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【SKIPの知財教室(IP Hack)】日本の十大発明家 池田菊苗(味の素(L-グルタミン酸ナトリウム)の発明家)

2021.12.17

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。そこで、日本政府は、歴史的な発明家として永久に功績を称えるにふさわしい10名を学識経験者の方々に選出していただき、選ばれた10名を十大発明家としました。今回はその一人、「池田菊苗(いけだきくなえ)」についてご紹介します。味の種類には基本五味と言われる「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」「うま味」があります。かつては甘味、塩味、酸味、苦味の4種類だと考えられていました。当時、私たちが「おいしい」と感じる5つめの味があるに違いないと考え研究を重ねたのが池田菊苗です。そして彼はだし昆布に含まれるうま味の正体「グルタミン酸塩」を解明し、その結晶を得る方法を発明しました。その後「うま味」は「味の素」として日本のみならず世界中に受け入れられました。今回はうま味を発見した池田菊苗の生涯を振り返っていきましょう。

池田菊苗の生涯(誕生からグルタミン酸塩発見まで)
うま味調味料として世界中で認知されている「味の素」の主な原料はグルタミン酸ナトリウムです。このグルタミン酸ナトリウムはだし昆布に含まれるうま味成分の本体です。池田菊苗はうま味成分の正体を突き止め、グルタミン酸ナトリウムの生成方法を発明しました。
今回はそんな池田菊苗の人生を誕生から振り返っていきましょう。
池田菊苗は元治元年(1864年)に薩摩藩京都留守居役(江戸幕府及び、諸藩に置かれた役職の中の一つ)の次男として京都で生まれました。その後は京都府中学に入学、大学予備門(第一高等中学校、東京大学の予備機関)を経て、明治13年(1880年)に大阪衛生試験所(現在の大阪健康安全基盤研究所)にて化学を専攻して学びました。そして翌年の明治14年(1881年)に再び上京しました。
その後菊苗は明治18年(1885年)に、帝国大学理科大学化学科(現在の東京大学理学部化学科)に進学しました。在学当時、義理の兄だった櫻井錠二の教えの元化学を学びました。明治22年(1889年)に大学を卒業し、そのまま大学院へ進学し引き続き研究に励みました。さらに、明治24年(1891年)には高等師範学校(教員養成の学校であり、戦前の日本・日本の統治地域に存在した、教育学部のような施設)で教授になりました。
その後菊苗は明治29年(1896年)に東京帝国大学理科大学化学科の助教となり研究を続けていました。
明治23年(1899年)には物理化学の研究を深めるため、当時物理化学の最先端であったドイツのライプツィヒ大学のオスワルド教授(ドイツの化学者、触媒作用・化学平衡・反応速度論の研究により、1909年にノーベル化学賞を受賞した)の研究室に留学する決意をしました。およそ2年間の留学を終えた菊苗はロンドンに一時滞在して、当時現地にいた夏目漱石と生活を共にしました。実際に夏目漱石の手記には、菊苗が漱石の文学論に対して大きな影響を与えたとの旨が書かれていました。
帰国後の明治34年(1901年)には東京帝国大学理科大学化学科の教授に就任しました。そして、そのころ日本に「物理化学」という新しい分野を広めたのも菊苗でした。
当時、菊苗は様々な基礎研究を継続していました。また、京都生まれであった彼は幼いころから、料理に使用されていた昆布だしに興味を抱いていました。昆布のだしが「うまい」と感じるのはなぜか、疑問を抱いていた菊苗は忙しい基礎研究の傍ら、昆布だしの起源を探るべく、湯豆腐のだし昆布に焦点を当てた研究を開始しました。
当時の味の種類は「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」の4種類でした。その後菊苗は、明治40年(1907年)についに5つ目の味「うま味」を見つけました。それはだし昆布に含まれる成分の「L-グルタミン酸ナトリウム」です。
単離研究に着手した菊苗は同年にL-グルタミン酸ナトリウム(アミノ酸の一種、グルタミン酸は酸味を持つ物質だが、ナトリウム塩に変化するとうま味を呈するようになる)を得ることに成功しました。この時およそ30グラムのL-グルタミン酸ナトリウムを得るために、約38キログラムもの昆布からだしを取ったと言います。
そして、うま味成分を抽出する方法を発明した菊苗は、翌年の明治41年(1908年)の4月24日に「グルタミン酸を主要成分とする調味料製造法」の特許出願を行いました。そして同年の7月25日に特許が認められました。彼のうま味成分の発見とその製造方法の発明は、日本及び世界の食文化に大きな変革を起こした歴史的な発明であり、その功績から日本の十大発明に選出されています。

池田菊苗の生涯(グルタミン酸塩の抽出方法発見以降の活躍)
菊苗が発見し製造方法を発明したうま味の正体「グルタミン酸ナトリウム」は調味料として一般家庭が使用できるように販売されました。鈴木三郎助(当時の鈴木製薬所の代表)は菊苗から事業経営を請け負っていました。そして、三郎助はL-グルタミン酸ナトリウムに「味の素」という名前を付け、工業的に製造し販売事業を展開していきました。現在の味の素株式会社として発展したのがこの鈴木製薬所です。
うま味成分に関して特許を取得した後菊苗は、大正2年(1913年)に日本化学会の会長、大正6年(1917年)には理化学研究所の部長、大正8年(1919年)には帝国学士院会員に任命されました。その後、大正12年(1923年)に東京帝国大学を退職しました。
晩年は自宅の庭に研究室を作り、様々な研究を続けていたようです。
昭和11年(1936年)、71歳でこの世を去りました。
長らく味の種類として認識されていた「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」に対して、菊苗が発見し提案した「うま味」に関しては、業界内でも様々な議論が繰り広げられてきました。従来の基本四味は舌の上にある味蕾(味のセンサー)を作っている感覚細胞にそれぞれの受容体があり、それぞれの味を知覚していることが知られていました。そして、うま味に関しても味蕾の感覚細胞にグルタミン酸の受容体が発見され、ようやく5番目の味として正式に認められました。現在ではうま味は世界的に広まり、「UMAMI」として国際的に認知されています。
さらに近年の研究によると、舌の味蕾だけではなく消化器官にもグルタミン酸の受容体があることが発見されました。そして胃にうま味成分が入ることで、消化を促進する効果があると生理学的に提案されるまでになっています。

池田菊苗の代表発明品
菊苗は明治41年(1908年)に、うま味成分の正体であるグルタミン酸ナトリウムをうま味調味料として工業化することに成功しました。甘い、酸っぱい、塩辛い、苦いのほかに、昆布だしで「うまい」と感じるのはまだ何かあるはずだと考え研究を開始しました。そしてこのうま味の正体がグルタミン酸ナトリウムであることを突き止め、結晶性のナトリウム塩を得る手法を発明しました。
グルタミン酸ナトリウムが工業化され「味の素」調味料として発売されてからは、日本のみならず海外でも受け入れられ、メジャーなものとなりました。実際に、東南アジアの魚醤として知られるニョクマムやナンプラー、イタリア料理に欠かすことのできないトマトソースやトマトペーストには「うま味」成分が豊富に含まれています。世界中の人々に愛されている「UMAMI」を発見した池田菊苗は日本を代表する発明家です。

今回は5つ目の味「うま味」成分の正体「グルタミン酸ナトリウム」を解明し抽出方法を発明した日本を代表する発明家である池田菊苗の人生についてご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。今や一般的となった味の素調味料ですが、これは菊苗が昆布だしのうまさには何かあるはずだと疑問を抱いたことから始まりました。そしてそれは世界中の人が知らずのうちに好んでいた「UMAMI」だったことが分かりました。日本の発見が世界中に「UMAMI」として有名になり、世界中の食文化を豊かにしたことは言うまでもありません。今後も食文化に関する大発見はあるのでしょうか。非常に楽しみですね。

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