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【SKIPの知財教室(IP Hack)】日本の十大発明家 豊田佐吉(自動織機の発明家+トヨタグループの創業者)

2021.11.26

SKIP

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらは全て先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。そこで、日本政府が歴史的な発明家として永久に功績を称えるにふさわしい10名を学識経験者の方々に選出してもらい、選ばれた10名を十大発明家としました。今回はその一人、「豊田佐吉(とよださきち)」についてご紹介します。大正から昭和にかけてのかつての日本は紡織機工業や繊維産業が栄え、世界でもトップレベルに位置していました。これは、彼によって優秀な動力織機や自動織機が発明されたためです。今では当たり前となった「自動化」ですが、彼が織機を自動化したことにより、世界規模で繊維産業が大きく発展していきました。ではそんな彼の生涯を詳しく振り返っていきます。

豊田佐吉の生涯(誕生から特許取得前まで)
豊田佐吉は豊田式木鉄混製力組織(豊田式汽力織機)、無停止杼換式自動織機(G型自動織機)など現代の産業を大きく変えることとなった、数々の発明をした日本を代表する発明家です。なんと豊田佐吉が生涯に日本で取得した工業所有権は、特許権40件、実用新案権5件の総計45件にのぼり、さらに日本特許8件を基礎にして海外19カ国に出願し、延べ62件の外国特許権を得るという素晴らしい功績を残しました。
ここではそんな豊田佐吉の人生を誕生から振り返りましょう。
豊田佐吉は慶応3年(1867年)に遠江国、浜名湖西野敷知群山口村(現在の静岡県湖西市)に長男として元気に生まれました。当時の豊田家では一家の大黒柱であった父・伊吉が百姓と大工で生計を立てていました。佐吉の下には2人の弟と1人の妹がおり、両親と併せて6人家族でした。
佐吉は幼いころは寺子屋(子供たちに読み書きやそろばんを教える庶民向けの教育施設)に通い勉強しました。その後はその寺子屋が下等小学校として開校し、佐吉は小学校に4年間通い卒業しました。同じく弟たちもみな小学校に通って卒業しました。豊田家は裕福というわけでもありませんでしたが、決して貧しかったわけでもなく幸せに幼少期を過ごしたようです。
彼が18歳のときに専売特許条例(発明にかかわる物等の独占的販売権に関する官許。(特許法の前身))が公布されました。公布のきっかけとなったのは、第1回の内国勧業博覧会です。明治時代に活躍した発明家の臥雲辰致は、当時手回し式紡機の発明で最高レベルの賞である鳳紋賞牌を受けました。しかし、その発明品が各地で真似され、発明家本人には利益が入ってこない状況になってしまっていました。それがきっかけとなり特許法の必要性が浮き彫りになりました。
そのころ佐吉は、父・伊吉の下で大工の修業をしていました。しかし、彼は以前から国家のことを思って国家に尽くそうという夢を抱えており、専売特許条例の公布も彼を後押しし、「発明を生涯の仕事としよう」と決心しました。そして彼の身近にあった織機などの改良をはじめ、彼の発明家人生がスタートしました。明治23年(1890年)には、東京上野にて開催された第3回内国勧業博覧会に参加しました。彼の参加目的は、外国製の機械と臥雲辰致の発明品を見学して学ぶためでした。また、そこに出展されていた機械のほとんどは外国製であり、そのことがさらに彼の「国産機械の研究開発」に対するモチベーションをあげるきっかけとなりました。

豊田佐吉の生涯(最初の特許取得以降の活躍)
明治23年(1890年)の11月には豊田式木製人力織機を発明しました。これは広く使用されていた従来のバッタン織機に改良を加えたものです。具体的には複数の動作を一気に行えるようになったため、織布の生産性が4~5割も向上しました。従来製品に比べ生産性の大幅な向上と、品質の大幅な向上が認められ、翌年の明治24年(1891年)には、最初の特許権を得ることが出来ました(特許第1195号)。
明治27年(1894年)には、取り扱いが簡単で能率が良いことが特徴の糸繰返機(かせくりき)を発明しました。この糸繰返機は商業的に成功し、彼が動力で織る織機の開発を進めるきっかけとなりました。そして、3年後の明治30年(1897年)には、木製動力織機を完成させ、翌年の明治31年(1898年)には特許権を取得しました。この木製動力織機が日本初の動力で織る機械の誕生となり、衝撃を与えました。
明治36年(1903年)には緯糸(よこいと)を自動的に補充する機能を搭載した自動杼換装置を完成させました。なんとこちらは最初の自動織機に関する発明となりました。その後も、佐吉は自動織機の改良を進めていきました。最終的には特許権40件、実用新案権5件の総計45件もの工業所有権を取得し、我が国の産業の発展に大きく貢献した発明家の一人とされています。彼の数多くの功績が認められ明治45年(1912年)には藍綬褒章を、昭和2年(1927年)には勲三等瑞宝章を受けました。
脳溢血からの急性肺炎により、昭和5年(1930年)の10月30日に満63歳で人生の幕を閉じました。
昭和60年(1985年)には、工業所有権制度の100周年を記念して「日本の偉大なる発明家10人」に選ばれたことにより、政府から特別顕彰されました。

豊田佐吉の代表発明品紹介
ではここでは豊田佐吉の代表的な発明品についてご紹介します。今回紹介するのは、「木製人力織機」と「自動織機」の2点です。
明治24年(1891年)に初めて彼が特許を取得した発明が「豊田式木製人力織機」です。こちらは先述の通り、バッタン織機に改良を加えた発明です。従来のバッタン織機は両手を使用する形式でした。一方で、木製人力織機では筬框(おさかまち)を片手で前後に動かすことで、同時に杼(ひ)を飛ばすことと緯糸を打ちこむことが出来るようになりました。この性能によって従来の織機に比べ、生産性は4~5割向上しました。この木製人力織機は、トヨタ自動車が実機を計測したデータから、木型職人の剣持正光によって複製が作成されました。トヨタ産業技術記念館にて実演用として展示されていますので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください!
大正13年(1924年)には世界最初の発明となった完全な無停止杼換式(むていしひがえしき)豊田自動織機(G型)を完成させました。このG型自動織機は様々な点で優れていました。まず、自動化したにもかかわらず布を織るスピードは落とすことなく、さらに緯糸が自動的に補充される機能が搭載されていました。多くの工夫がなされた画期的な織機の発明でした。その発明の価値が世界的にも認められ、当時、世界規模で紡織機業界トップメーカーであった、イギリスのブラット社に当時の金額で100万円という超高額で技術供与(権利譲渡)しました。
この自動織機をきっかけとして、日本の紡織機工業および繊維産業は、世界水準に駆け上っていきました。そして、それによって得られた資金を基に、国内の自動車産業が発展していくことになりました。

今回は日本の紡織機工業をはじめ繊維産業に大きく変革を与えた発明家の豊田佐吉の生涯についてご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。日本の繊維産業のレベル、さらに世界の繊維産業に影響を与えたのは紛れもなく彼の発明でした。現在では日系 / 外資系を問わず大手アパレルブランドをはじめ、様々な繊維製品が私たちの生活と密着しています。私たちが快適にオシャレを楽しみながら自由に生活できるのは、並々ならぬ彼の努力があったからでしょう。これまでの発明の誕生や発明家の人生を少し知るだけでも、身の回りの環境や物事への見方も変わっていくのではないでしょうか。おそらく繊維産業はこれからもさらに発展していくことが予想されます。今後の発展に期待したいですね!