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【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 無煙火薬製造法の発明家 市岡太次郎(戦前の秘密特許第1号を取得して、日本初の空撮写真を撮影した軍人・化学者)

じっくりヒストリー IP HACK

2025.10.10

AKI

私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。古い時代に撮影された空撮写真は、貴重な歴史的資料として残されます。明治44年に刊行された写真集「東京風景」の中に、とあるパノラマ写真が収録されています。この写真は明治37年に撮影されたもので、日本初の空撮写真として知られています。撮影したのは日露戦争の際に海軍に従軍した市岡太次郎ではないかと言われています。彼は軍人として活動しつつも、写真家としても写真雑誌への寄稿や、写真乾板の国産化にも尽力しました。今回はそんな市岡太次郎の生涯を振り返っていきましょう。

市岡太次郎の前半生(戦前の秘密特許第1号となる特許第6469号「無煙火薬製造法」を発明し、日本初の空撮写真を撮影する)

市岡太次郎は1870年に生まれました。帝国大学理科大学化学科を卒業し、1890年には立教大学校(現在の立教大学)が改組されて立教大学となり、太次郎はそこの教授となって化学や鉱物学、地質学などを教えました。自身でもこれらの分野で研究を行い、1891年には、化学の教科書である『新編化学』を出版しました。

1892年、太次郎は海軍大学校の教授に就任し、日本海軍の高等文官となります。明治の頃、日本は富国強兵を掲げ、列強国に並ぶべく大陸への進出を狙っていました。日本は周囲を海に囲まれている立地上、海上の防衛が非常に重要な意味を持っていたのです。1894年の日清戦争で勝利を収め、日本はますます国力を強化していきました。1898年、太次郎は海軍技師に転任し、火薬の研究に携わるようになりました。1903年には戦前の秘密特許第1号となる特許第6469号「無煙火薬製造法」を取得し、日本海軍に貢献しました。

1904年、太次郎は日露戦争に海軍技師として従軍し、旅順で気球を使った偵察を行いました。この時に日露戦争の戦場写真も撮影して、翌年写真帖を出版します。彼が残した写真はコレクターのもとに渡り、歴史的な価値のある資料として現存しています。

市岡太次郎の後半生(イギリスと組んで平塚に火薬製造所を建設し、日本火薬製造株式会社を立ち上げる)

日露戦争で日本海軍が使用した火薬は、当時日本と同盟関係の英国からの輸入に全量を依存していました。このため、戦争後に国内で無煙火薬国産化の必要性が痛感され、国内に火薬製造所を新設するべきという議論が海軍内部で沸き起こりました。

日英同盟のもと、日本海軍とアームストロング社、チルウォース社、ノーベル社は平塚に火薬製造所を建設し、各社の合弁会社として日本火薬製造株式会社が立ち上げられました。市岡太次郎も工場の建設に関わった人物の1人です。第一次世界大戦中には、イギリス政府からの要請を受け平塚工場で製造された火薬がイギリス海軍へ供給されました。このことから、当時の日本はイギリス海軍が使用していたものと同等の発射薬が製造できるほどの技術レベルを誇っていたことになります。

市岡太次郎は軍人として活躍しましたが、写真雑誌への寄稿や、写真乾板の国産化などにも尽力し、写真家としての一面もありました。

今回は、日本海軍に技師として従軍し、火薬の製造などで貢献しながら、写真家としても優れた才覚を発揮した市岡太次郎の生涯を振り返りました。古い時代に撮影された写真は景色を映し出す、貴重な資料のひとつです。明治時代に彼が東京上空で撮影した街並みは、街がどのように変化していったのかを知る手がかりとなります。他にどんな写真を彼が残したのか、非常に気になりますね。

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