。

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