【SKIPの知財教室(IP Hack ®)】じっくり®ヒストリー 人力用水田中耕除草機の発明家 石井梅蔵(山形県酒田市に本社を置く農機具メーカーの株式会社石井製作所の創業者)
2025.10.06

AKI
私たちの身の回りには非常に多くの画期的なモノや手法であふれています。これらはすべて先人たちのアイデアによって実用化された数多くの発明のおかげです。農業を効率よく行うためには、機械の導入が欠かせません。コンバインや砕土機、肥料散布機など場面によって必要な機械は異なります。農機具は高価な製品のため、農家はコストに見合った効果を得られるかを考えていく必要があります。そんな農機具の数々を製作している会社のひとつに、株式会社石井製作所があります。山形県酒田市に本社を置く同社は、1921年の創業以来多くの農家に親しまれてきました。石井製作所を立ち上げたのは、篤農家・発明家の石井梅蔵です。彼は農家としての経験を生かして、除草機などの農機具などを発明し事業を立ち上げ、100年以上続く会社へと成長させました。今回はそんな石井梅蔵の生涯を振り返っていきましょう。
石井梅蔵の前半生(農業をしながら農機具メーカーを創業して人力用水田中耕除草を発明する)
石井梅蔵は1896年、石井家の5代目として酒田市に生まれました。農家を代々営む家系であり、梅蔵も農業をして暮らしました。
1921年、梅蔵は鉄工所を立ち上げました。鉄材を使って工具を製造するかたわら、木材を使って唐箕や塵立旋風機などを作り、農業に生かしていました。5年後、鉄工所を石井農機製作所に改名し、農機具の開発・製造に本格的に乗り出しました。
石井農機製作所としての最初の商品は、立ったまま除草ができる人力用水田中耕除草機でした。当時、雑草の除去は鎌などを使った手作業であり、低い位置にある草を刈るのにはしゃがんだり身をかがめたりする必要がありました。膝や腰に負担がかかり相当な体力を消耗することに加えて、時間がかかることも悩ましい問題でした。この除草機の誕生により、農家は楽に早く草刈りを終えることができました。さらに機械が草を刈ってくれることで、手で鎌を扱うよりも安全に作業を勧められるようになったのです。その後、1928年には人・動力兼用のフライホイル式カッターを開発し特許を取得。ここから、石井製作所の躍進が始まります。
石井梅蔵の後半生(籾すり機の研究中に籾が目に入って失明するが、息子が跡をついで会社を大きくする)
石井製作所は、業績好調につき次々に新しい製品を開発していきました。1932年から1933年にかけてはシリンダー型カッターや半自動籾すり機、米選機、縦縄製造機を、1940年から1945年までの間には脱穀籾すり機や回転刃物式ワラ切機、自動送り脱摺機などを開発して販売しました。
発明した製品は非常に人気で、飛ぶように売れていきました。梅蔵はこの成果に満足せず、改良を続けていきました。1949年、梅蔵が籾すり機を改良するために作業をしていたところ、飛び散った籾が目に刺さって怪我をしました。病院に行って角膜移植の手術を受けるものの、視力は回復せず梅蔵は全盲となってしまいます。この事故の後、梅蔵の長男である石井正三が石井製作所の経営を受け継ぎました。会社としてはそれからも着実に成長を続け、工場の増築や事業拡大なども勢力的に行って行ったのです。
失明した後、梅蔵は製造の現場からは離れたものの、工芸の創作に取り組みました。羽黒山五重塔、陽明門、金閣寺、平等院鳳凰堂、亀と兎などの工芸品を残しています。
1964年、石井製作所は株式会社石井製作所へ改名し、さらなる高みへと進んでいきます。この頃からコンバインが登場したため、石井製作所はコンバインやトラクターの周辺機器の開発を中心に活動していくようになります。その後も、石井製作所は時代に合わせて進化を続け、現在も残る老舗農機具メーカーとしての立ち位置を確立しました。
1976年、梅蔵はその偉大な生涯の幕を閉じました。
今回は、農機具をはじめさまざまな製品を開発・販売している大手企業・石井製作所の創設者である石井梅蔵の生涯を振り返りました。自身の経験から、人々の役に立つ道具を発明し、それを会社にまで発展させた彼のアイデアは素晴らしいものです。石井製作所は長い歴史のある企業で、現在も豊富な製品の数々で農家のサポートをしています。これから同社がどのように成長していくのか、楽しみですね。



